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藤沢周平 (ふじさわ・しゅうへい) 1927〜1997。




邪剣竜尾返し  (文春文庫「隠し剣孤影抄」に収録)
短編。浪人・赤沢弥伝次から執拗に剣術の試合を挑まれている青年藩士・檜山絃之助。不動のお堂で夜籠りした時に、甘美な一夜を共にした女が、赤沢の女房であったと知った絃之助は、赤沢との対決を覚悟する。赤沢に勝つためには、絃之助の父・弥一右エ門が編み出した秘剣「竜尾返し」を身につけるしかないが、病気で寝たきりの父から何も聞き出すことができず、絃之助は絶望を感じる…。「どうだお主。真剣でやらんか。木刀では勝負の味が悪い」、「初めからそのつもりだったのだろう」──。“隠し剣”シリーズの一編。超絶。

十四人目の男  (新潮文庫「冤罪」に収録)
短編。東北の小藩・粟野藩で、十三人の家臣とその家族が反逆罪で断罪されるという事件が起きた。青年藩士・神保小一郎は、組頭・藤堂帯刀に嫁いだ一歳年上の叔母・佐知も打首になったことに心を痛める。秘匿された事件を探る小一郎は、十四人目の男、即ち友人・八木沢兵馬の裏切りによって、十三家が断罪になったことを突き止めるが…。「待て。いま貴様と斬り合うわけにはいかんのだ。密告はしたが、これには訳がある」、「なんだと」。藩の宿命を劇的に描いた幕末もの。長編を読み終えたような深い読後感が味わえる。

宿命剣鬼走り  (文春文庫「隠し剣孤影抄」に収録)
中編。元大目付・小関十太夫の長男・鶴之丞が、伊部伝七郎との果し合いの末に死亡した。伝七郎の父・帯刀(たてわき)は、十太夫にとって、剣友であり、恋敵であり、政敵でもあった宿命の人物だった。帯刀との長く悪しき因縁(人のはからいを超えた、まがまがしい運命の手)によって、娘・美根も、次男・千満太も死亡し、家の存続がついえてしまった十太夫は…。「貴様と斬り合って死ぬも一興と、心を決めたぞ」、「よかろう、小三郎(帯刀)。存分に斬り合うぞ」。凄惨な展開で驚くが、男の美学という観点からすればハッピーエンドか?

酒乱剣石割り  (文春文庫「隠し剣秋月抄」に収録)
短編。酒が好きで好きで堪らない飲んだくれの下級藩士・弓削(ゆげ)甚六だが、次席家老・会沢志摩から剣客・松宮左十郎の成敗を命じられた上、使命が終わるまで禁酒するよう命じられ、困惑する。左十郎は、君側の奸(かん)である松宮久内の倅(せがれ)で、甚六の妹・喜乃を弄んだ上士の倅・稲垣八之丞の仲間であった…。「かくいうそれがしは、弓削甚六。あなどることは許さん」。下級武士の悲哀と矜持を描いて出色の剣客小説。“隠し剣”シリーズの二冊「隠し剣孤影抄」「隠し剣秋月抄」は文句なしの超オススメにつき必読。

証拠人  (新潮文庫「冤罪」に収録)
短編。「百石!」。二十三年前の関ヶ原の役での功績が認められ、百石という高待遇で仕官を果たす好機を得た浪人・佐分利七内。しかし、仕官の条件として、手柄を知る者の証拠書付けが必要となった七内は、証拠人・島田重太夫の行方を探すが…。「これはご内儀。亭主どのはご在宅か」、「重太夫は死にました」、「死なれたとな?」。百姓となった重太夫の未亡人・ともの好意に、迎え入れてくれる場所を見出す…。「心配いらぬ。夜這いは、それがしが防いで進ぜる」。幸福は夢を諦めた時やって来る、そんな心温まる感動作。

