このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句
名月や北国日和定なき
出典は『奥の細道』 。
元禄2年(1689年)8月15日(陽暦9月28日)、敦賀で詠まれた句。
その夜、月殊晴たり。あすの夜もかくあるべきにやといへば、越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたしと、あるじに酒すゝめられて、
けいの明神
に夜参す。仲哀天皇の御廟也。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる。おまへの白砂霜を敷るがごとし。往昔遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ泥渟をかはかせて、参詣往来の煩なし。古例今にたえず。神前に真砂を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持と申侍ると、亭主かたりける。
月清し遊行のもてる砂の上
十五日、亭主の詞にたがはず雨降。
名月や北国日和定なき
『奥の細道』
「亭主」は
出雲屋
の主人弥一郎。
新潟県見附市の
念故寺
福井県福井市の
足羽公園
、敦賀市の
杉津PA
、小浜市の
妙楽寺
岐阜県大垣市の
ミニ奥の細道
に句碑がある。
妙楽寺の句碑
氣比神宮
の「ライオンズクラブ国際協会第42回年次大会記念碑」にも刻まれている。
芭蕉翁月五句
国々の八景更に氣比の月
月清し遊行のもてる砂の上
ふるき名の角鹿や恋し秋の月
月いつく鐘は沈る海の底
名月や北国日和定なき
芭蕉の句
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