抜舟の場
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  八丈島の見所スポット林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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 [1] 三根エリア
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     5抜舟の場
     6 大越鼻灯台
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     9 アロエ園
     10 出鼻
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     13 鉢巻き道路の展望台
     14 永郷〜鉢巻き道路の展望台
     15 八丈富士登山口
     16 八丈富士登山
     17 八丈ストアー
     18 宝亭
     19 宝来軒

かつて島に流された流人が企てた八丈島脱走の現場
底土港から神湊漁港との間の海岸にある抜舟の場です。八丈島といったら流人の島であり、ここは漁船を盗んで八丈島からの脱走を図った流人が自由を求めて海に漕ぎ出した場所。暗い歴史であるためか、八丈島の観光で流人関係のスポットはあまり話題になりませんが、人気のない寂しい海岸にポツンと案内板が立っていました。






流人たちの決死の場に立つ案内板

抜舟の場(ぬけふねのば)
浮喜田秀家が流されてから明治4年(1871)に至る265年間に
八丈島には1917名の流人が送られて来た。
流人の中には漁船を盗んで脱走を計る者も居たが、これを抜舟と呼び、
11回も記録されている。

しかし、追手に捕らえられたり、波浪に呑まれたりして殆どは失敗し、
成功した記録は1件だけである。
此所は漁船も多く、北側に面していて、抜舟に好都合のところだったらしい。






黒潮渦巻くこの海を見て流人たちはなにを思ったのか・・・

溶岩の荒くれだった磯が広がる抜舟の場。ここから自由を求めて流人たちが決死の思いで漕ぎ出したんですね。しかし、かれらの前に大きく立ち塞がっていたのが黒潮の流れです。うまいこと漁船を盗み出せて海に漕ぎ出してもほとんどは浪に呑まれて溺れ死んでしまったらしいです。しかも追っ手に捕まれば打ち首獄門・・・。

などと、あっさり述べましたが、この海を目前に生きるか死ぬかの相当な覚悟だったと思います。成功率は低く、心の奥底では「たぶん無理だ」と薄々分かっていながらも、そうしなければならなかった流人たちの思いがひしひしと伝わってくる場所です。

ちなみに抜舟に成功したのは天保6(1836)年に八丈島に流罪となった喜三郎という人物。仲間7人で計画、実行して本土までたどり着いています。

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