このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
岡野湖中
水戸藩士、岡野重成。別号四壁堂、幻窓。
豊島久藏
の友人。
初代湖中は太田資胤。棚倉藩主太田資晴の次男に生まれ、水戸藩家老太田資真の養子となり、家督を継いだ。
別号葛松原人。其角の門人深川湖十に学び、其角の点印「雪月花」・「芭蕉葉」・「半面美人」を譲り受ける。
芭蕉の句碑
を建立。
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉
安永5年(1776年)3月2日、水戸藩士岡野重壽の二男として生まれる。
天明2年(1782年)、太田湖中は「湖中」の俳号と点印を近藤敬恵に伝える。
寛政11年(1799年)7月、近藤湖中は「湖中」の俳号と点印を岡野重成に譲る。
文化元年(1804年)9月12日、古学庵仏兮は甲斐の鰍沢で溺死。
文化5年(1808年)4月19日、奥羽旅行に出る。
文化13年(1816年)11月26日、古学庵仏兮十三年忌の供養塔を建立。
文政10年(1827年)、
『
俳諧
一葉集』
(古学庵仏兮、幻窓湖中編)刊。芭蕉の最初の全集。
湖中の友人由誓が補佐した。由誓は
夏目成美
の番頭
久藏
。
天保2年(1831年)2月26日、56歳で没。
水戸市酒門共有墓地に墓がある。
弘化2年(1845年)、
『芭蕉翁略伝』
刊。
湖中の句
生魚の至リし花の山家かな
『青郊襲号記念集』
人すまばくもりもやせん春の山
『繋橋』
たゞ居ても暮る日なるを木葉散
『物見塚記』
はつ春の人とも見ゆる妻子哉
『随斎筆記』
何とかやいへる山人のめでたりし
蟇、この扉をあるじとすれば、い
づくまでも心かよはぬくまなし。
花の世や垣は結ずもあらまほし
『
俳諧
道中双六』
鳰の子をそだてゝやれよ花真菰
『名なし草紙』
花の人柳のかげに帰りけり
『信濃札』
たゝ居てもくるゝ日成を木のは散
『青かげ』
はつ春の人とも見ゆる妻子かな
『三韓人』
青柳に潜り込だる月夜かな
『迹祭』
世のあかもつかづ
(ず)
五月の真菰草
『椎柴』
めやすかれと作りたてしや雪仏
『しをに集』
眼もはなも撫てかぶるや朝やなぎ
『春秋稿』(第八編)
蝶ひらひら同し月日の中に居て
『わすれす山』
壁土に暮をしてを
(お)
く落葉哉
『五とせ集』
鍋の音するや隣も日みしかき
『塩たはら』
俳 人
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください