このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

お気に入り読書WEB
あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や・ら・わ行 イラストでんしゃ図鑑 HOME


松本清張 (まつもと・せいちょう) 1909〜1992。




 (双葉文庫「失踪」や、新潮文庫「暗闇に嗤うドクター」に収録)
中編。
朝島病院の院長・朝島憲一郎と婦長・雨宮順子が駆け落ちし、雨宮に恋慕していた薬剤師の堀村が失恋自殺した。さらに、一連の騒動による心労で事務長・笠井光雄も自殺してしまう。病院の成り行きに興味を抱いた入院患者の私(出版業を営む沼田一郎)は、院長と婦長の“情死行”に疑問を感じるが…。
さびれていた病院が急に景気がよくなったのはなぜか? 入院料値下げを要求する強引な入院患者・金子京太は一体何者なのか? ほとんどが“私”の病室での会話だけで話が展開されていくという趣向作。登場人物たちの意外な正体が面白く、推理クイズ的なサービスもあって楽しめる。

「やれやれ、われわれもすっかり欺(だま)されましたね。あなたの話し方は、ちょっとアンフェアですよ」
「どうも、失礼しました。しかし、こういうふうに話さないと、話の筋がおもしろくないからです。しかし、かならずしも、アンフェアとはいえません。こういうことは、外国の小説にもときどき使われるテですからね」

草笛  (新潮文庫「黒地の絵」に収録)
掌編。祖母と二人で雑貨屋の二階を間借りして暮らしている十七歳の職工・周吉。向かいの六畳間に年上の若い女・杉原冴子が引っ越して来て、愉しい気分になる周吉だが、実は彼女は人妻で、離婚するつもりで家を出てきたという事情を知る。「あなたのお座敷は、よくお友だちが見えますのね。何か、文学でもやっていらっしゃるの?」。冴子と親しく話すようになった周吉は、彼女に恋情を抱くが…。「周吉さん、堪忍してね」──。短い作品だが、年上の女性に憧れる少年の姿に、何かしら懐かしい気持ちを思い起こさせてくれる。

蔵の中  (講談社文庫「彩色江戸切絵図」や、角川文庫「蔵の中」に収録)
短編。日本橋の畳表問屋「備前屋」で起きた奇っ怪な殺人事件。番頭・半蔵が裏庭に掘られた穴の中で窒息死し、手代・岩吉が蔵の中で絞め殺された。さらに行方不明になっていた手代・亥助が水死体で発見される。主人・庄兵衛の一人娘・お露を巡る色と欲にまみれた難事件に挑む神田の岡っ引・碇屋(いかりや)平造だが…。「まさか天狗のしわざじゃねえでしょうな?」、「天狗じゃありませんよ。天狗は空を翔け回りますが、下手人は海の中を泳いでいる奴です」。穴を掘った目的が意表で面白い。謎解きが堪能できる捕物帳。
→松本清張「三人の留守居役」 →岡本綺堂「半七捕物帳」

くるま宿  (新潮文庫「西郷札」に収録)
短編。人力車の俥宿「相模屋」に、新しい俥挽きが入った。若い車夫たちに混じって力仕事をする四十代の吉兵衛は、隣家の料亭に押し入った賊を一人で取り押さえてみせ、皆を驚かせる。官員のお抱え車夫との揉め事に巻き込まれた吉兵衛は…。「士族はもうだめだよ」、「へえ、だめかね」、「ああだめだな。世の中に置き去りにされるばかりだ。昔の夢ばかり追っているから、だめなのだ。まあ、だんだん廃(すた)り者だな」。明治初期の東京を背景に、ある旧幕臣の姿を描いた時代小説。人力車つながりで「西郷札」も読むべし。

結婚式  (新潮文庫「眼の気流」に収録)
短編。新聞社を辞めて広告取扱店を始めた新田徹吉は、妻の元子の才覚もあって、商売に成功する。若い女子社員の佐伯光子を愛人にした新田だが、元子にバレてしまう。しかし、よく出来た女である元子は、夫の立場も、光子の立場も考え、この問題を見事に処置して見せるが…。「それで、わたし、光子さんのお嫁入りの費用や、その衣裳、道具など、みんな持って上げたいと思うんです」。あまりに立派過ぎる女房を持った中年男の悲劇を、男の親友である私(元同僚の吉村)の視点で描く。結婚式出席が百倍楽しくなる!?

