このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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老津公園
〜芭蕉の句碑〜
豊橋市老津町今下の国道259号(田原街道)沿いに老津公園がある。
老津公園に4基の芭蕉句碑がある。
蛤のふたみにわかれ行く秋そ
元禄2年(1689年)9月6日、芭蕉が『奥の細道』の旅を終え、
大垣
から舟で桑名へ下る時に詠まれた句。
これから行く桑名や伊勢は蛤の名産地だが、離れがたい蛤の蓋と身が別れるように、いま私は、見送りの人々と別れて、伊勢の
二見が浦
を見に行くのである。折から季節は秋も終わろうとしている晩秋の候で、別れの寂しさが一層身にしみて感じられることだ。
平成元年(1989年)10月、「奥の細道」の旅300年を記念して三河芭蕉会建立。
きてもみよ甚べが羽織花ころも
出典は『貝おほひ』。
「きてもみよ」の「きて」に「来て」と「着て」を掛けている。
寛文11年、芭蕉が28才のとき故郷伊賀上野に帰り、俳諧仲間と「三十番俳諧会」を催した際詠んだ1句であり、菅原道真の770年の忌日に産土社「伊賀八幡」に奉納した。
「伊賀八幡」は
上野天神宮
(天満宮)の誤りだと思う。
論より証拠、甚兵衛殿。とにかくあなたの甚兵衛羽織を花見衣装に着て、ここの花見にきてみなさい。甚兵衛羽織が一段とさえることでしょう。
平成4年(1992年)10月12日、三河芭蕉会建立。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
出典は
『笈日記』
(支考編)。「病中吟」と前書きがある。
元禄7年(1694年)10月8日、
花屋仁右衛門宅
で詠まれた辞世の句とされる。
左に採荼庵十一世近藤梅志の句が刻まれている。
時雨忌や霞遊訪ねて明けにけり
平成6年(1994年)10月12日、芭蕉三百年忌に三河芭蕉会建立。
よし野にて桜見せふそ桧の木笠
出典は
『笈の小文』
。「乾坤無住同行二人」と前書きがある。
貞亨5年(1688年)、門人
杜国
を道連れに吉野の花見に旅立つ時に詠まれた句。
碑陰にも芭蕉の句が刻まれている。
数ならぬ身とな思ひそ玉祭り
『有磯海』
(浪化編)に「尼寿貞が身まかりけるときゝて」と前書きがある。
元禄7年(1694年)7月15日、
伊賀上野
で盆会を迎え、寿貞の死を悼んで詠まれた句。
平成13年(2001年)10月12日、三河芭蕉会建立。
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