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外環千葉区間がツナガル日(前編)
〜外環道レポート その6

2018年6月2日16時、約半世紀の夢が叶う時が来ました。
東京外郭環状道路「外かん」千葉区間がついに開通したのです。
東京外環道の三郷南IC−高谷JCT間、R298の中矢切−稲荷木間が全面供用され、専用部、一般部それぞれ4車線、合計8車線の大動脈が千葉県北西部を貫きました。

1969年の都市計画決定から49年、1993年の見直し計画受諾から25年という歳月を経て、遂にこの日を迎えましたが、かつての市川市民として、この道路の開通を待ち焦がれていただけに、特別な思いで走ってきました。

埼玉区間に遅れること約四半世紀。埼玉区間で起こった「革命」は起きたのか。まずは開通当初の状況をレポートします。

松戸IC付近内回り

※特記無き写真は2018年6月、7月撮影


●その日はついに来た
2018年6月2日16時。首都圏3環状の要ともいえる「外環」千葉区間が開通しました。
専用部としての「東京外環自動車道」だけでなく、並行するR298も同時に4車線での開通というフル開通はうれしい限りです。

開通を伝えるポスター

その三郷南ICから高谷JCTまでは15.5㎞、R298の中矢切−稲荷木の7.4㎞という開通区間は首都圏では異例ともいえる一気の開通となりました。ちなみに今回R298の開通を11.4㎞とする資料が多いですが、R6からR357までの区間であり、実際には先行開通区間が4㎞あるので、4車線でのフル開通は11.4㎞ですが、本当の新規という意味では7.4㎞になります。

1969年5月の都市計画決定から49年、1993年6月の市川市による国の再検討案受諾から25年という歳月を経ての開通。外環道としても1992年11月27日に和光IC−三郷JCT間で外環道が開通してから26年の年を経ています。
あの時はまさに革命としか言いようがない効果を見せましたが、道路事情が壊滅的に悪い千葉県北西部に現れた往復8車線の幹線道路がどのような効果を出すのか。非常に楽しみです。

2005年11月27日の三郷JCT- 三郷南IC間の開通こそ神戸在住ということもあり当日の「初走り」はできませんでしたが、1992年11月27日の和光IC−三郷JCT[間、1994年3月30日の大泉IC・JCT−和光IC間の開通と同様、今回も当日の「初走り」をしてきました。まあ今回は13年前と同様遠隔地に住んでいるはずですが、立ち会えたのはいろいろ調整した成果です。


●建設開始までの紆余曲折
都市計画決定から24年の空白は市川市による反対の歴史でもありました。
1985年10月の県議会による早期進展決議もなお否定してきましたが、1992年に市川市議会による市民アンケートで建設賛成が過半を占めることが判明し、民意に反する反対運動を継続することが出来なくなったことを悟り、1993年3月に市川市議会報の特別号でアンケート結果を公表するとともに国の再検討案受諾を了承したのです。

市内あちこちにあった反対派の看板(2012年12月撮影)

ここから外環千葉区間の整備が始まりましたが、既に市街地化が進行した沿道は用地買収にてこずり、千葉県では成田空港問題での極左暴力集団による土地収用委員の殺害を狙った凶悪卑劣なテロ事件を契機に収用委が2004年まで解散していたこともあり、これほどまでの時間がかかりました。

整備途上のポスター(2012年12月撮影)


江戸川以北は比較的順調に(2011年2月撮影)脚は建てたがしばらくそのままでした(2011年2月撮影)

高架道路として計画されていた外環道の専用部は半地下スリット方式に変更され、都市化が大きく進行した沿道では用地買収にもてこずりましたが、まずR298がR6からr1まで伸び、r6からR357までも開通し、両端が整備されました。

半地下スリット構造の説明(2007年12月撮影)

そして都市部に外環のベルトが現れ、作業用の仮設桟橋などが物々しくそびえ、それが片づけられると完成の日を迎えたのです。

●「外環、いよいよ千葉へ」からの日々
外環の整備は高谷までの全線一括整備とされていましたが、R298に関しては一部先行整備区間が設定されました。

中矢切付近(2008年4月撮影)

2008年3月にR6矢切インターからr1の中矢切(現松戸インター北)交差点までの1㎞が開通し、2009年8月には当時の市川IC付近からR357高谷までの3㎞も開通。この時にR357とを結ぶJCTの構造物は完成しています。

