このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
神谷玄武坊
正徳3年(1713年)、玄武坊は生まれる。江戸の人。美濃派の俳人。
初め俳諧を
白兎園宗瑞
に学ぶ。後に
仙石廬元坊
に師事。江戸小石川の白山門前に住む。
臨川寺
に「墨直しの碑」がある。
延享の頃(1744〜47)、神谷玄武坊が洛東
雙林寺
の鑑塔を模して建立。
天明5年(1785年)、武長百合坊を頼って酒田を訪れる。
寛政10年(1798年)1月19日、86歳で没。
諸国獅子門の俳人名録
『俳人名録』
がある。
洞雲寺
に寛政10年に俳諧美濃派玄武一門の人々による松尾芭蕉、梅花(
各務支考
)・玄武(神谷玄武)の位牌がある。
梅花佛
芭蕉翁
玄武佛
碑の裏に「文化三
丙寅
年二月建立 白山下連中」とある。
玄武の句
掃さした箒を杖に秋の暮
『
俳諧
三つの手向』
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