このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2005年

神橋〜蕪村の句碑〜

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国道120で日光市内を行くと、大谷川に架かる神橋(しんきょう)がある。


大谷川に架かる神橋


国の重要文化財である。

 大同3年(808年)、下野国司の橘利遠が山菅橋を架け、以後16年目ごとに架け替える。

 橋は  あさむつの橋 。長柄の橋。あまびこの橋。浜名の橋。ひとつ橋。佐野の船橋。うたしめの橋。 轟の橋 。を川の橋。かけ橋。 勢多の橋木曾路の橋 。堀江の橋。かささぎの橋。ゆきあひの橋。小野の浮橋。山菅の橋。名を聞きたるをかし。うたたねの橋。

『枕草子』(65段)

 文明18年(1486年)、道興准后は神橋を訪れている。

此の山にや、やますげの橋とて深秘の子細ある橋侍り、くはしくは縁起にみえ侍る。又、顕露(あらは)に記し侍るべき事にあらず。

  法の水みなかみふかく尋ねずば、かけてもしらじ。山すげの橋


描かれた神橋と山内


小杉放菴 記念日光美術館のポスターである。

今年の4月20日から神橋の「特別公開」が始まった。

NIKKO is NIPPON


こちらはJRのポスター。

特設観覧台から下部構造を見学できるのは約1年間。

下部構造が見たいわけではないが、今回を逃すと一生見られない。

料金は500円。

多くの人が神橋を渡る。


神橋の下部構造


 神橋はアーチ形の木造反り橋で、その構造から 錦帯橋 (山口県)・ 猿橋 (山梨県)と並んで日本三奇橋のひとつに数えられているそうだ。

見たからといって、どうということはない。

 元禄9年(1696年)、天野桃隣は宇都宮から神橋を訪れている。

 是ヨリ宇津宮へ出て日光山。

 御山へ登れば案内連ル。神橋、山菅橋と云。


 享保元年(1716年)4月15日、稲津祇空は奥羽行脚の途上早見晋我・常盤潭北と神橋を訪れる。

十五日、案内して社参、先さし入山口しるく、玉欄干の長橋 今も這よこたふ竜のことし。

山菅の茂みや御橋あかねさす
   晋我


 元文3年(1738年)4月16日、 田中千梅 は松島行脚の途上、宇都宮から日光山へ。神橋のことを書いている。

(ユアミ)(クチスゝキ)して先拜詣す大谷川前に渡る橋ふたつ並ひ立寄に山菅と讀道の上なるは神橋と称して行桁欄干渡板大に彩色金物きらひやか也下の橋を渡て御山に登


 宝暦2年(1752年)、白井鳥酔は神橋で句を詠んでいる。



   蛇の入跡や乳の本の穴かしこ


 明和元年(1764年)12月10日、内山逸峰は山菅の橋で歌を詠んでいる。

 山菅の橋を見てけるに、言の葉につきたる色どり也。

   色どりをみがきそへつゝ冬枯も見えぬゆきゝの山菅の橋

 だいや河ときけど歌枕にもあらねば、折句にてよめる。

   たぎる瀬はいる矢もを(お)そき山川のかはらぬながれわたるうれしさ


神橋(しんきょう)蕪村 の句碑がある。


二荒や紅葉の中の朱(あけ)の橋

蕪村29歳頃の作と言われるそうだ。

明治25年(1892年)、 正岡子規 は神橋を句に詠んでいる。

神橋は人も通らす散紅葉

『寒山落木』(巻一)

小杉放菴記念日光美術館 へ。

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