このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

弘法寺〜「萩墳」〜
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萩市土原の松本川沿いに弘法寺という寺がある。

寄舟山弘法寺


真言宗 御室派の寺がある。

本堂の左手に「萩墳」があった。


   獅子庵蓮二法師
芭蕉翁桃青法師 老與歸童仙
   明譽廬元法師   古萩園社中建

文化4年(1807年)、古萩園一世加辺里川建立。

安永の初め、加辺里川は美濃に至り 田中五竹坊 の下で蛍雪の巧を積む。

文化12年(1815年)1月22日、歿。享年79。

萩墳   長門萩城下寄舟山弘法寺在リ

長藩萩府寄舟山龍華園の境内に、
弐間四面に石をしき、石の韓櫃を埋。
祖翁所持の廃筆一管、露の萩の短冊、
江州粟津本廟の土砂獅子門
道統代々の萩の句、真蹟色紙短冊、
美濃の宗師墳墓その所々の土砂、是を
筥に入れ、紫銅版にその旨趣を精細に
彫刻し相添へ、からりとの中に納め石蓋を
覆ひ、上に高サ壱丈尺余の石を建て、面に
祖翁より美濃代々宗匠の諡名を
隷書に鐫し、古萩園里川社中
ミつから土砂を運ひ造立して、
列祖の萩墳と敬称す。

しら露をこぼさぬ萩のうねり哉


 石棺に芭蕉の廃筆「しら露もこほさぬ萩のうねり哉」の短冊、 義仲寺 の土、支考の「六月によき隣あり萩の花」、廬元坊の「竿鹿もねに來よ萩の一夜庵」五竹坊・以哉坊等の真筆短冊等を納めて埋めたようである。

「萩墳」の右に雪炊庵句碑があった。


萩に花のさく時来るも来たことよ

雪炊庵は 安田以哉坊 の別号である。

 「萩墳」の左に横たわっていたのが、 各務支考 の「六月によき隣あり萩の花」句碑であろう。

山根素全句碑


星の光り尖く
秋の暮て行

素全は萩藩士。名は半七、諱は忠成、初め雪汀園、後に六花園と称した。

万延元年(1860年)9月27日、兵庫の陣営に歿す。

弘法寺には、他に歌碑や句碑もあるようだが、よく分からなかった。



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