消息  (文春文庫「夜消える」に収録)
短編。五年前に失踪した夫・作次郎の姿を近ごろ見かけたという消息を頼りに、作次郎の行方を捜し始めたおしな。太物屋「伊豆屋」の手代だった作次郎はなぜ突然に姿を消してしまったのか? 女が出来て、店の金を持ち逃げしたのだろうか? 何かに追われるように転転と居所を変えていた作次郎と遂に再会を果たしたおしなは、意外な真相を知る…。「あのおとっつぁんは、目をはなすとすぐにいなくなるひとだから、そばにいてやんないと」、「そう、すぐにいなくなるからね」──。人生の出直しを明るく前向きに描いて素晴らしい。

女難剣雷切り  (文春文庫「隠し剣秋月抄」に収録)
短編。はじめの妻には死別し、二人目、三人目の妻には次々と逃げられ、雇った女中たちも一年前後で辞めていくという、よくよく女運のない、じじむさい中年藩士・佐治惣六。物頭・服部九郎兵衛のすすめで、四度目の妻・嘉乃を迎えるが、またしても夫婦仲はしっくりいかない。そんな惣六を物笑いの種にする家中の人々。夫に馴染(なじ)もうとしない嘉乃の理由(醜悪な秘密)を知った惣六は…。「今枝流に、雷(いかずち)切りという秘剣がござる。受けてみられるか」──。醜男(ぶおとこ)の女難をユーモラスに描いて超面白い。

捨てた女  (新潮文庫「驟り雨」に収録)
短編。頭がのろいと人からバカにされている矢場の少女・ふきに同情した歯みがき売りの信助は、彼女を引き取って、所帯を持つ。しかし、博奕にのめり込むようになった信助は、ふきをうすのろと罵り、殴るようになり、仕舞いには、ふきを捨てて家を出て、小間物屋の女・おはつと暮らし始めるが…。「かみさんて柄じゃねえや。半人前のうすのろさ」、「そんなこと言うもんじゃないよ」──。身勝手な男の取り返しのつかない後悔を描く。信助のことをボロクソ言うのは簡単だが、まずは自分が“何様”であるのかを見失わずに生きたいと思う。

切腹  (新潮文庫「龍を見た男」に収録)
短編。同じ道場で剣の腕を磨き、親友でもあったのに、次第に不仲となり、遂には交わりを断ってしまった丹羽助太夫と榊甚左衛門。出世して郡代の要職を勤める甚左衛門が、不正を働いて切腹になったと知った助太夫は、「甚左が不正を働くわけがない。これには必ず裏がある」と調査に乗り出すが…。「はたして推察のとおり、安斎家老が不正を働いているなら、おぬしの身の上は甚だ心もとない。気をつけろ」。不仲でありながら、いざという時には、お互い、相手のために一命を投げ打つ覚悟をするという、究極の友情が格好いい。

蝉しぐれ  (文春文庫)
長編。
文武に励み、質素ながら幸せな日々を過ごす少年藩士・牧文四郎だが、敬愛する父・助左衛門が、藩に対する反逆の罪で切腹となり、苦境に立たされてしまう。

「殿の御世継ぎの世子をどなたとするかで、以前から藩内に争いがあるのです。助左衛門どのは、どうもそちらにかかわり合われたらしい」
「殿の御世継ぎ……」

藩主の側女(そばめ)となった幼なじみ・おふくとの突然の別れ…。武家の掟に翻弄される運命…。別れを言いに来たおふくに会えなかった後悔…。

世間の冷やかな眼や不遇に堪え、旧禄復帰がかない、人並みの暮らしを取り戻した文四郎だが、否応なしに、血なまぐさい藩内の派閥抗争の渦中に巻き込まれてしまう…。

「ご家老がたの、私利私欲のために人が死んだのです」
「ちがうだろう。藩のために死んだのだ」
「お黙りめされ」

藩主の子を生んだおふく(お福さま)の暗殺を目論む里村家老。玄妙な不敗の剣である「秘剣村雨」を継承した文四郎は、果たしてお福さまの命を守ることができるか?

