このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

街 道東海道


戸塚宿本陣跡

今日は戸塚の街を歩いてみる。


国道1号は東海道。

東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道


歴史の道

東海道戸塚宿周辺散策案内図

 戸塚宿は、品川・ 川崎 ・神奈川・ 保土ヶ谷 に次ぐ5番目の宿場として、神奈川・保土ヶ谷に3年遅れた慶長9年(1604年)に成立しました。

 戸塚宿は、江戸から約10里(40km)で、当時の一般的な旅人の1日の行程の位置にありました。しかも、隣接する宿場の保土ヶ谷と 藤沢宿 寄りに県内では 箱根 に次ぐ難所の権太坂と大坂があることから、江戸を出発した旅人の最初の宿泊地となったようです。

 また、戸塚宿付近は 大山道 や鎌倉道への分岐点であり、大山詣や鎌倉の寺社参詣の人々で大いににぎわったと伝えられています。

まず、 清源院 へ。

本陣跡


澤邊本陣の初祖、澤邊宗三は戸塚宿設置の功労者である。

戸塚

稲塚のとつかにつゞく田守哉
    其角


 天明元年(1781年)9月13日、 加藤暁台 は江戸に出る途中で戸塚の駅に宿る。

   十三夜戸塚の駅 にやどりて

月にゆかば鐘に夜明む建長寺


 享和元年(1801年)2月28日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で戸塚宿に入る。

右に大山路為二五処橋供養一とかける碑みゆ。左に十九番桜木観音堂あり。松間をすぎ土橋をわたり、戸塚の宿にいるに、雨ふりきぬ。左に観音堂あり。行基菩薩の作なりといふ。右に淡島明神の道あり。


 文化2年(1805年)11月17日、大田南畝は長崎から江戸に向かう途中、戸塚宿で休憩する。

十八日夜あけはなれて、藤澤をいでて戸塚の宿なる伊勢屋源七にいこふ。堺木の立場をすぎて、保土ヶ谷にいたり、神奈川の宿、青木の臺よりはるかに江戸の海見わたされて、本船の帆みゆるもうれし。


次に 冨塚八幡宮 へ。

親縁寺 へ。

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