このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

お気に入り読書WEB
あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や・ら・わ行 イラストでんしゃ図鑑 HOME


藤沢周平 (ふじさわ・しゅうへい) 1927〜1997。




川霧  (新潮文庫「橋ものがたり」に収録)
短編。思いつめた顔をして永代橋の上に立っていた若い女・おさとと出会った蒔絵師の新蔵。「新蔵さん、あたしをどこかにさらって行って。そしてめちゃめちゃにして」。いかがわしい匂いのする飲み屋「花菱」で酌婦として働いていたおさとと一緒に暮らし始めた新蔵だが、突然おさとは姿を消してしまう。おさとが姿を消した理由(おさとが永代橋の上に立っていた理由)を知った新蔵は、もう彼女を探してはいけないのだと自分に言い聞かせるが…。出会いと再会の舞台である永代橋が感動を演出していて素晴らしい。珠玉の短編。

帰還せず  (新潮文庫「時雨みち」に収録)
短編。命令に背いて江戸へ帰還しない同僚・山崎勝之進の探索を命じられた公儀隠密(おんみつ)の塚本半之丞。山崎は帰還する途中で殺害されたという情報を得た半之丞だが、死人は山崎に仕立てられた別人であった。山崎が任務で潜入していた小出(こいで)加治藩で、山崎の行方を捜す半之丞は、山崎が奉公人に化けて住み込んでいたお茶屋「播磨屋」を張り込むが…。「どっちみち、貴公は死んだと報告することになる」、「二度死なせることもあるまい。ん?」──。人情が命取りになるという非情なる隠密の世界を描く。

鬼気  (文春文庫「夜の橋」に収録)
短編。鷲井道場との対抗試合に三年連続で勝利し、祝杯を挙げる雨宮道場の三人の剣士(徳丸弥一郎、鳶田勇蔵、平野作之丞)。物頭の保科弥五兵衛から、藩内に細谷久太夫という剣の名人の噂のある人物がいると聞かされた若い平野だが、すっかり慢心している彼は、その噂を信用しようとしない。細谷の実力を確かめるため、三人はある方法を試みるのだが…。「そんなに気になるか。それじゃ物頭が言われたように斬りかかってみるか」、「まさか」──。噂の真相を知った平野たち三人と保科との心境のギャップが面白い。

帰郷  (文春文庫「又蔵の火」に収録)
短編。久し振りに故郷である木曽福島に帰って来たやくざ者の老人・宇之吉。飲み屋の若い酌女・おくみが、昔の恋人であるお秋の娘で、実は自分の子供であることを知り、衝撃を受ける。昔、犬猿の仲であった賭場の親分・九蔵が、おくみにちょっかいを出していて、しかも、おくみの恋人・源太の命を狙っていると知った宇之吉は、博奕打ちらしく、賽子(さいころ)で九蔵と勝負するのだが…。「親分面が笑わせるぜ。おめえ一体俺を誰だと思って、さっきから大口叩いていやがる」。老主人公の格好良さの中にある悲傷を描いて秀逸。

恐喝  (文春文庫「又蔵の火」に収録)
短編。育ての親である伯父夫婦の愛情に恵まれず、博奕打ちになった竹二郎。賭場の胴元・善九郎の命令で、太物屋「結城屋」の若旦那・保太郎を恐喝する竹二郎だが…。履物商「備前屋」の娘・おそのへの義理…、姉弟のように育った伯父の娘・おたかへの思慕…。「俺に逆らった奴が、どうなったか、おめえが一番よく知っている筈だぜ」。匕首(あいくち)の恐怖がまともに伝わってくる描写が凄い!

