このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

上級ディベート教材の家
語彙と表現 聴解練習 ディベートの指示


課題文       オリンピック「報奨金」フィーバー

 シドニーオリンピックの聖火が消えて十日あまりたった。優勝者を出した国々では、メダルフィーバーがまだまだ続いているようだ。今回もメダル獲得者には報奨金や贈物がたくさん用意された。もちろんすべての国が報奨金制度を設けている わけではない 。報奨金がオリンピック精神 に反する という理由で、報奨金制度を導入していない国も多い。しかし、報奨金制度は世界の大きな流れになっていることも事実である。
 今回の教材では、どんな国で、どんな報奨金があったのかを見ながら、この報奨金制度の是非について考えてみたい。

 まず日本であるが、日本では1992年アルベールビル冬季五輪、バルセロナ五輪から報奨金を出すようになった。金メダル300万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円である。この金額は世界の大勢からから見ると、決して多い方ではない。

 日本が初めて報奨金を出した、このバルセロナ大会は正に報奨金フィーバーだった。まず初めにこのバルセロナ大会を見てみよう。この大会で 群を抜いている 国は次の四カ国である。以下、列挙する。

「(1)スペイン
 地元だから当然と言えば当然だ。金メダリストはスペイン五輪委員会から800万ペセタ(約1100万円)を受け取ったという。また、バルセロナ銀行からは1億ペセタ(約1億370万円)の年金がプレゼントされた。思わず 絶句してしまう 。バルセロナ銀行は当時サマランチ会長が頭取を勤めていた銀行だ。

(2)中国 
 この時、2000年オリンピックに北京が立候補していたので、中国も 大盤振る舞い だった。
 オリンピック委員会は金メダリストに8万元(約190万円)を贈った。香港のネクタイメーカーからは10万元、ある清涼飲料会社からは4万元などが主なところだ。女子水泳高飛び込みで優勝した女子選手は総額46万元(約1100万円)を獲得したそうだ。

(3)インドネシア
 バドミントンの男子、女子の金メダリストはバドミントン協会と企業グループから10億ルピア(約6400万円)を受け取った。これも絶句。

(4)韓国
 男子マラソンの優勝者ホワン・ヨンチョ選手は、ボーナス5億5000万ウォン(約8800万円)、毎月75万ウォン(約11万円)の終身年金を受け取った。この年金は50年もらうと、4億ウォンに達する。」(1992.08.24.付け朝日新聞による)
 こうなると、 神経を疑ってしまう

 バルセロナでは以上のように報奨金が ばらまかれた のである。
 しかし、ロシアオリンピック委員会のように、長野冬季オリンピックで金メダル5万ドル、銀メダル3万ドル、銅メダル1万ドルを選手に約束した にもかかわらず 、実際にはほとんど支払われなかったというような間抜けな話もあったそうだ。


 では、今回のシドニーはどうだったのか。
 今回もすごかったの 一言に尽きる
 まず、日本。金メダル300万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円に変更はない。今回は各種目の委員会や団体が報奨金を用意していたのが特徴である。以下、列挙すると、

「(5)テニスと卓球が2000万円。
(6)レスリング、ライフル射撃、馬術が1000万円。
(7)ビーチバレーは出場報奨金が200万円で、メダルをとればボーナスも用意していた。
(8)サッカーは選手一人あたり、金メダル600万円、銀メダル300万円、銅メダル200万円。ベスト4は100万円、ベスト8が50万円。
 となる。」(2000.09.02.付け読売新聞による)

 だが、以上の4つのうちで報奨金を獲得したのは、ビーチバレーの出場報奨金とサッカーのベスト8だけだった。スポンサーはうれしかったのか、悲しかったのか。 名状しがたい 気分だろう。

 ほかの国ではどうかというと、まず、驚くのは韓国だ。「前回アトランタで銀メダルの李鳳柱(リー・ボンジュ)には、金メダルを取れば総額10億ウォン(約1億円)の報奨金が用意されていた。また、終身年金も月額100万ウォンに値上げされる予定だった。しかし、残念ながら李選手はメダルは取れなかった。報奨金は 夢と消えた

 ブラジルもすばらしい贈り物を用意していた。金塊である。金メダル獲得者には金塊1キログラム(日本円で約100万円相当)、銀メダルに500グラム、銅メダルに250グラムを与えた。

 中国では金メダル第一号に100万元(約1400万円)相当の豪邸をプレゼントしたそうだ。」(2000.09.06.付け朝日新聞による)中国には「万元戸」という言葉あるが、これは一年に一万元以上の所得を稼いだ人のことである。この「一年に一万元」というのは実に夢のような数字なのだ。それから考えると、100万元という金が、中国人にとってどれほど価値のあるものかがわかるだろう。


 オリンピックの歴史は正に「国家」と「金」に振り回された歴史である。
 1940年のベルリンオリンピックは 言うに及ばず 、どのオリンピックも国家の威信をアピールするための道具であった。また、近年はメダルに対する報奨金や贈り物が当たり前のようになってきた。つまり、メダルの数で国家の威信、民族の優秀性をアピールしようとするからだ。そのためなら、一億円や二億円などは 安い買い物 というわけである。

 自国の選手が活躍するのは素直にうれしいし、頼もしい。素朴なナショナリズムがあるから、オリンピックは見ていて楽しいのである。もし自国の選手が出ていなかったら、その種目はあまり面白くないだろう。しかし、何億円もの金をばらまいて、ナショナリズムを あおり立てる のはやはり間違っているだろう。健全なナショナリズムは認めるが、 度を越した ナショナリズムは見苦しい上に、悲しい。

 しかし、一方ではこの資本主義の世界で、優秀な人間、立派な業績に対して、「金」でそれに報いるというのは、当たり前のことだという意見もある。つまり、こういうことだ。

 スポーツが人並み以上にできるというのは、絵が上手に描けるとか、ピアノが上手にひけるとかいうことと基本的には同じである。オリンピックはピアノのコンクールみたいなもので、コンクールで優勝すれば、賞金も出るし、プロのピアニストとして生きてもいける。スポーツも芸術と同じで、金メダル以外に賞金があっても、いっこうかまわない。

 近代以前は音楽家や歌劇場などは王様や貴族がそのパトロンになって支えてきた。それが近代国家になって、王様や貴族の代わりに国家や政府、地方政府がパトロンになって、芸術家を育ててきたのである。スポーツのスペシャリストも芸術家と同じで国家が援助して、スポーツのエリートを特別に養成するのは当然である。

 ちょっと分野は違うが、ノーベル賞だって約一億円の賞金が出るではないか。ノーベル賞がよくて、オリンピック報奨金がけしからんというのは大矛盾である。
さて、あなたはどう考えますか。

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