交通事故死亡1名  (新潮文庫「死の枝」に収録)
短編。東京西郊のI街道で起きた人身事故。女が急に飛び出してきたため急停止した前方車を、咄嗟に避けたタクシーだが、男を轢き殺してしまう。事故の調査を始めたタクシー会社の事故係・亀村友次郎だが…。「うまく計算された犯罪だなと思いました。偶然にみせかけて、その偶然が全部、人工的な、見えない紐になっていると思いましたよ」。“不可抗力の災難”の意外な真相を描いて面白い。

甲府在番  (新潮文庫「佐渡流人行」に収録)
短編。死亡した兄・伊織の役を引き継ぎ、甲府勤番(甲府城を守護する役)を命じられた旗本・伊谷求馬(もとめ)は、同輩の上村周蔵から、伊織が秘かに金鉱を探していたこと、山で遭難して横死したであろうことを知らされる。山の地理に詳しい村の老人・弥平太の協力を得た求馬と周蔵は、山奥を探索し、遂に金鉱を探し当てるのだが…。「兄貴は死の予感があったのだ。つまり、そういう危険を感じていたのだ」、「どういう意味だ? はっきり言え」──。邪心が招いた恐怖の世界! 戦慄のホラー小説! 超こわくて、超おもしろい。

 (新潮文庫「張込み」に収録)
短編。間違い電話によって、偶然にも強盗殺人犯人の声を聞いてしまった電話交換手の朝子(ともこ)。夫の会社の同僚・浜岡の声が、犯人の声と同一であることに気づいた朝子だが、会社の男・川井に呼び出された後、東京郊外の田無の雑木林で扼殺(やくさつ)死体で発見される。朝子のハンドバッグが田端の貯炭場で見つかり、しかも朝子の肺に粉炭が付着していたことから、朝子は田端で殺害された後、田無まで運ばれたことが判明するが…。警視庁の石丸と畠中の二人の刑事の前に立ちはだかる時間と距離の壁! 犯人が弄した鉄壁なアリバイと二十分間の空白! 「恐ろしい男だな」、「川井ですか。よく考えた奴ですな」、「いや、君だよ。その川井の企みを、そこまで見破った君が、おそろしい男と言っているのさ」。“交換手特有の耳の記憶”の着想が面白い本格推理小説の秀作。

誤差  (新潮文庫「駅路」や、新潮文庫「暗闇に嗤うドクター」に収録)
短編。温泉宿「川田屋」の宿泊客である銀座のバーのマダム・添島千鶴子が扼殺された。千鶴子の情夫で、彼女と一緒に宿泊していた一流会社の幹部社員・竹田宗一が犯人であると確定されるが、宗一は自宅の物置で自殺してしまう。警察嘱託医の死亡推定時刻と、解剖した病院長の死亡推定時刻の“誤差”に着目した所轄署の山岡刑事は、宗一が犯人ではなかった可能性を推理するが…。「まあ、医者にはそれぞれ癖があって、死後推定時間も少な目に言う人と、多い目に言う人とがある。この誤差は仕方がないが、古賀君の場合、多い目に言う癖があるのだ。ぼくの五時間は妥当だと思っているよ」──。「死斑」や「死後硬直」についての記述が興味深い。

権妻  (新潮文庫「西郷札」に収録)
短編。明治の世となり没落した士族・杉野織部は、隣り屋敷に越してきた新政府の官員・畑岡喜一郎との境遇の違いに屈辱を感じる。畑岡の権妻(妾)・お由と恋仲になった織部の息子・進介から、彼女との結婚の意志を聞かされた織部は、怒りを爆発させるが…。「父上。どうしてもお許しがなければ、ご勘当を願います。私は由がおらねば生きるかいがありません」。妊娠した愛人を捨てた過去を持つ織部の慚愧(ざんき)…。お由がついた嘘の身の上話が悲劇を生む! 江戸から明治への社会変動を背景とした時代小説。巧い。