狂気  (新潮文庫「闇の穴」に収録)
短編。幼女強姦殺人を調べる同心・塚原主計は、少女が握っていた根付けから、材木問屋の主人・新兵衛を割り出す。塚原の取り調べに、根付けは道で落としたものだと主張する新兵衛だが…。「十万坪のところで、女の子が殺されたことを聞いているかな」、「はい、聞いております。恐ろしいことでございます」、「あんたがこいつを落としたというのは、その日のことじゃねえのかい」、「思い出しました。確かにあの日のことでございます」。何気ない事情聴取のやり取りから犯人を見抜く塚原の手腕。変態性欲の狂気を描いた捕物帳。

恐妻の剣  (新潮文庫「竹光始末」に収録)
短編。藩で預かっている、もと平岩三万石の城主・奥津兵部の家臣二人(平賀八兵衛と菅野甚七)が逃げ出した。このままでは藩の監視不行届きとなってしまう一大事だ。二人を捕まえる役目を引き受けた一刀流の遣い手である無役の馬場作十郎は、険しい山道を進み行き、遂に二人に負いつくが…。「どうなさったんですか、一体。ゆうべはどこにお泊りですか。雄之進の話では馬で遠乗りに出たとかいう話ですが、長い馬責めですこと」、「………」。藩の窮地を救うヒーローも、恐妻(初江)の前ではまったくの形なし。男はつらいよ。

疑惑  (文春文庫「花のあと」に収録)
短編。蝋燭商河内屋に賊が入り、主人の庄兵衛が刺殺された。もと河内屋の養子で悪党の鉄之助が逮捕されるが、殺害を否定する。鉄之助の言い分をもう一度確かめるため、再調査に乗り出した定町廻り同心・笠戸孫十郎は、事件の真相を突き止めるが…。「あの晩、おふくろさん、つまりお前に金を貰いにきた。しかし庄兵衛は殺していない、というんだよ」、「どういうつもりかしら。そんなことを言って」──。法と罪の裏側に潜在する負の要素を浮き彫りにした捕物帳。事件を解決するも暗く重い気分になる孫十郎の姿が印象的。

(くしゃみ)』  (新潮文庫「霜の朝」に収録)
短編。素行の悪い藩主・左近将監の異母弟・織部正を成敗する上意討ちの討手に選ばれた青年藩士・布施甚五郎だが、実は彼には奇癖があった。心身が極度に緊張すると、嚔(くしゃみ)が激しく出てしまうのだ。討手としては致命的な弱点といえる“嚔持ち”を甚五郎は克服することができるのか? 「嚔でござる」、「………?」、「さよう。それがし嚔をこらえただけでござる」、「嚔……でございますか」、「さよう。厄介な病いでござる」──。妻・弥生との馴れ初めのエピソードが実に微笑ましく、そのエピソードを活かしたラストも巧い!

暗い渦  (新潮文庫「神隠し」に収録)
短編。八年前に別れた女・おゆうを偶然に見かけた筆屋「亀屋」の主人・信蔵。いいところに嫁に行って、幸せに暮らしていると思っていた信蔵は、酒乱の夫と裏店住まいをしているおゆうの姿に驚きを覚える。なかば許婚(いいなずけ)だった美人のおゆうではなく、器量の悪いおぎんと一緒になった八年前の出来事を思い出す信蔵だが…。「今日は、おゆうちゃんと、お酒のもうと思ってるんだ。花見に酒はつきものだからな」、「あたしが酔って帰ったりしたら、おっかさん、きっと驚くわよ」──。若い男女の心の動きを見事に描いて秀逸。

溟い海(くらいうみ)』  (文春文庫「暗殺の年輪」に収録)
短編。安藤(歌川)広重が風景画「東海道五十三次」を描いて評判になっていると聞き、気が気でない浮世絵師・葛飾北斎。版元から解約された渓斎英泉の後釜が、自分ではなく広重に決まったと知った北斎は、広重に憎しみを感じ、嫉妬(しっと)を覚えるが…。「先生の風景とは、また違った、別の風景画を見たという気がしました」、「別の風景画か」──。「富嶽百景」が不評で、落ち目となった老齢の北斎の心境(孤独)を、一人の女性(北斎の息子・富之助の女・お豊)の零落していく姿を交えて描く。オール読物新人賞受賞作。
→藤沢周平「旅の誘(いざな)い」

