このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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芭蕉の句碑
『奥の細道』
〜北陸〜
薬欄にいづれの花をくさ枕
上越市五智に
五智国分寺
がある。
国分寺山門
山門を入ると、左手に芭蕉の句碑があった。
薬欄にいづれの花をくさ枕
出典は
『俳諧書留』
。
松尾芭蕉「奥の細道紀行300年」記念事業 上越市
芭蕉句碑
薬欄にいづれの花をくさ枕
「薬園の草が秋で美しいが、どれを枕としてここに旅寝をしようかと、主人への挨拶をこめて詠んだもの。」と解される。
元禄2年(1689年)7月8日(旧暦)、高田の医師細川春庵を訪れた時の作句である。春庵は薬草を栽培し、庭は泉水その他美しい庭だったと言われている。
松尾芭蕉は、正保元年(1644年)伊賀上野に生まれ、俳句の道を志し、20歳の頃に初めて俳書に掲載された。寛文12年(1672年)江戸へ出て創作活動を続け、元禄2年3月末、弟子の曽良を伴い奥の細道の旅に出ている。
芭蕉は、旧暦7月2日
新潟
、3日
弥彦
、4日
出雲崎
、5日
鉢崎
(現柏崎市)を経て、6日に今町(
直江津
)を訪れ、翌7日も滞在し、8日から10日まで高田で過ごしたようである。
この句碑は、明和7年(1770年)に建てられたものである。
寛政3年(1791年)5月2日、鶴田卓池は五智国分寺を訪れ、芭蕉の句碑を見ている。
二り五智竹ノ内国分寺
天台宗也本堂十四間
大日如来 薬師如来 弥陀如来 釈迦如来 宝生如来
是ヲ五智ノ如来ト云
山内ニ翁ノ碑
有
薬欄にいづれの花をくさまくら
国分寺本堂
昭和40年(1965年)、
山口誓子
は国分寺に句碑を訪ている。
国道八号線を五智に来て、国分寺の本堂に向って歩いていると、右に白木の塔があり、左のやや高みに芭蕉の句碑があった。
薬欄にいづれの花をくさ枕
この句は、高田の細川春庵亭にての作だ。医師の春庵の家に薬草園があった。その垣に咲くいずれの花を旅の花として寝たものであろうか、と云うのだ。
この句碑は高田にあるべきものである。高田市外に在ると云うから、それでよい。
本堂の手前左手にも芭蕉の句碑があった。
古池や蛙飛こむ水のおと
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞亨3年(1686年)春、
深川芭蕉庵
で詠まれた句。
『奥の細道』
〜北陸〜
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