このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

旅のあれこれ


亀田鵬斎

亀田鵬斎ゆかりの地

 江戸神田の生まれ。上州佐貫庄五箇村の生まれともいわれ、 千代田町 に「亀田鵬斉翁誕生之地碑」がある。



名は翼、後に長興に改名。略して興(おこる)

 書を三井親和に、儒学を井上金峨に学ぶ。下町の文人儒者として、経書を講じ多くの書・詩文を作った。著「論語撮解」「善身堂詩鈔」など。

鵬斎の妻は 巣兆 の姉妹。

佐渡の 蓮華峰寺 に鵬斎の「蓮華峰寺碑」がある。


文化7年(1810年)7月、蓮華峰寺住職觀海建立。

 佐原鞠塢は本所に隠居してから菊屋宇兵衛、略して菊宇と称した。それを鵬斎の助言によって鞠塢と改めたそうだ。

向島百花園 に亀田鵬斎「墨沱梅荘記」の碑がある。


文化11年(1814年)2月15日に書かれたもの。

北区の 王子稲荷神社 社殿の奥に本宮がある。


文化12年(1815年)、造立。

本宮の社号額


亀田鵬斎 揮毫

亀田鵬斎の子長梓は儒学者亀田綾瀬。

 文化13年(1816年)、 『成美家集』 序。諫圃・子強校合。 久藏 補訂。

 文化14年(1817年)5月、『曽波可理』( 巣兆 自撰句集)鵬斎・ 抱一 序序、国村跋。

加須市の 千方神社 に石敢當(せきかんとう)がある。


文化14年(1847年)11月5日、亀田鵬斎書。

 文政元年(1818年)、 洞海舎李尺 『ありのまゝ』を編集。亀田鵬斎 跋。

南千住の 素盞雄神社 に芭蕉の句碑がある。


行春や鳥啼魚の目はなみた

文政3年(1820年)10月12日、建立。

亀田鵬斎が銘文を書いている。

 亀田鵬斎は久喜の「遷善館」に招かれて、近郷の子弟教育に多くの影響を与えたという。

 羽生市の 「古城天満宮」 社殿の裏に亀田鵬斎撰文の「羽生菅公廟梅樹記の碑」があるそうだ。

「古城天満宮」


荒川区の 石浜神社 に亀田鵬斎の隅田川詩碑、「伊勢物語」の都鳥の碑がある。


左が都鳥の碑で、右が亀田鵬斎の詩碑らしい。

鵬斎73歳の折の作。

文政9年(1826年)3月9日、75歳で病没

結城市の 釈迦堂 にある芭蕉句碑の裏に鵬斎の漢詩が刻まれている。

兀々陶々六十春
   (兀々陶々六十ノ春)
無官無禄自由身
   (官無ク禄無ク自由ノ身)
悠然飲酒悠然酔
   (悠然トシテ酒ヲ飲ミ悠然ト酔フ)
真是太平無事人
   (真ニ是レ太平無事ノ人ナリ)

鵬斎の句

角田川あみして秋の句を得たり


去年今とし我分ちなし呑みつゞけ


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