このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 人

安田以哉坊
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黒野村(現:岐阜市黒野)の人。通称忠兵衛。雪炊庵。 五竹坊 の門人。

 宝暦5年(1755年)、東武行脚。『葛の別』・『茶摘笠』

 宝暦8年(1758年)、美濃派(獅子門道統)五世を継承。

 明和2年(1765年)、奥羽行脚。 『奥羽行』 (以哉坊編)

 明和6年(1769年)10月12日、帰童仙門人の恵方庵富無三は 「落葉塚」 を建立。

落葉つかやいとなみ事も有のまゝ
   以哉坊

 けふといふけふ光る初霜
   無三

母か手に着て来た衣装風入れて
   麦士

『落葉川』

 以哉坊の「松島の膝でもみきる舟の呉座」に師匠の五竹坊が「眺めにもめる」と加朱したところ、それ以来子弟の間に争いが出来、破門されたという。

 安永3年(1774年)8月、筑紫を訪れ 太宰府 に参詣している。

 安永4年(1775年)3月21日、楊柳舎以文の妻女世理は以哉坊を訪ねた。

   過し比北越経回ありし折から、我亭にもやとし参ら
   せける以哉老師のもとを尋ねて
  世理
旅姿春の山にも笑われん

届く誠の笠ハ霞ます
   以哉坊


 安永5年(1776年)、富田無三は尾張・美濃紀行。以哉坊を訪ねる。

   一年一年と雅師のもとへ訪ひおくれし
   かことし菊の莟めるころ来杖の折から
   例の教戒の浅からさるより猶はたした
   はしかりしかしはらくのいとまを得し
   も風雅の幸ひならんと此冬はしめて雪
   炊庵を窺ひ侍りて
  無三
寒菊やなつかしい香も秋以来

秋以来また塵に置く霜
   以哉坊


安永9年(1780年)8月29日、66歳で没。

文化3年(1806年)3月、 野村白寿坊「永観堂連塔」 を建立。

第五世 安田以哉坊


つつたつて杉こころなしけさの雪

山県市の 洞泉寺 に以哉坊の句碑がある。


うぐひすのいくつも捨てはつ音かな

関ヶ原町の 美濃不破関跡 に雪炊庵の句碑がある。


名月や雲有りてよしなふてよし

第九世宗匠 山本友左坊 、建立。

福井県あわら市の 総持寺 に以哉老師の笠塔がある。


 福岡県吉富町の 天仲寺公園 にある美濃派の句碑に「つゝ立て杉こゝろなしけさの雪」の句が刻まれている。

以哉坊の句

松くれた人に見せたし今朝の雪


鶏頭や十王堂のつかみたて


雉子啼やもとより山は無一文


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