高谷付近(2009年8月撮影)

2008年から2009年のR298の開通では、当初計画ではこれ以外は国分地区のサービス道路(側道)だけの整備で、全線開通を待つ、ということになっていましたが、「外環、いよいよ千葉へ」と看板が開通場所だけでなく予定地にも立ち始め、いよいよ本格的に工事が始まるという予感を感じました。

国分付近の工事(2011年2月撮影)


総武線交差部(2007年12月撮影)だいぶ進捗して(2012年12月撮影)

予定地はやがて帯状の空き地になり、工事が始まると仮設桟橋も立ち並び、やがてそれが「道路」になる日は近いと思わせました。

外環用地を貫く桟橋(2012年12月撮影)構造はこんな感じ(2012年12月撮影)


桟橋が跨ぐ菅野駅(2012年12月撮影)総武線から見た交差部の地平(2012年12月撮影)

その時点では2015年度の開通がアナウンスされており、「あと数年」というイメージでしたが、それが京成線交差部の工事難航と用地買収の遅れから2017年度になり、さらに2018年6月に、と当初の2007年度開通から見ると最終的に4度の延期を経ての開通となりました。

小塚山トンネルの工事(2015年2月撮影)


江戸川橋梁の橋脚工事(2011年2月撮影)三郷方面に立ち並ぶ橋脚(2011年2月撮影)


外環開通効果を謳う(高谷付近)(2012年12月撮影)同じく三郷南付近(2015年2月撮影)


●産みの苦しみ
三郷付近では1992年の三郷JCTまでの開通から実に7年、1999年にR298が松戸に達したあと、三郷南IC開通とほぼ同じタイミングとなった4車線化まで6年の歳月を要しました。これは流域下水道の整備と同時施工となったことや、作業空間を確保する必要があっての遅れでしたが、千葉区間でも矢切付近が実に10年、高谷側も9年間の「暫定2車線」時代を経験することになりました。

T字路でr6市川浦安BPに接続していたころ
(2009年8月撮影)


対面通行時代の市川IC−高谷間(2009年8月撮影)東西線交差部の当初(2009年8月撮影)


r6に出るまでいったん左折(2009年8月撮影)市川ICから見ると(2009年8月撮影)


市川IC側からR298分岐を見る(2009年8月撮影)今の妙典橋の分岐付近から高谷方向(2009年8月撮影)


矢切付近は矢切トンネルから中矢切までの短区間でしたが、高谷側は結構区間が長く、かつ京葉JCT建設との絡みで市川IC付近の経路が何回か変わったことが特徴です。

対面通行時代の矢切トンネル(2011年2月撮影)床板も出来てきた段階の三郷市内(2015年2月撮影)


東西線交差部(2013年9月撮影)高谷へ向かう専用部橋脚(2013年9月撮影)


高谷付近ではR357と湾岸線、東関道との狭い空間に外環道からのランプ路を接続させる工事、さらには湾岸線、東関道を跨ぐランプ路の架設が夜間通行止を何回か繰り返して実施されました。

湾岸道路(R357)へのアプローチ(2013年9月撮影)だんだん出来てきた専用部(2015年2月撮影)


東側の対面通行への変位(2017年3月撮影)地上に躍り出る区間の整備(2017年3月)

一方でインパクトがあったのはやはり京葉道路との交差。外環道は地下なのでR298との交差ですが、京葉JCTの工事もあり京葉道本線が移設されたりしているなかで本線通行止による架設となり、目に見える変化は外環道の開通が近づいていることを実感させました。

南側(カーブ内側)に移設寸前の京葉道路(2011年2月撮影)移設後の京葉道路(2014年3月撮影)


関連橋梁の架設が始まった(2015年3月撮影)R298本線の架設(2017年6月撮影)

独特なのは外環用地を工事車両の通路として使ったこと。ただでさえ逼迫している周辺道路にさらなる負荷はかけられず、道路用地の仮設道路を使って工事車両がアプローチしていました。主要道路との交差も仮設道路が仮設桟橋のように高架に上がり、計画見直しでなくなったはずの「高架道路」が一時は貫通していたのです。

あちこちにこんな桟橋(2011年2月撮影)大和田兜橋付近(2015年2月撮影)


市川IC付近。解体中の桟橋(2017年3月撮影)