「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」

主人公・牧文四郎の青春と成長を描いた本作は、また、文四郎とおふくの悲しい恋の物語であり、親友・小和田逸平たちとの素晴らしい友情物語であり、時代小説の定番である「藩内抗争もの」の秀作でもあり、手に汗握るチャンバラ剣豪小説でもあり、時代小説の面白さを存分に味わえる文句なしの名作。時代小説の決定版! 蝉の声が思い出させる少年時代の美しい情景が深く印象に残る。

唆す(そそのかす)』  (新潮文庫「冤罪」に収録)
短編。内職の筆作りに励む裏店住まいの浪人・神谷武太夫。仕官先を探そうともせず、何か別のことに心を奪われている武太夫の姿に、妻・竜乃は不満と懼(おそ)れを感じる。筆屋・遠州屋に押し掛けた勤皇浪人をうまくあしらった武太夫は、品川で打ちこわしの騒ぎが起きたことを知り…。「奥に積んであるのは、あれは何の俵だ?」、「米ですよ」、「大層な米だの」、「抱いて、神谷さま」、「米は店の者が喰うのか」、「米ですって?」。百姓一揆を煽った疑いで羽州・海坂藩を追放された過去のある武太夫の、隠微なキャラが特異だ。

竹光始末  (新潮文庫「竹光始末」に収録)
短編。妻・多美と子供二人を連れて、放浪の旅をしている浪人・小黒丹十郎。周旋状をたのみに、海坂藩の物頭・柘植八郎左衛門を訪ねるが、新規召抱えはとうに終了していることを知り、がっかりする。上意討で余吾善右衛門という男を斬れば、仕官できるという絶好の機会を得た丹十郎だが…。「ついに刀を売って宿賃を支払った。貴公は一人か」、「さよう」、「まことにうらやましい。妻子を持つと辛いぞ。見られい、中身は竹光(たけみつ)じゃ」──。過酷で哀れな武家の世界を描いて秀逸。ユーモラスとシリアスの切り替えが絶妙。

たそがれ清兵衛  (新潮文庫「たそがれ清兵衛」に収録)
短編。下城の太鼓が鳴ると、早々に家に帰り、病妻・奈美の面倒を見る五十石の平藩士・井口清兵衛。付いた渾名(あだな)は「たそがれ清兵衛」──。豪商・能登屋万蔵と癒着し、藩主交替さえ画策する横暴な筆頭家老・堀将監を、重職会議の席で上意討ちにかけるという計画を実行する反堀派の家老・杉山頼母。しかし、無形流の名手として、討手に選ばれた肝心の清兵衛がなかなか姿を現さず、やきもきさせる…。「一藩の危機と女房の病気の、どちらを大事だと思っているのか」。確固とした夫婦愛が素晴らしく美しい。好編。

ただ一撃  (文春文庫「暗殺の年輪」に収録)
短編。仕官志望の浪人・清家猪十郎の試技が行われるが、彼の豪剣の前に、家中の若侍たちは悉く敗北してしまう。「気に入らんな、あの野猿を、一度ぶちのめせ」。気性の荒い酒井藩主・宮内大輔忠勝の意向で、後日もう一試合行われることになったが、選ばれた人物は、意外にも、すっかり耳が遠くなった隠居老人・刈谷範兵衛だった…。「勝ち負けは決まったわけでございませんでしょう。お舅(とう)さまがお勝ちになるかも知れませんし、どちらにしても刈谷の家のご災難なら、お舅さまのなさりたいように遊ばしたら」。“変身ヒーロー物”的な痛快なストーリーかと思いきや…。範兵衛と息子の嫁・三緒との交流が微笑ましく、それだけに、この結末は衝撃的だ。

