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Travel Maker

第三章「慶尚北道」 キョンサンプクフド




ここは鉄鋼の町、浦項(ポハン)。やたら製鉄所が多い。

江原道から高速バスに乗りこの町までやってきた。とは言ってもここは乗り換えのために降りただけの場所。
ここからは慶州(キョンジュ)という地に進みます。
ちなみに上の写真は観光案内所で、韓国語で言うと「カングヮンアンネソ」です。何となく似てます。
韓国語は日本語と語順が全く同じなため単語を覚えていけばいい。


慶州(キョンジュ)のバスターミナルに着きました。
バスターミナル=ポストミナル
やはり似てます(^^ゞ

そういえばこの写真に写っている公衆電話から自宅に国際電話をかけた記憶がある。
現在は日本の公衆電話は急激に数が減っているようでそのうち無くなってしまうかもしれません。携帯電話の台頭が原因なのは明白だが、なんとなく無くなるのも寂しい。
私の家の近くにあったポストもほとんどなくなってしまい、秦野の郵便局の本局に出しに行ってます。ポストもまた携帯電話、つまりメールの普及とともに激減しているような気がします。ダイレクトメールも電子メールに変わっていく中で郵便局などの仕事はどんどん減っているものと思われる。若い人ほど年賀状はメールで済ます人もいるようです。

パソコンの普及でどんどん便利になって行きますが「あらゆることが効率化」されてきていてだんだん味気ない世の中になってきている気がします。


ここは慶州(キョンジュ)にある世界遺産、佛國寺(ブルグクサ)です。西暦525年に作られたものらしいがその後700〜800年ごろに再建されているという。それでも十分古い。
どことなく鎌倉や奈良・京都のような雰囲気ですが韓国のお寺は敗色が日本に比べて少し派手な気がする。
日本の寺は木材の素材感が出ているシンプルな趣のある作りなのに対して、韓国のお寺は木材の上に塗装がされて赤や緑の色鮮やかな装飾が施されている。



大韓民国の国宝にも選ばれているこのプルグクサは新羅時代のもので学術的にも大変価値が高い。


大昔、朝鮮半島では百済(クダラ)・高句麗(コウクリ)・新羅(シラギ)という3つの国に分かれていた。
最終的には7世紀頃に新羅が3国を平定して半島国家を作り上げた。
これらの建造物はそんな時代のものなので現存するものは殆どが再建されたものばかりである。
なぜかというと秀吉が日本で天下統一を果たした後に朝鮮出兵で片っ端から韓国の街を破壊していったからです。
今考えると100年前の韓国併合よりもずっとずっと昔から日本は韓国を標的にしているわけです。



そしてこの地もまた、内陸の山間部にあるためかなり気温が低く、この通り池も凍ってしまっている。
韓国に旅行に行くお勧めの時期はだいたい5〜10月くらいがいいと思います。



このように十分な防寒対策をしてはいたがそれでも寒い。時期が時期なのか、観光客は殆ど皆無で世界遺産ながら我々の貸し切りのような状態であった。


そしてこちらは石屈庵(ソックラム)というもう一つの世界遺産。
でも・・・なんというか洞窟みたいなところに入るのかと思いきやこの建物があるだけで特になんの驚きもなし。
こちらも仏國寺同様、西暦750年頃の建物のようですが、山の山腹にあるためか、歴史上長く忘れ去られており、発見されたのは1900年頃になってからだという。



ソックラムよりもそこから見える景色の方が素晴らしかった。こう見ると日本と変わりません。なんだか南東北にいるような錯覚に陥りました(笑)


そしてその近くにはこのような古墳も有ります。形は小さな山のようで、日本の前方後円墳とかのイメージとはだいぶ違う。


そしてこれが謎の塔。なんだか不思議な雰囲気を醸し出しているが、これは一説によると日時計だったり星座を観測する天文台だったりするらしい。個人的には日時計のような気がする。
それにしてもいつ立てられたのかは忘れてしまったが、これだけの規模の塔で石積みだと日本だったら地震で崩れていると思う。
日本で古いものといえば城や神社、寺等が思い浮かぶが多くは震災や戦争で無くなってしまっている。
特にこんなふうに高い塔のような建物は台風&震災大国の日本では生き残れる可能性は低い。



このあたりは石屈庵と違い随分観光客も多い。慶州は実に観光地が多く、釜山から近いということもあって賑わいを見せている。



そしてその慶州から少し西に行ったところにある大邱(テグ)に移動する。

↓この画像はマウスカーソルを合わせると変化します


この大邱は韓国第3の都市であり、慶尚北道の道庁所在地でもある。ちなみに人口は韓国で4番目。
因みにこの年は広島市と姉妹都市提携をしている。内陸の盆地にあるため夏は非常に暑いとされているがこの時は2月なので当然寒い。

上の写真はケミョン大学ですが、ここに来た理由はズバリ! 韓流映画「
リメンバーミー 」の舞台となっていたからです(^^ゞ

実は私は最初に韓国に行ってからというものの、韓国の事をもっともっと知りたくてとにかくドラマをたくさん見てました。その殆どが同行者であるGAJIRO氏から貸してもらったものですが、ドラマだけでも20本以上は見たと思います。上で紹介したリメンバーミーはドラマではなく映画ですが、私の大好きな韓国映画です。
ドラマや映画を見ると韓国の風土や生活・人々の表情がよく分かるのでとても参考になります。


続いては大邱の世界遺産、海印寺(ヘインサ)の紹介になります。




海印寺はとても山深い場所にあり、大邱市内からバスで向かいます。
上の写真では門が写ってますが、駐車場から20〜30分歩いた位置に門があり、外界から隔絶され、環境を維持しているかのように思えました。1995年に世界遺産に登録されたようです。ここもまた文化遺産であり、奈良・京都のそれと似ています。



そんなわけで荷物が邪魔になったのでこの人たちに預かってもらうことになりました。
いろいろとお店の品を物色しているとこのアジョッシー(おじさん)とアジュンマ(おばさん)が
「重いだろうから観光するなら預かっておくよ!」
と言ってくれた。
当然初対面であり、仁川空港で騙されそうになったこともあったのですぐには信用できなかったが、重い登山ザックを背負ってここを巡るのは確かに大変なので、念の為写真を撮っておいて貴重品を抜いた上で預かってもらうことにした。
そして帰りに寄ると
「お疲れさん、マッコリでも飲んでいきなよ」
と・・・


一杯いただいてしまいました(^_^;)

疑ってごめんなさい。韓国には悪い人もいるけどイイ人の方が断然多い。
まだ韓国一周旅行の半分も来てないけど、ここまでのふれあいの中でそれだけは断言できます。
よく日本ではニュースとかで韓国の悪い部分ばかり報道してますが、実際の韓国人はとても皆優しい人ばかりです。
日本人を嫌っているだとか日本に仕返ししたいだとか本気で考えている韓国人は思うほど多くないと思います。

ただ、韓国人が韓国国内で親日派を唱えると政府によって公的に罰せられます。実際にそうゆう法律も有るんです。

だから日本と必要以上に仲良くしようとすると怖いので仲良くしないだけではないのかと思います。




海印寺という偉大な先人の築いた世界文化遺産。
考えてみれば日本における文明はみんな朝鮮半島を通して日本に伝わってきたものばかりです。

狩猟の時代から稲作の時代へと変化をもたらしたのも大陸からであった。
そして仏教が伝わったのもインド→ネパール→中国→朝鮮 経由だ。
いろいろな文化は朝鮮半島を経由して日本にやってくる、我々が使っている「漢字」なんてのもそうです。

もっとも韓国は昔は漢字を使っていたが今は漢字を使わなくなりました。公式な文章等で一部は使われてはいるものの今の韓国の子供達は漢字を習わなくなったらしいです。
韓国語は漢字ではなくハングルが使われており、これは比較的新しく1600年頃にセジョン大王という方が誰でも読み書きが出来るようにと簡易な法則に従って作られた言語です。
韓国語は世界中の言語の中でも覚えやすさはトップクラスであり、逆に習得が難しいのはロシア語と日本語だと言われております。

日本語はとても難しく、日本人でも全ての漢字を理解している人は一人もいないと思われる。
表現の仕方は何通りもあり、方言も豊富なため一つの国で何通りもの日本語が使われている。アメリカ人が日本語を覚えて大阪に行くと関西弁の壁に悩まされるという話を聞いたことがある。
私ですら秋田県とかのおばあちゃんと会話をすると、何を言っているのか分からない事がよくある。
方言はだんだん薄れていっているようですが地方の個性として方言は味があって好きです。
地方から東京に出てきた女性がつい方言を喋ってしまう場面などは観ていてなんだかかわいいと思える(笑)
今はインターネットの時代なので方言というのは10年後くらいには「死語」になってしまうかもしれません。なんだか寂しいものです。


日本とあまり変わらない景色。


さて、慶尚北道はこれで終わりになります。
お次はいよいよ韓国第二の都市、「釜山」がある慶尚南道です。ここでも強烈な出会いが待っているのでした・・・





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