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私の旅日記
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2009年
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観音寺
〜碑巡り〜
飯能市本町に店蔵絹甚があった。
店蔵絹甚
飯能市指定有形文化財
明治37年(1904年)絹問屋(買継商)を営んだ篠原甚蔵、長三親子によって建てられ、平成19年(2007年)に復原修理工事終了。
飯能市山手町に観音寺がある。
観音寺境内の築山に芭蕉の句碑があった。
枯枝に鴉のとまりけり秋の暮
出典は
『阿羅野』
(巻之四)。
延宝8年(1680年)、芭蕉37歳の句。
寛政年間に飯能の俳人轍之が建立したらしい。
碑の裏に轍之の句が刻まれている。
秋のあわれ菊作らすも咲にけり
轍之の句が表ともいう。
轍之は鍋屋與八。
加舎白雄
の門人。
『諸国翁墳記』
に「
はせを塚 武州高麗郡飯能 武陽山般若軒境内 對花堂連建之
」とある。
梅が見事に咲いていた。
参道に
水原秋桜子の句碑
もあった。
むさし野の空真青なる落葉かな
出典は第1句集
『葛飾』
。
昭和49年(1974年)11月10日、馬酔木同人吉良素月及びむさし野馬酔木会有志建立。
久野治『秋桜子句碑順礼』によれば56番目の句碑である。
観音寺の裏が諏訪八幡神社。吉良素月の傘寿を記念した句碑「
稲架とれて野に幻想の獅子の笛
」があったそうだ。
昭和63年(1988年)5月29日、除幕。
福聚堂(福寿堂)
般若山長寿院観音寺
真言宗智山派
の寺である。
飯能市飯能の市民会館前には
若山牧水の歌碑
があった。
しらしらと流れて遠き杉山の峡のあさ瀬に河鹿鳴くなり
第13歌集『黒土』に収録されている歌である。
大正9年(1920年)4月8日、牧水は
名栗鉱泉
に泊まり、翌9日名栗川に沿って飯能にやってきた。
昭和36年(1961年)5月、句碑建立。
大悟法利雄『牧水歌碑めぐり』によれば、30番目の牧水歌碑である。
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