旅の誘い(いざない)』  (文春文庫「花のあと」に収録)
短編。無名の版元であった保永堂竹内孫八に見出され、風景画「東海道五十三次」を描いた浮世絵師・安藤広重。この絵の成功で、保永堂は大いに儲け、広重も名声を得る。しかし、絵を見る情熱を失った保永堂は、儲けに眼が眩んだただの商人になってしまう…。「あんたはしかし、淋しい人だな。よほどの不幸があったと見える」、「どうしてですか」、「なに、あんたの東海道の蒲原一枚を見れば、それは解るさ。一度は人生の底を見た人間でないと、ああいう絵は出て来ねえな」。絵に対する確たる自負にプロフェッショナルを感じる。
→藤沢周平「溟(くら)い海」

だんまり弥助  (新潮文庫「たそがれ清兵衛」に収録)
短編。極端な無口のため、藩中で少々変わり者とみられている馬廻組の杉内弥助。寡黙になった原因は、十五年前、従妹(いとこ)の美根を自殺に追い込んでしまったという悔恨からであった。藩内の派閥争いが激化する中、友人の曾根金八が近習組の服部邦之助に斬殺された。服部は、かつて美根を弄(もてあそ)んだ女たらしで、弥助にとって唾棄(だき)すべき男であった…。「それがしは、ただいまの案に反対でござる」、「そなた、何と申したかの」、「杉内、馬廻の杉内弥助でござる」──。ラストの主人公の心境の変化が秀逸。

小さな橋で  (新潮文庫「橋ものがたり」に収録)
短編。父・民蔵が四年前に蒸発し、姉・おりょうが妻子持ちの男と駆け落ちしてしまった家庭で、すっかり酒びたりになった母・おまきを支える十歳の少年・広次の成長を描いた感動作──。子供たちが遊び場にしている、行々子(よしきり)がさえずる原っぱで、思いがけなく父親と再会した広次だが…。「ちゃん、おれだよ。広次だよ」、「おっかあを頼んだぞ」──。男と女が“できる”とはどういうことかを“理解”するラストシーン(主人公の少年の純真さ)がとっても微笑ましい。忘れていた童心を呼び戻してくれる、そんな素晴らしい作品だ。

ちきしょう!  (新潮文庫「驟り雨」に収録)
掌編。不器用でぼんやりした性格のおしゅんは、夫を亡くし、幼い娘を養うために、やむなく夜鷹になる。娘が病気で寝込んでいる中、夜の町に立つおしゅんだが…。一方、婚約者がいながら、女遊びがやめられない紙問屋の息子・万次郎。深く契った女郎が、店を鞍替えしてしまったと知り、自暴自棄になるが…。「なんだ、夜鷹のねえさんかい」、「遊んでくれない?」、「おあいにくさまだね」──。シングルマザーの悲劇を描いた時代小説。この結末では溜飲が下がらないと思ってしまうのは、危険なことかも知れないが、正直な感想だ。

(ちゃん)と呼べ  (文春文庫「闇の梯子」に収録)
短編。強盗を働いた父親がしょっぴかれ、一人になってしまった子供(寅太)を保護し、家に連れて帰った裏店住まいの叩き大工・徳五郎。寅太の父親が島流しになったと知った徳五郎は、寅太を自分の子供として育てることを決める。一人息子の徳治が家を飛び出して以来、淋しい生活を送っていた徳五郎と女房のお吉は、寅太が次第に心を開いていく様子を喜ぶのだが…。「父(ちゃん)と言ってみな。え? おうと返事してやるぜ。お吉はおめえのおっ母(かあ)だ。な、父(ちゃん)と呼んでみな」──。徳五郎と寅太の交流に涙…。

亭主の仲間  (新潮文庫「時雨みち」に収録)
短編。借金で店(唐物屋)を手放した後、夫・辰蔵が日雇い仕事をし、妻・おきくが内職をして、裏店でほそぼそと暮らして来た二人。仕事仲間である若い男・安之助を家に連れて来た辰蔵だが、それ以来、素性の知れない安之助に、いいように金をせびられるようになってしまう…。「あの、亭主は仕事に出ていて、いませんけど」、「……」、「あの、何か」、「そこまで来て、金を持ってないのに気づきましてね。少し金を貸してもらえないかと思って、寄ったんですが」──。解決しないということほど恐ろしいものはない。異色のホラー小説。