西郷札  (新潮文庫「西郷札」に収録)
短編。西南戦争に参加し、生き延びた末、上京した青年・桶村雄吾。人力車夫となった彼は、離ればなれになっていた義妹・季乃(すえの)と再会を果たすが、季乃は高級官吏・塚村圭太郎の妻となっていた。「あれは私の妹です」、「それならなおさら好都合です。ぜひ塚村さんに会って頼んでください。塚村さんにこの西郷札の買上げを頼むのです」──。雄吾と季乃の純愛模様…、そんな二人の仲を嫉妬する悪キャラ・塚村…、兌換紙幣(西郷札)の買い上げ話に踊らされる人々…。「最後の策」とは一体? お気に入りの一編。

西蓮寺の参詣人  (講談社文庫「増上寺刃傷」や、角川文庫「蔵の中」に収録)
短編。袋物問屋・近江屋徳右衛門の後妻・お房が行方不明になった。不倫相手だった西蓮寺の所化・良泰も失踪したことから、二人は駆け落ちしたものと思われたが、同じ日に寺男の伊平も姿を消したことから、事件は複雑さを帯びる。そして、空き家の床下からお房の絞殺死体が発見され…。「やい、おればかり長丁場を喋舌らせずに、てめえも何とかいえ。いえねえのか。口が利けなけりゃ序でに幕までいってやろう」。お房の葬式に現れた謎の女の正体と、事件の意外な真相は? 下谷の岡っ引き・与助の活躍を描いた捕物帳。

酒井の刃傷  (新潮文庫「西郷札」や、角川文庫「蔵の中」に収録)
短編。老中の職を辞め、裕福な姫路三十万石への国替えが決まり、喜ぶ前橋藩主・酒井雅楽頭(うたのかみ)忠恭。国家老・川合勘解由左衛門(かげゆざえもん)は、酒井家にとって由緒ある前橋の地を、損得勘定で離れることに異を唱えるが、聞き入れられない。この先、若い世代に藩政が左右されていくことを憂える勘解由左衛門は…。「頑固者でのう。年寄りという者は、旧(ふる)い仕来たりや作法をいつまでも申す。若い者のすることが気に入らぬのじゃ」。老人の孤独・嫉妬・覚悟を描いた時代小説。ラストの臨場感がスゴイ!

坂道の家  (新潮文庫「黒い画集」に収録)
中編。
場末の町で小さな小間物屋をやっている四十六歳の寺島吉太郎(よしたろう)。仕事一筋で、女房以外の女を知らず、酒も屋台で飲む程度の倹約家であった彼だが、客として来た若い女・杉田りえ子(新宿のキャバレー「キュリアス」のホステス)のバラ色の肌と物憂げな声にすっかり心を奪われる。りえ子と身体の交渉を持った彼は、「キュリアス」に通い詰め、大金を浪費するが、彼女に若い男・山口武重(神田の「バー・ウインナ」のバーテン見習い)がいることが判り、嫉妬を覚える。赤坂の長くて急な坂道の上にある一軒家を借りた吉太郎は、りえ子に店を辞めさせ、住まわせる。りえ子が逃げないように監視する吉太郎だが、商売がうまくいかなくなり、長年溜め込んだ金も使い果たしてしまい…。

「りえ子、おれと別れないでくれ。おまえに相手にされなくなったら、おれは生きていられないのだ。りえ子、頼む。おまえのためなら、どんな犠牲でも払うから。なあ、りえ子、お願いだ」

若い女に耽溺した中年男の顛末と、心臓麻痺に見せかけた完全犯罪の崩壊…。秀逸な「情痴小説」と良質な「推理小説」がセットになった、何ともお得で贅沢な作品。

削除の復元  (文春文庫「松本清張傑作短編コレクション(上巻)」に収録)
短編。森鴎外の「小倉日記」の中で、和紙を貼って削除された箇所──鴎外の女中だった木村モトの嘘の報告の謎! なぜモトは鴎外に素封家・友石定太郎と結婚したと虚偽の報告をしたのか? 「小倉の鴎外」の著作がある小説家・畑中利雄は、その謎を解明するため、亡き友人の弟・白根謙吉に調査を依頼する。白根の調査結果は驚くべきものであった…。鴎外宅を罷めたモトのその後…、モトの姉・デンの離婚…、幼児「釈正心童子」の墓をめぐる浮説…。「それはきみの独断だ」、「あらゆる状況を帰納しての、当然の推理です」。“歴史的証言の不確かさ”を描いて興味深い。素行不良ばかりだったという鴎外の女中たちに興味が湧く。 →「或る「小倉日記」伝」