黒い繩  (文春文庫「暗殺の年輪」に収録)
短編。婚家を離縁され、実家に出戻った材木商「下田屋」の娘・おしの。家の長屋に住んでいた宗次郎と十数年ぶりにばったり再会したおしのだが、宗次郎は恋人・おゆきを殺した容疑で追われていた。宗次郎を執拗に追跡する元・岡っ引の老人・地兵衛。おゆきを殺した本当の犯人(おゆきを囲っていた正体不明の男)を探し続ける宗次郎の身を案じるおしの。出戻りで、この先の希望がないおしのは、宗次郎に恋心を抱き、身を任せるが…。「捕まってもいいの。人殺しの情婦でいいのよ。連れて行って、お願いよ」──。意外なる真犯人の明示に驚き、主人公のひたむきでひたすらな愛に感動を覚える。完璧な筆致で描かれる時代推理&悲恋物語。

玄鳥  (文春文庫「玄鳥」に収録)
短編。藩の物頭(ものがしら)で、高名な剣士でもあった亡父・末次三左衛門の秘蔵の弟子・曾根兵六が、脱藩者の上意討ちに失敗した責任を取らされ、大坂に左遷された後、上意討ちにされるという理不尽な運命にあることを知った三左衛門の娘・路は…。つばめの巣を平気で取り払ってしまう冷淡な夫・仲次郎との結婚生活…、粗忽(そこつ)者である兵六との楽しい少女時代の思い出…。「むかしはつばめの赤ちゃんが沢山生まれて、それはそれはにぎやかだったものだけれど」──。女主人公の青春の終焉を描いて切ない。

好色剣流水  (文春文庫「隠し剣秋月抄」に収録)
短編。若いころは井哇(せいあ)流の遣い手として知られたが、いまは家中(かちゅう)きっての好色の人物という評判が立っている中年藩士・三谷助十郎。ただ当の本人は、評判は大げさに過ぎて、割りにあわず、ぜひとも願い下げにしてもらいたいものだと思っている。近習頭取・服部弥惣右エ門の後妻・迪(みち)に一目惚れした助十郎は、彼女を待ち伏せして、後をつけて歩くようになるが…。「お噂とはちがい、ほんとうに生まじめでいらっしゃるお方」──。どこまでも女性本位な“好色漢”ぶりが面白く、死に様も素敵に格好いい。

告白  (新潮文庫「神隠し」に収録)
掌編。本店(ほんだな)の信濃屋に嫁入った娘・お若の婚礼から帰宅した善右衛門。初夜で泣き出して善右衛門を困らせた妻・おたみも、今では三人の子供を生み、どっしりと家に居ついていることを考え、お若について何も心配はないと安心する。まだ夫婦が若かった頃、おたみが夜遅くまで帰って来なかった出来事があったと思い出した善右衛門は…。「べつに怒りはしないから、ほんとのことを言ってみなさい」、「そんな大げさなことじゃないんですよ」──。夫婦というものの気味悪さ(女というものの本質)を的確に描いて面白い。

小鶴  (新潮文庫「神隠し」に収録)
短編。もはや名物になっている夫婦喧嘩のせいで、養子の来手(きて)がまったくない神名(かんな)吉左衛門と妻・登米(とめ)の夫婦。橋の上で放心していた旅姿の若い娘を保護した吉左衛門だが、娘は小鶴という自分の名前以外は何も憶えていなかった。子供のいない夫婦二人だけだった生活が、小鶴の存在によって楽しいものとなり、すっかり夫婦喧嘩もなくなった吉左衛門と登米。小鶴を養女にして、婿(むこ)を迎える手筈も整えるが…。「ああして、月を眺めているのか」、「月見もそうですけど、自分でも何か考えているのでございましょ。あわれな」、「まるでかぐや姫だの」──。記憶をなくすほど思い出したくない過去の出来事とは? 藤沢周平版「かぐや姫」。