逃走  (新潮文庫「龍を見た男」に収録)
短編。何くわぬ顔をして、小間物売りをしているが、実は盗っ人が本職である銀助。染種(そめくさ)問屋に押し入って、三十両を盗んだ銀助だが、まむしの権三と呼ばれている岡っ引の権三郎に目を付けられてしまう。親に虐げられて、ぎゃっぎゃっと泣きわめいている赤ん坊の姿を目撃した銀助は、放っておけず、赤ん坊をさらって、家へ連れて帰ってしまうが…。「捨て子されて苦労したおれが、この赤ん坊を捨てるわけにもいかねえや」──。一石何鳥かわからないぐらい、ハッピーエンドなラストが最高に素晴らしく、じーんと来る。

遠い少女  (文春文庫「長門守の陰謀」に収録)
短編。子供の頃に同じ寺子屋に通っていた少女・おこんに好意を持っていた小間物屋の主人・鶴蔵。色白で無口で賢かったおこんが今、いかがわしい店で働いていると知った鶴蔵は、三十五年ぶりに彼女と再会するが…。女遊びもせず、酒も飲まず、脇目もふらずに生きてきた中年男に生じた「別の生き方」という誘惑…。「あたしは、とてもすぐにはわかってもらえないだろうと思っていたのだが」、「そりゃ、すぐにわかりましたよ。昔、ずいぶんはやされた仲ですもの」。もと博奕打ちの岡っ引・音次の善悪両面の人物設定が魅力的。

遠い別れ  (新潮文庫「龍を見た男」に収録)
短編。商いの躓(つまず)きで、借金が膨れ上がり、にっちもさっちもいかなくなった糸問屋「鹿野屋」の主人・新太郎は、幼馴染で今は大店(おおだな)のおかみになっているおぬいとばったり出会う。五百両の借金を肩代わりしてもいいと言うおぬいの親切に新太郎は…。八年前、残酷な仕打ちでおぬいを捨てて、自分勝手な女・おこまと一緒になった悔恨…。「ずるずる、とここまで来ちゃったんだ。いつの間にか、ずるずる、とね」──。後もどりできない道を自分でえらんでしまった主人公のけじめを描いて痛切な時代小説。

遠ざかる声  (文春文庫「夜消える」に収録)
短編。美人のおもんとの再婚話に胸を躍らせる太物屋「新海屋」の主人・喜左衛門だが、焼き餅やきの亡妻・はつにまたも反対される。これまでもはつは、相手の女性の夢枕に立って喜左衛門の縁談を邪魔してきたのだ。「もんは悪い女だからね」。はつの捨てぜりふが妙に気になった喜左衛門は、下っ引の参次にもんのことを調べさせるが…。「女房もいて子供もいる、そういう男でないと、世間はなかなか信用はせんのだ」、「子供だって。いやらしいね」。亡妻との声の交流がユーモラスで面白い。幸福と寂寥を描いたラストが秀逸。

閉ざされた口  (新潮文庫「闇の穴」に収録)
短編。殺人現場を目撃して以来、ひと言も喋らなくなってしまった幼い娘・おようを抱えながら、料理茶屋で働いているおすま。生活のため、客に身体も売っている彼女は、瓦焼き職人の吉蔵に将来の希望を抱くも、逃げられてしまう。古手屋の主人・清兵衛の妾(めかけ)になるという道を選んだおすまだが…。「俺の考えじゃ、おようは男か女どころか、島右衛門を殺した奴の顔を、まだおぼえているね。だから怖くて、いまだにああして何も喋れないのだろうよ」。薄幸な母子の行く末と未解決殺人事件とのミックスが絶妙。感動がじわり。

飛べ、佐五郎  (新潮文庫「時雨みち」に収録)
短編。十二年前、貝賀助左衛門を斬って、藩を出奔した新免佐五郎。それ以来、助左衛門の弟・庄之助に敵(かたき)とつけ狙われる身となった佐五郎は、長い放浪の末、小料理屋で働く女・おとよに匿(かくま)われ、世話になる。庄之助が病死し、自由の身となった佐五郎は、歓喜するが…。「庄之助には気の毒だが、もともとはあらぬ疑いからはじまったことだ。そのために、わしは十二年もの間、迷惑をこうむった」。事件のきっかけとなった助左衛門の妻女・郁(いく)との出来事についての是非…。敵討ちものの変形として面白い。

ど忘れ万六  (新潮文庫「たそがれ清兵衛」に収録)
短編。一年前、物忘れがひどくなったため、城勤めを息子・参之助に譲って隠居した樋口万六。普段は舅(しゅうと)を舅とも思わない気性の勝った嫁・亀代が、万六の前で泣き出した。上士(じょうし)の倅(せがれ)で性格粗暴な男・大庭庄五郎に亀代が因縁をつけられ、脅されていると知った万六は…。「家の恥なんぞはかまわん。嫁の身が大事だ。貴様に手は出させん」──。名前を何度も間違え、相手に一々訂正される万六の姿がすこぶる面白い。「片山どのですな」、「いや、それがしは片岡ですが」、「そう、そう。片岡どのだ」。

泣かない女  (新潮文庫「驟り雨」に収録)
短編。親方・藤吉の娘・お柳と、同僚の職人・忠助との縁談を知り、嫉妬を覚える錺(かざり)職人の道蔵。忠助と結婚したくないというお柳と恋仲になった道蔵は、憧れであったお柳を得た喜びと、自分より腕のいい忠助に勝ったという喜びを感じる。足の悪い平凡な妻・お才と別れて、お柳と一緒になる決心をするが…。「ずっと前から、いつかこんなふうな日が来ると思っていた」、「………」、「だから、仕方ないよ。その日が来たんだもの」。同情という名の驕慢から目が覚め、夫婦とは何かということに気づく主人公の姿を描いた感動作。

泣くな、けい  (文春文庫「夜の橋」に収録)
短編。藩主家の重宝である貞宗の短刀が紛失した責任を問われ、謹慎処分になった御納戸奉行配下の相良波十郎。その短刀は、亡妻・麻乃の手から不倫相手だった中津清之進に渡り、武具商を経て、今は隣藩の神保なにがしが所持していることがわかる。短刀が戻らなければ切腹するしかない運命にある波十郎は、短刀を取り戻す役目を女中のけいに頼むが…。「でも、そのような重いお役目は、わたくしには出来ません」、「いや、お前なら出来る。お前には、男もおよばぬ気丈なところがあるからな」。素晴らしい収束の好編。

泣く母  (新潮文庫「霜の朝」に収録)
短編。無住心剣流を指南する藤井道場に通う十五の少年・伊庭小四郎は、道場に入門した年下の矢口八之丞が、他家に再嫁した母・美尾が生んだ子であることを知る。一度も会ったことがない美尾を怨みながらも、一度でいいから会ってみたいという複雑な心境…。石垣崩壊の責任で切腹した父・重助と、美尾が小四郎を捨てて家を出た真相は? 「貴公が前にいた菅生道場のことは知らん。だが藤井道場では相撃ちが極意だぞ。それは承知だろうな」。八之丞を弟として心配する小四郎が頼もしく勇ましい。テッパンの母子物語。

怠け者  (新潮文庫「霜の朝」に収録)
短編。骨の髄からの怠け者で、落ち着きのない暮らしを送るうち、五十の坂を越えてしまった弥太平(やたへい)。糸問屋「丸子屋」で下男奉公することになった彼だが、すぐに怠けぐせがバレて、すっかり店の者に蔑まれてしまう。ごろつきの善助とばったり会った弥太平は、丸子屋に押し入る善助たちの手引きをする約束をしてしまうが…。「お湯あみとは存じませんで、ご無礼しました」、「来たついでだから、弥太平に(背中を)流してもらおうか」──。丸子屋のおかみ・おこんのような人ともっと早く邂逅してたらと思ってならない。感涙。



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