佐渡流人行  (新潮文庫「佐渡流人行」に収録)
短編。佐渡奉行所への転役が決まった寺社奉行の役人・黒塚喜介。妻・くみと相思相愛であった元・御家人の男・弥十を憎悪し続けている喜介は、罪のない弥十を佐渡送りにして、苛め抜くことを思い付く。山役人の占部三十郎を使って、弥十に過酷な労働をさせる喜介だが…。佐渡金山の“水替人足”たちが味わう地獄の日々…。上役である佐渡支配組頭・横内利右衛門に媚びる喜介の下心…。「その穴に落ちると、死ぬか?」、「はい。生命はありませぬ」。陰湿で卑劣な男の錯誤と破滅を描いた時代小説。意表のクライマックス!

皿倉学説  (新潮文庫「暗闇に嗤うドクター」に収録)
短編。四国の医者・皿倉和己が医学雑誌に発表した、聴覚に関する脳作用についての論文、に興味を持ったR医科大学の老教授・採銅健也。動物実験で猿五十匹を使ったという皿倉が、新説の着想を得たきっかけは何なのか? この謎を解くため、皿倉のことを調べる採銅だが…。「うむ、たしかに実験をやっている。しかし、君、あれは猿ではないね」、「とおっしゃると?」。身勝手な愛人・河田喜美子との窮屈な生活…、皿倉学説を否定する弟子・長田盛治への反発…。零落した老教授の歪んだ心を描いて面白い医学ミステリー。

山峡の湯村  (文春文庫「馬を売る女」に収録)
短編。飛騨の山奥にある温泉宿「谷湯旅館」に、落ちぶれた老作家・小藤素風が長逗留していると知った国文学の教師・太田二郎は、「谷湯旅館」の平凡でない人間模様に興味を抱く。山仕事に精を出す人の好い旅館の主人・梅田敏治…、浪曲師の愛人がいる敏治の後妻・栄子…、恋人・お元がいながら女と駆落ちした敏治の息子・勇作…、中風病みの素風の世話をしながら勇作の帰りを待つ女中・お元…、素風に小説を教わっている作家志望の青年・岡垣季一…。「けれどね、太田君。湖底に沈んでいるのは家ばかりじゃねえ」、「はあ、ほかにも何か沈んでいるんですか?」──。ダムの人造湖を舞台とした殺人事件の意外な真相を描いて面白いミステリー。

山椒魚  (講談社文庫「彩色江戸切絵図」に収録)
短編。疱瘡(ほうそう)除けの呪(まじない)だといって、山椒魚(さんしょううお)を“拝観”させて、大儲けをしている男・源八。宿泊している日本橋馬喰町の旅籠屋「常陸屋」で大威張りしている源八は、子分の庄太が用意した“惚れ薬”を使って、同宿している薬屋の女房・お種を口説くのだが…。「な、何をする?」、「何をするとはこっちのことだ。やい、庄太、おめえ、ひとの飯にこと寄せて、この女に手を出そうとしたな」、「と、とんでもない、兄哥(あにい)。おらア何もそんな…」──。木賃宿の人間模様が面白い痛快な時代小説。

三人の留守居役  (講談社文庫「彩色江戸切絵図」に収録)
短編。両国の料理屋「甲子屋(かねや)」にやって来た各藩の留守居役三人を接待する芸者衆だが、大事な髪飾りや座敷着を盗まれてしまう。三人の留守居役はまったくの偽者だったのだ。一人で事件を探索し始めた芸者・長丸(ちょうまる)のことを心配する芸者・蔦吉(つたきち)だが…。「一方では貧乏人が食べられなくて苦しんでいる。一方ではあらゆる遊びをし尽して、もう、することもなく退屈している人間がいる。どうも、この一件は、世の中のでこぼこを映していますな」。神田松枝町の岡っ引・惣兵衛の活躍を描いた捕物帳。
→松本清張「大黒屋」 →岡本綺堂「半七捕物帳」

時間の習俗  (新潮文庫)
長編。
業界紙「交通文化情報」の社長・土肥武夫が相模湖畔で絞殺された。タクシー会社「極光交通」の専務・峰岡周一が容疑者として浮上するが、峰岡には九州出張というアリバイがあった。峰岡の完璧すぎるアリバイに疑念を抱いた警視庁の警部補・三原紀一は、九州・福岡署のベテラン刑事・鳥飼重太郎と協力して、峰岡のアリバイ・トリックに挑むが、なかなか壁を突き破ることができない。そんな中、福岡県水城(みずき)で身元不明の青年の絞殺死体が発見され…。
東京の生活者である峰岡が、西鉄電車の定期券を購入したのはなぜか? 土肥を相模湖に誘った“水商売ふうの若い女”の意外すぎる正体と、峰岡のアリバイを成立させていた写真フィルムの巧妙すぎるトリックは?

「けど、ふしぎですな、三原さん」
「何がですか?」
「この事件は門司の和布刈(めかり)神事に始まって、潮来(いたこ)のあやめ祭りに終わろうとしています。まるで事件は土俗の行事から行事にわたっているようなもんですな」

アリバイ崩しに特化した本格推理小説。名作「点と線」の三原警部補と鳥飼刑事の再登場がファンには嬉しい。小説執筆当時(昭和三十年代中期)の情景──カラーフィルムの現像依頼や、旅客機の深夜便の運航など──がすこぶる興味ぶかい。

式場の微笑  (文春文庫「松本清張傑作短編コレクション(中巻)」に収録)
短編。大学時代の友人・浜井祥一郎の結婚式に出席した水野杉子は、見憶えのない中年男から微笑を向けられる。成人式帰りの晴着の若い女が恋人と利用する同伴旅館で、着付けのバイトをしている杉子は、一年半前のことを思い出すが…。「花嫁さんが立派すぎるからだわ。あんな美人、浜井くん、よく射止めたわね」、「ほら、玉の輿よ」。華やかな結婚式からは窺い知れない人間関係が面白い。
→松本清張「結婚式」

事故  (文春文庫「事故」に収録)
中編。
東京・杉並区の会社重役・山西省三の家に誤って突っ込み、家屋の一部を損壊させる事故を起こしてしまった深夜トラックの運転手・山宮健次が、山梨県の断崖から何者かに突き落とされて殺害された。同じ日に、山梨県の別の場所で、興信所員・浜口久子の絞殺死体も発見される。しかし、警察の捜査も空しく、二つの事件はどちらも迷宮入りしてしまう。
久子の上司である興信所の所長・田中幸雄(ゆきお)は、依頼を受けて山西の浮気調査を行うが、依頼者である山西の妻・勝子と関係が出来てしまう。皮肉なことに、山西から勝子の素行調査を依頼されてしまった田中は、やむなく引き受けるのだが…。

「二万円で折合いがついたよ。門も玄関もメチャメチャになっていて、相当ひどかったがね」
「でも、そんなひどい被害を、よくそのくらいの金で承知しましたね」

山梨県で同じ日に起きた別々の殺人事件が次第に結びついていくプロットと、思わぬ形から完全犯罪が崩壊してしまうラストが面白い。運送会社の事故処理担当・高田京太郎の登場の仕方がなかなかオイシイ。

死者の網膜犯人像  (新潮文庫「暗闇に嗤うドクター」に収録)
短編。二十二歳年下の後妻・好江と二人暮らしだった会社役員・山岸重治が、自宅の寝室で絞殺された。捜査一課の庄原係長は、部屋が荒らされた形跡がないことから、怨恨による犯行だと考えるが…。「主人が死ぬ直前に見た場面ですって?」、「死んでも網膜の映像は科学的に再現できるのです」──。最新技術によって死者の網膜映像が検出できるようになったという設定が面白いミステリー。

失敗  (文春文庫「危険な斜面」に収録)
短編。逃走中の犯人・大岩玄太郎の家を張り込むことになった古参の島田刑事と若い津坂刑事。五歳の男の子がいる大岩の妻・くみ子に事情を話し、家に泊り込む二人だが、その後、大岩は自殺してしまう。大岩の遺書から、大岩とくみ子が家の裏で会っていたことが分かり、問題となる。くみ子と二人の刑事から事情を聞く刑事部長の山村だが…。「私を処分してください!」、「処分? 眠っていたからか?」。刑事が犯人の気配に気づかなかった本当の理由は? 同じく刑事もので、やはり女の決心を描いた短編「張込み」も必読。

詩と電話  (双葉文庫「失踪」に収録)
短編。異動でH市の新聞通信局長になった梅木欣一。事件報道でいつも他紙を出し抜いているR紙の通信員・小林太治郎に闘争心を燃やす梅木だが、まったく勝負にならず、敗北感を感じる。なぜ小林は警察よりも先に事件現場に駆けつけることができるのか? 果たして彼はスクープの天才なのか? 「ねえ、梅木さん、私を信じて下さいな。私は、ほんとに何でもあなたの御忠告通りの女になりますわ。これから、あなたに喜んで頂けること、精一杯いたしますわ」──。スクープの仕掛(からくり)と記者の心得を描いたミステリー。

支払い過ぎた縁談  (文春文庫「松本清張傑作短編コレクション(下巻)」に収録)
掌編。村で一、二の資産家で、旧家の当主である萱野(かやの)徳右衛門は、結婚相手に家柄と資産と教育を求めるあまり、娘・幸子が嫁(ゆ)き遅れてしまったことに焦燥を感じていた。そんな中、東京の大学の講師をしている青年・高森正治との縁談が決まり、喜ぶ徳右衛門と幸子だが、その後、会社社長の跡取り息子である青年・桃川恒夫からも縁談が持ち込まれ…。「高森君はよくみると、不格好で薄汚い。今の桃川君のほうはさすがに育ちがいいだけにスマートだな」。旧家の貫禄にこだわる打算的な父娘の姿が滑稽だ。

紙碑  (双葉文庫「途上」に収録)
短編。死別した画家・重田正人の妻であった広子は、A社から「現代日本美術大辞典」が出ることを知る。再婚相手の高校の校長・北野孝平の目を盗んで、辞典に重田の名を載せるよう出版社に頼み込む広子だが…。「重田は、ご存知のように、不遇の生涯でした。こんどの大辞典に洩れましたら、かれの名は永久に埋れてしまいそうです。生命を賭けて懸命にやってきたのに、それではあまりに可哀相です」。自分は「校長の妻」なのか「画家の妻」なのか。女主人公の自覚を描く。平穏無事すぎる男・北野の視点で描いても面白そう。

種族同盟  (文春文庫「火と汐」や、双葉文庫「証言」に収録)
短編。新宿のホステス・杉山千鶴子がO渓谷で溺死体で発見され、現場近くの旅館の従業員・阿仁連平が強姦殺人の容疑で逮捕・起訴された事件。この事件の国選弁護人を引き受けた私は、物的証拠であるペンダントや血液型の問題、状況証拠である犯行時間の問題を見事に撃破し、無罪を勝ち取るが…。「先生。それじゃ、私があのO事件の真相を世間に洩らしてもいいですか?」、「真相?」──。罪を重くしようとする検察側と、罪を軽減しようとする弁護側…、永遠に対立する二つの“種族同盟”の功過を描いて興味ぶかい。

 (講談社文庫「紅刷り江戸噂」に収録)
短編。上野広小路で居合抜きを見せて薬を売っている貧乏浪人・葉村庄兵衛。岡っ引の忠七から、両手をうしろ手に縛って首を斬るという奇怪な辻斬りが、市中で流行っていることを聞いた庄兵衛は、事件に興味を持ち、探索に協力するが…。「なぜ、殺された人間がおとなしく縛られた上、人に助けを呼ばなかったのか、刎ねられた首がどうして柔和な顔をしていたか、この謎だな。これが解ければ下手人の目星はつくかもしれない」──。首斬りのトリックを解明する庄兵衛の活躍と、彼の暗い影の秘密を描いて面白い時代推理。

証言  (新潮文庫「黒い画集」や、双葉文庫「証言」に収録)
短編。西大久保の愛人(梅谷千恵子)宅から帰るところで、大森の自宅の近所に住む杉山孝三と偶然に行き会ってしまった会社課長・石野貞一郎。同時刻に向島で起きた殺人事件の容疑者にされてしまった杉山のアリバイの証明を求められた石野だが、愛人の存在の発覚を恐れて、嘘の証言をしてしまう…。──杉山孝三という交際もない他人の利益と、自分の地位や安泰な生活の喪失が交換できるだろうか。愚かなことである──。文庫本で二十ページぐらいの短い作品だが、松本清張らしさが存分に発揮され、凝縮された一編。



このページのトップへ      HOME





お気に入り読書WEB   Copyright (C) tugukoma. All Rights Reserved.   イラストでんしゃ図鑑


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください