このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
斎藤茂吉の歌碑
ここに来て落日を見るを常とせり
海の落日も忘れざるべし
諫早から島鉄バスで小浜温泉へ。
国道57号(島原街道)沿いの夕日の広場公園に斎藤茂吉の歌碑があった。
ここに来て落日を見るを常とせり海の落日も忘れざるべし
大正9年(1920年)10月15日午後1時、斎藤茂吉 は小浜温泉に着き柳川屋旅館(現在の伊勢屋旅館)に投宿。
砂濱に外人ひとりところがりて戯れ遊ぶ日本のをみな
鹽はゆき温泉
(いでゆ)
を浴みてこよひ寝む病癒えむとおもふたまゆら
ここに來て落日を見るを常とせり海の落日
(いりひ)
も忘れざるべし
温泉
(うんぜん)
の山のふもとの鹽の湯のたゆることなく吾は讃
(たた)
へむ
『つゆじも』
昭和52年(1977年)10月23日、雲仙小浜ライオンズクラブ建立。
斎藤茂吉記念館によれば、51番目の茂吉歌碑である。
10月20日、斎藤茂吉は小浜温泉発。12時22分、
彼杵
着。夕方
嬉野温泉
に着く。
大正11年(1921年)3月21日、
高浜虚子
は島原鉄道愛野駅から乗合自動車で小浜温泉へ。小浜温泉から貸切の自動車で
雲仙温泉
に行く。
此日の天候は風は凪いで居たが寒さはなほ強い。諫早で島原鐡道に乘り換へて愛野驛で下車。乘合自働車に乘つて小濱につく。小濱までの道は海岸づたひの峠を二三度越えるのである。千々石彎の風光がいゝ。
小濱と言ふ所は温泉宿等もあつて相當賑かな所である。此處で乘合自働車を捨てゝ、貸切の自働車に乘つて温泉に行く。温泉までの道は悉く上り坂であつて、急角度をなして曲つて居る處も多い。それを運轉手は巧みに梶を取つて自働車を驅る。九州ホテルにつく。
「肥前の國まで」
昭和27年(1952年)5月21日、
水原秋桜子
は諫早から雲仙に向かう途中、小浜温泉辺りを通る。
諫早着。バスにて雲仙へ向ふ。小浜温泉あたり 二句
麦熟るゝ日や天草に雲浮び
アマリゝス防波堤内潮あをし
『残鐘』
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