●その前夜
開通への最終段階となる2018年4月には国分付近で国分街道を置き換える形で供用が開始され、沿道に道の駅も開業しました。

国分付近の暫定開通(2018年4月撮影)開通区間はここまで(中国分付近)(2018年4月撮影)

京葉JCT(京葉市川IC)付近では複雑な交差や立体がサービス道路を含めて予定されており、工事進捗に伴いルートが細かく変更になるなど、把握しきれない途中経過となっています。

上下線分離直前の高谷へのR298(2018年2月撮影)分離直後。対面時代のマークが残る(2018年2月撮影)


出口移設前の分岐位置(2018年2月撮影)市川ICの旧出口(2018年2月撮影)


複雑な京葉JCTを隠した案内看板(2018年2月撮影)


市川IC(現京葉市川IC)の出口移設(2018年4月撮影)外環対応が見えてきた(2018年4月撮影)

2012年3月31日に京葉JCT建設工事の用地確保を理由に閉鎖された京葉道の鬼高PAも、2018年4月24日に京葉市川PAとして下り線のみ再開しており、市川IC(京葉市川IC)の上り出口も開通後のモードに変更されています。

鬼高PA閉鎖を伝える表示(2012年3月撮影)


閉鎖直前の鬼高PA(2012年3月撮影)閉鎖直後の鬼高PA(2012年4月撮影)


人工地盤の上に建設中の京葉市川PA(2017年6月撮影)開業した京葉市川PA(2018年5月撮影)


外環開通前の京葉市川PAの案内(2018年5月撮影)

なおサービス道路は今回の開通時点では整備未了のところも少なくなく、R298の側道が仮設然としていたり、歩道がありません、と注意が有ったりと、本当の完成まではまだ時間がかかるようです。ましてやR298に接続する道路の進捗が遅れていて、交差点なのに道がない、というところも散見されます。

開通直前のR14とR298の交差部(2018年4月撮影)開通直前の国分街道の渋滞(2018年4月撮影)


こんな表示があちこちに


管理がややこしいのも一因か(2017年3月撮影)市川北IC出口の管理境界


そうそう、外環道の料金は6月2日の開通から値上げされましたが、それを見越して2017年2月に距離制導入と称して5割の値上げをしているんですよね。これも歴史の一つです。

区間制導入の案内(2017年3月撮影)



●さあ走ろう
まずは外環道を一気に走りましょう。16時ちょうどは混むに違いなく、そればかりか数日は不慣れなこともあるので混むというのは1992年の最初の開通時でもあった話です。一方で日没後というのも芸がなく、17時ころの通過を目指しました。
習志野原エリアからは京葉道のほうが出やすいのですが、まずは高谷からの全線ということで東関道へ。そうなると谷津船橋ICか首都高の浦安ランプに行くしかなく、結局武石IC→花輪ICで谷津船橋ICに出たのです。

開通モードに変化した様子を見たくて幕張PAに入ると、交通情報表示板は既に開通バージョン。開通時期を注記してあるところを見ると、表示自体は既に開通モードだったのでしょう。ただ全線渋滞、混雑の情報は案の定でした。

京葉道幕張PA既に開通モードで表示のお知らせ

ころが京葉道に戻り、花輪IC手前の見とれて渋滞の先頭になると評判の交通情報に「京葉JC→(環)三郷南 事故渋滞6㎞ 15分」と出ています。どこの間抜けが開通1時間で事故るか、と呆れながら花輪ICから谷津船橋ICに移動したのです。

早くも渋滞(谷津船橋IC)

土曜夕刻ということで京葉道、東関道とも渋滞しており焦らされます。谷津船橋IC入口手前の表示は「事故」の文字はなく京葉JC→(環)市川北 5㎞ 15分」の表示。湾岸市川IC手前で左車線に移行して、いよいよ外環道です。

●いざ外環へ
既に外環への分岐と高谷JCTの案内が整備された東関道に対し、並行するR357をみると外環の文字が消されたまま。翌日には直ってましたが、わからんではないにしろ、なるべくこういう「刷新」は重要なイベントだけにタイムリーであってほしいものです。

R357側は消されたままさすがに高谷JCTは完璧

渋滞の原因は外環試走?とも思ったんですが、車列の大半は直進します。東京北部、西部への新ルートとしてさっそく実需としての利用もあるかと思ったんですが、高谷口ではちょっと拍子抜けの交通量でした。東関道上りから外環内回りへは2車線のまま進入する格好で、そこは円滑に進めそうです。

本線TBを通過。今日から外環は全線で1020円と270円の値上げ。

遂に全線1020円は往時の倍に

さすがに新規区間に乗り進む場合が値上げになっていて、距離見合いといえばそれまでですが、距離が伸びればそれだけ外周走行は都心縦貫より距離が伸びる、時間差がつくわけで、外環利用のインセンティブが下がります。かつて500円均一だったころに国交省のキャリアにと話をする機会がありましたが、首都高よりも安い料金設定は外環シフトを意図した政策的なもの、と明言しており、今のように高いほうに揃えるが如き対応と思想や志が違います。

スリット区間へトンネルが迫る

防音壁がそびえる中で下り坂を走るとトンネルへ。厳密にはスリット区間なので「半地下」ですが、矢切トンネルの先までの長い「トンネル」です。まだ足を運んでいませんが、直前の歩道橋からの眺めを見てみたいです。

後日訪問。見るとこんな感じです(2018年8月撮影)

「地下」に移る直前にR298からの市川南ICが見え、地平を行くR298を交わす格好で地下で合流します。内分岐にしないのは高速道の原則を守った格好ですが、ここは地上での合流、分岐のほうがよかったかも。

すぐに市川南ICの合流

程なく京葉JCTの分岐。高谷方面と京葉道船橋方面との連絡路が未完成で首都高方面のみの分岐。思ったよりも市川南ICからの距離が近く合流後すぐに分岐まで900mの表示、ここで料金を270円というのはちょっと微妙です。

地下の迷宮となる京葉JCTの構造をうかがわせるように分岐から合流までの距離があり、はていったい何のインターだっけと思い出すころに京葉JCTの合流。すぐに市川中央ICの出口ですが、京葉JCTからのクルマは270円を払いながら本線に入れません。川口JCTと川口中央ICの間と同じですが、外回りは本線に入れるだけマシというのか・・・

京葉JCTからの合流市川中央ICとの関係はこんな感じ(2018年9月撮影)


●タイムトンネルの如き
京葉道からの合流が多く、一方で市川市内への唯一の出口となる市川中央ICへの流動が輻輳することで、前方からの渋滞がつながってしまっています。渋滞区間に入りましたが動いており、事故渋滞ではない模様なのは救いです。

市川中央へは減速車線を走るのみ。輻輳の渋滞も

さて半地下のスリット区間ですが、思ったよりも明るく、自然光がきっちり入っている印象。
さらに車線自体が広く、路側帯も広いので、地下区間特有の圧迫感がありません。壁面でどうしても視距が効かず、さらにアップダウンがあると天井も視野を遮るのですが、首都高のような「前が見えない」アップダウンはなく、そこはさすがに高速自動車国道であり、規格がしっかりしています。

渋滞区間だが圧迫感がないのが幸いスリットは意外と明るい

市川中央ICの先は菅野地区でしょうか。そこから国分地区へ至り、市川北ICの合流ですが、その先に分岐があり封鎖された空間へのランプ路が見えます。
ここが北千葉道路の分岐となる(仮称)北千葉JCTですが、いつここが供用されるかを考えると少し暗くなります。

北千葉JCTへの空間

相変わらず渋滞が続きますが、松戸ICまで1㎞の表示の後で出てくるのが北千葉JCTからの合流。合流を過ぎて残り600mの表示を過ぎると流動が輻輳し、左の路側帯に車列が。どうも松戸ICの出口渋滞ですが、ここ、出口からr1までの距離が短いだけに、出口渋滞の発生は気がかりです。

北千葉JCT[からの合流松戸ICの出口渋滞が続く

ここを過ぎると順調で、ほどなく日の光の下に出ました。もう矢切トンネルの北側で程なく常磐線との交差。江戸川を渡り、これまで見上げていた新道区間を走ります。

外回り側から見た矢切トンネル防音壁もなくすっきりとした江戸川の上(外回り)

一般車が使っていた三郷南ICの本線上のTBが撤去されて本線となった区間を通過するといつもの外環道。そして今回はこれも千葉区間に合わせて開通した三郷中央ICで降りました。

三郷南ICを横目に


三郷中央ICの開通予告三郷中央ICを降りる


●どうも気になる出口渋滞
ここは三郷JCTを挟んで外環三郷西ICの対になるインターですが、常磐道などからの料金所が「外環三郷東」を名乗っており、てっきり「外環三郷東IC」となるかと思っていたのですが、外回りは、内回りの外環三郷西TB、ICと同様にTB併設(共用)の位置で開設され、名前は「三郷中央IC」と外してきました。

三郷南までの時代の高速からの分岐(2011年2月撮影)「外環三郷東」だったTB(2011年2月撮影)


それが三郷中央に


外回り入口はこのあたり本線に京葉JCT、高谷JCTの表示が



三郷JCTの手前で折り返して外回りの三郷中央ICから入りましたが、さすがに開通初日、三郷南ICの出口渋滞に対する注意看板がまだ残っています。

出口先の交差点まで1.5㎞、30分かかるとのことでした

そして三郷南ICといえば「鷹野出口」の副名称でしたが、これが一切消えてしまい、これまで「鷹野出口」と書かれていた看板には方面を示す「高谷」の表示に変わりました。

「鷹野出口」と何ぞや、だった頃(2011年2月撮影)三郷南ICの終端部。ここにも「鷹野」(2011年2月撮影)


開通告知「鷹野」は消えて「高谷」出ずる


都県境

そして再びスリット区間へ。ライフワーク?化した北千葉道路の施設でもある北千葉JCTの内回りの様子を見たのですが、ここで異変が。外回りの松戸IC同様、市川北ICの出口渋滞が長く伸びています。これが北千葉JCT[の合流車線を塞いでいるわけで、松戸ICもそうでしたが、この出口渋滞が恒常化したら、近い?将来の北千葉道路接続時に合流渋滞になるわけで、懸念される部分です。

外回りの北千葉JCT分岐市川北ICの出口渋滞が塞ぐ

その後は高谷JCTまで走り切り、谷津船橋ICでミッション終了、とはいかず、R357で折り返して高谷JCTへ。R298側から市川南ICを使い外環へ。松戸ICの出口渋滞が1㎞と表示されており、解消には至っていないようです。

高谷JCTへ向かって駆け上がる東関道への分岐


まだ外環が表示されてませんでした松戸出口渋滞の表示


今回は前述の通り270円をしっかり払って京葉JCTで降りました。首都高方面に「首都高」ではなく「小松川線」とあるのは湾岸線を意識しているのでしょうが、日常「小松川線」を使わない人も多いでしょうから、戸惑う人もいるのでは。外環からだと「小松川ランプ」もないし。(都心方向のハーフランプ)

湾岸線にある京葉JCT関係の注意(2018年8月撮影)「小松川線」の強調が気になる(2018年8月撮影)

現状は上り方面のみの接続でしたが、やはり気になるのはフリーフローのETCセンサーで、外環の料金を確定させるセンサーの後、外環両方向と市川IC改め京葉市川ICからの合流後にセンサーがあるのです。首都高は谷河内にセンサーがあるのでここで記録する意味はないのですが、篠崎IC出口にセンサーがあるのを見ると、京葉道の京葉市川ICおよび京葉JCTでの入場記録をどうしても必要とする理由を考えるわけで、一番合理的なのは現在無料の京葉市川IC−篠崎IC間の有料化となるのですが、果たしてどうなるか。従来は料金所設置のスペースがありませんでしたが、京葉JCT建設の際に何気にスペースが増えていますし。

京葉JCT、京葉道下り方面は行けません京葉道上り方面。外環用のセンサーが前方に


京葉道路側のセンサーは外環、入口合流後篠崎の出口センサー


そして篠崎ICで折り返して京葉道を花輪ICまで走り、初日の探検は終わりました。

京葉道は江戸川大橋上は4車線


外環分岐前にいったん車線減少程なく京葉JCT

ちなみに京葉道下り、篠崎ICからの合流後、2+2で4車線になったのに、外環との京葉JCTを目前にして1車線絞るのはどうか。
足下はここがボトルネックになっていないものの、状況次第では恨みを残す構造です。



その1・外環道埼玉区間がもたらしたものに戻る

その2・外環道最近の話題に戻る

その3・外環道千葉県内区間の近況に戻る

その4・外環道千葉県内先行整備の状況に戻る

その5.外環、市川でいよいよ開通に戻る

その7.外環千葉区間がツナガル日(後編)に進む


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