小ぬか雨  (新潮文庫「橋ものがたり」に収録)
短編。殺人を犯して逃亡中の若い男・新七を、一人暮らしの家にかくまったおすみ。野卑な下駄職人・勝蔵との縁談が決まっている彼女の気持ちは、火の気のない灰のように冷えびえとしていたが、新七との運命的な出会いによって、心が掻き立てられ、擽(くすぐ)られる…。「もっと早く、あんたのような人に、会っていればよかった。そうじゃなかったから、こんな馬鹿なことになってしまった」、「逃げて。わたしも一緒に行く」──。切なすぎる恋に涙、涙…。“一瞬間の激しいときめき”つながりで、松本清張の短編「張込み」もオススメ。

ごますり甚内  (新潮文庫「たそがれ清兵衛」に収録)
短編。不本意な減石処分を早く解除してもらいたい川波甚内は、上役にごまをすりまくるが、まったく効果がない。家老・栗田兵部から、家禄を元に戻してやると言われた甚内は、命じられた役目を果たすが、何者かに襲撃された挙句、減石解除の知らせもない始末。いつの間にか藩内の不正事件に巻き込まれてしまった甚内は…。「家禄を旧に返したさに、栗田どのに合力したげにござる」、「それではわしが返してやろう。ただしその前に、藩のために働け」。ごまする必要がなくなっても、ごますりをやめられない甚内の姿が面白い。

孤立剣残月  (文春文庫「隠し剣秋月抄」に収録)
短編。十五年前、脱藩人・鵜飼佐平太を上意討ちにした小鹿七兵衛。鵜飼家の再興が許された佐平太の息子・半十郎が、江戸から帰国した後、果たし合いを申し込んでくると知った七兵衛は、愕然とする。何とかして果たし合いを回避したい七兵衛は、親戚や上司の間を走り回るが、すべて徒労に終わる。妻・高江も実家に帰ってしまい、もはや孤立無援となった七兵衛は、半十郎との対決を余儀なくされる。しかし、半十郎は付け入る隙のまったくない強敵であった…。「来ては、ならん」──。劇的なラスト!!! 絶品の剣客小説。

殺すな  (新潮文庫「橋ものがたり」に収録)
短編。船宿のおかみ・お峯(みね)の誘惑で駆け落ちした船頭・吉蔵だが、人目を忍ぶ生活に倦(あ)きたお峯が、元の家に戻りたがっていることに不安を覚える。「言っておくがな、お峯。この橋を渡ったら、殺すぞ」。まだ若い吉蔵のためにも二人は別れた方がいいと考えるお峯は、隣の家に住む病身の浪人者・小谷善左エ門に相談するが、善左エ門は妻を殺した過去を引きずって生きていた…。「いとしかったら、殺してはならん」。人間というやつは、なんてえ切ねえ生き物なんだ──。感動のラスト。善左エ門の言葉が心に沁みる。

歳月  (新潮文庫「霜の朝」に収録)
短編。あのひとは、まだ私を忘れていない──。筆職人の信助のことを想いながらも、やむなく材木問屋「上総屋」に嫁入ったおつえだが、妾(めかけ)のいる夫・芳次郎とは、心が通うことはなかった。信助から貰った筆をずっと大切に持っているおつえは、妹のさちと一緒になった信助の家を訪ねるが…。「いや、こうなるとわかってたら、あのとき…」、「だめよ。それを言っちゃだめ、信助さん」──。過ぎた歳月は、もう取り戻すことが出来ない。ラストで見せる主人公の心境のように、開き直った前向きな気持ちで生きたいね。

賽子無宿  (文春文庫「又蔵の火」に収録)
短編。二年ぶりに江戸へ帰って来た壺振りの喜之助。屋台の女・お勢の親切に触れた彼は、彼女が借金のために妾になる運命にあることを知る。お勢を救うため、賭場でいかさまをやる喜之助だが…。「あの三味線は、あんたが弾くのか」、「娘のころに弾いたの。でもいまは持ってるだけ。たまにはいい日もあったんだと思うものが、なんにもないと惨めでしょ」。癒しようのない悔恨を描いて心に沁みる。

