このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


風流の初やおくの田植うた

諏訪市中洲福島に福島公民館がある。


福島公民館の前に福島御頭御射宮司社がある。


嘉永2年(1849年)8月3日、上棟。

諏訪市有形文化財である。

社殿の左手に芭蕉の句碑があった。


花本大明神

風流の初やおくの田植うた

 元禄2年(1689年)4月、「奥の細道」の旅で須賀川の 相良等躬亭 で巻かれた歌仙の発句である。

天保15年(1844年)6月、建立。

 「奥の細道」の旅に同行した 曽良 は上諏訪で生まれ、中洲福島の岩波家に養子に入った。

福島の北の辻に 曽良の句碑 があった。


剃捨てて黒髪山の故露もかへ
   曽良
唐土へ雲吹き拂へ十三夜
    自徳
春立つや富士の白雲出でにけり
    素檗
湖へ出久かたの田植かな
    若人

 元禄2年(1689年)4月1日、日光で詠まれた句。

黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。

剃捨て黒髪山に衣更   曾良

 曾良は河合氏にして惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍て黒髪山の句有。「衣更」の二字、力ありてきこゆ。

『奥の細道』

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