相模守は無害  (文春文庫「闇の梯子」に収録)
短編。東北の小藩・海坂藩での十四年におよぶ隠密探索を終えて、江戸に帰って来た公儀隠密の明楽箭八郎(あけら・やはちろう)。箭八郎の暗躍で、失脚したはずの海坂藩の家老・神山相模守(藩主・右京亮(うきょうのすけ)の弟)が、すぐにまた藩政に復帰したことを知った箭八郎は、再び海坂藩に潜入する。自分が隠密であることを相模守にすっかり見抜かれていたことを知った箭八郎は屈辱を感じる…。「よくも公儀隠密をお嬲(なぶ)りなされた」──。凄まじい臨場感のラスト! 隠密としてのプライドを描いてチョー格好いい。

寒い灯  (文春文庫「花のあと」に収録)
短編。「大体ね、家をとび出した女房に、母親が風邪をひいたからって看病を頼みに来るひとがありますか。あたしゃてっきり、頼んでおいた去り状を持って来たのかと思ったのに」。料理茶屋「小松屋」で働く酌婦のおせん。姑(しゅうとめ)のおかつの悪態が原因で、夫・清太の家を逃げ出した彼女は、店の客である喜三郎と一緒に暮らしたいと思うようになる。去り状の催促を兼ねて、清太の家を訪れたおせんは、病気のおかつの世話をするが…。“寒い灯”が実は自分にとってかけがえのない暖かい灯であったと気づくラストが感動的。

三月の鮠(はや)』  (文春文庫「玄鳥」に収録)
短編。傲慢な家老・岩上勘左衛門の倅・勝之進との剣術の試合に負けて以来、覇気がなくなってしまった青年藩士・窪井信次郎だが、村の社で出会った巫女(葉津)の清らかさに心が洗われる。葉津は番頭・土屋弥七郎の一家が惨殺された事件で、ただ一人生き残った弥七郎の娘であった。岩上が事件の首謀者であると知った信次郎は…。「これで去年、あんな負け方をしたとは信じられません」、「まわりの期待が重すぎて潰れたということだろう。しかしまわりに罪はない。本人が未熟だったのだ」。卓越した描写力と感動のラスト!

三ノ丸広場下城どき  (新潮文庫「麦屋町昼下がり」に収録)
短編。藩主の密書を携えた使者・田口庄蔵の護衛を引き受けた中年藩士・粒来重兵衛だが、待ち伏せの襲撃で、田口が殺され、重兵衛も手傷を負ってしまう。この一件が、藩政を牛耳っている次席家老・臼井内蔵助の仕組んだ罠であったと知った重兵衛は、臼井と対決するため、好きな酒を断ち、なまった身体を鍛え直すが…。若い頃に、剣で争い、女子で争って、重兵衛に及ばなかった臼井の屈折した憎悪と藩内抗争の激化…。怪力の持ち主である遠縁の女・茂登(もと)との交流…。「なぜ、その娘を後添いにもらわぬ」、「はあ、いろいろと事情もありまして」、「たわけたことを申す。それが四十を過ぎた男の言うことか」──。緊張と緩和の妙。絶品の時代小説。

時雨のあと  (新潮文庫「時雨のあと」に収録)
短編。怪我で鳶職をやめて以来、博奕に明け暮れる兄・安蔵と、兄は真面目に錺師(かざりし)の修行をしていると思い込んでいる妹・みゆき。妹を女郎として働かせている安蔵は、借金を作っては、妹のところへ金を無心に行くのだが…。「お前のことが心配で、風邪をひいているのに雨の中を無理に訪ねてきて、この始末だ。一体近頃どこをうろついているんだ。妹を女郎になんぞ売りやがって、その金で遊び歩いているのは、どういう了見だ」。どこまでも兄を慕う妹の姿がいじらしい。この結末では心許ないが、後は信じるしかない。

時雨みち  (新潮文庫「時雨みち」に収録)
短編。奉公人仲間だった行商の市助に、昔のよしみで品物を卸してやっている大店(おおだな)「機(はた)屋」の主人・新右衛門は、市助からおひさの境遇を聞かされる。奉公先の女中だったおひさと好き合っていた新右衛門だが、「機屋」の婿養子になるため、おひさを無慈悲に捨てたという過去があった。おひさが今、裾継ぎで女郎をしていると知った新右衛門は、おひさに会いに行くが…。「昔のお詫びだってつもりだろ? 罪ほろぼしのつもりだろ? 冗談じゃないよ」──。やり直しのきかない人生の悲哀を描いて深いものがある。

静かな木  (新潮文庫「静かな木」に収録)
短編。五年前に隠居した布施孫左衛門は、他家に婿入りした次男・邦之助が、中老・鳥飼郡兵衛の息子・勝弥と果たし合いをすることになったと知る。郡兵衛とは因縁のある孫左衛門。二十年前、不正を働いた郡兵衛を助けてやった孫左衛門だが、それがために家禄を減らされ、難を逃れた郡兵衛は、その後みるみる立身を遂げたのだ。「あの男と二度とかかわり合うこともあるまいし、と思っておったが、邦之助の一件が出てきた。今度は黙っているわけにはいかぬ」──。事件の前後で変化する老主人公の心境が素晴らしい。

滴る汗  (新潮文庫「時雨みち」に収録)
短編。城内出入りの商人である森田屋宇兵衛。しかしその正体は、祖父の代から続く公儀隠密(おんみつ)であった。徒目付(かちめつけ)の鳥谷(とや)甚六から、藩が隠密の存在に気づき、既に手配が済んでいると聞いた宇兵衛は、逃れられない運命にはまったような恐怖に襲われる。かつて森田屋に奉公していた老人・茂左衛門の存在を思い出した宇兵衛は、すぐさま証拠隠滅を図るが…。「おや、お前さん。どうしたのかしら、汗でびっしょりですよ」──。隠密であるがゆえに犯した取り返しのつかない間違い! 皮肉なラスト。

失踪  (新潮文庫「龍を見た男」に収録)
短編。唯でさえ、呉服屋の商いで大忙しなのに、すっかり耄碌(もうろく)してしまった老父・芳平(よしへい)の面倒が重なって、疲労困憊(こんぱい)の日々を送っている徳蔵とおとしの夫婦。そんな中、芳平がいなくなってしまったことに気づき、心配する二人だが、悪党たちに身代金目的でかどわかされたと知って“安心”する…。老父の面倒から解放された時、気づかされることとは? 「もう、今夜は決着をつける気で来たんだ。いつまでも寝しょんべんたれのじいさんをあずかっちゃいられねえ」。介護問題をユーモラスに描いた快作。

しぶとい連中  (文春文庫「暁のひかり」に収録)
短編。身投げしようとした母子(みさという女と子供二人)を助けた博奕打ちの熊蔵だが、それがために家に居坐られてしまい、すっかり家族のように棲みつかれてしまう。扶養の金が必要になった熊蔵は、いかさまに嵌めた博奕打ちの勢五郎の借金取立てという危険な仕事を買って出るが…。「飯炊きだって、洗い物だって一人で出来らあ。面倒なときはやらねえ。そういう流儀が俺は好きなのよ。女なんかおめえ…」。女房子供に逃げられ一人暮らしを“謳歌”していた男にもたらされた“幸福という名の災難”をユーモラスに描いて秀逸。

霜の朝  (新潮文庫「霜の朝」に収録)
短編。「どういう男かいね、その紀ノ国屋というのは?」。日光東照宮の用材請負いで巨利を得た材木商・奈良屋茂左衛門(もざえもん)。やはり材木商として成功した豪商・紀ノ国屋文左衛門と競(せ)り合って、吉原で豪遊する茂左衛門は、豪快に儲けて豪快に金を使う「紀文」に、自分の血に近いものを感じるが…。「紀文」に勝った「奈良茂」の喜びのない物寂しい心境を、金の力で服従し得なかった少女・お里への心境も絡めて描く。金は溜めるためにあるのではなく、使うためにあるという考えに賛成だけど、肝心の金が…(悲)。



このページのトップへ      HOME





お気に入り読書WEB   Copyright (C) tugukoma. All Rights Reserved.   イラストでんしゃ図鑑


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください