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松本清張 (まつもと・せいちょう) 1909〜1992。 |
『紐(ひも)』 (新潮文庫「黒い画集」に収録) |
中編。 両手両脚を縛られ、ビニール紐(ひも)で頸(くび)を絞められ、殺害された中年男性の死体が、東京の多摩川べりで発見された。被害者は岡山県の津山の神主・梅田安太郎で、ある事業を展開するため、多額の借金をして、半年前から上京していた。夫・安太郎の行方を捜すため上京していた妻・静子が犯人ではないかと疑う警視庁の田村警部だが、安太郎が殺害された晩、新宿の映画館で映画を見ていた静子のアリバイは完全であった。静子が受取人である高額の生命保険に安太郎が入っていたと知ったR生命保険の調査係・戸田正太は、警察とは別に独自の調査を開始する。そして事件の真相を突き止めたかに思えたのだが…。 「これが梅田静子の聴取書です。むろん、誰にも見せられないものですが、あなたは安太郎の保険金の調査の事情もあり、特別にお見せします」 なぜ犯人は仰向けだった死体をわざわざうつ伏せにしたのか? また死体の頸を絞めた紐がきれいに丁寧に巻かれていたのはなぜか? 事件の意外な真相が面白い推理小説。静子がデパートで台所用品を買った本当の理由など、さすがに芸が細かい。 |
『笛壺』 (新潮文庫「或る「小倉日記」伝」に収録) |
短編。長年にわたる延喜式の研究で、上代文化の研究者として有名になった妻子持ちの中年男・畑岡謙造は、歴史の勉強を受けたいという若い女教師・貞代と出会う。「笛壺。いい名ですこと。あの胴体の穴に竹筒でも挿しこんで吹いたのでしょうか?」。彼女の何気ない一言に、迷信的な感激を覚えた彼は、次第に彼女に溺れていく…。この世の虚しさを知り、女の虜囚となった男の零落と孤独を描く。 |
『腹中の敵』 (新潮文庫「佐渡流人行」に収録) |
短編。織田信長に取り立てられ、累進していく羽柴秀吉。本能寺の変の後、誰よりも早く明智光秀を討ち、信長の後継者として、実権を握っていく。信長の重臣で、秀吉の先輩である丹羽長秀は、心の中では秀吉を否定しながらも、彼に味方して、引き立ててしまう。秀吉に刃向かい続けた滝川一益と自分とを引き比べる長秀だが…。「丹羽殿ともあろうお方が、秀吉づれの下知に従われたとは」──。後輩に追い抜かれた先輩の心境を描いた歴史小説。後輩に取り入って出世するか、思うままに行動して落ちぶれるか。生き方を問う。 |
『父系の指』 (新潮文庫「或る「小倉日記」伝」に収録) |
短編。伯耆(ほうき)の山村・矢戸(やと)の裕福な地主の長男として生まれながら、貧乏な家に里子に出されてしまい、以来、貧乏で一生を通してきた私の父。矢戸の実家で育ち、実業家として東京で成功した父の弟・西田民治のことを誇りに思う私の父だが、ほとんど会ったことがない私の父に民治は没交渉であった。出張で東京へ行くことになった私は、民治の豪邸を訪れるが…。「おまえの指の格好は親父そっくりじゃ、親子とはいいながら、よく似たもんじゃ」──。“肉親の血のつながり”ゆえに生じる複雑な感情を描いて秀逸。 |
『葡萄唐草文様の刺繍』 (文春文庫「火神被殺」に収録) |
短編。銀座のバーのマダム・水沼(みぬま)奈津子が自宅マンションで絞殺された。奈津子と不倫の関係にあった会社社長・野田保男は、ベルギーで買った葡萄(ぶどう)唐草文様の刺繍テーブルクロスを、奈津子にプレゼントしていたため、容疑者にされてしまうが…。「そのとき、このテーブルクロースはテーブルにかかっていたかね?」。高級テーブルクロスが巻き起こす二転三転の展開が面白い。 |
『発作』 (新潮文庫「共犯者」に収録) |
短編。病気の妻へ金を送らなければならないという強迫観念や、会社での失敗の責任を取らされるのではないかという不安感、愛人に男がいるのではないかという猜疑心(さいぎしん)にさいなまれている会社員の田杉。イライラする気持ちを我慢し、辛抱してきた田杉だが…。「もう一センチだ。つけてくれ、つけてくれ。そこで揺れるのを静止してくれ」──。精神的ストレスと衝動的犯罪の相関関係を描いて非常に今日的な作品。ギスギスしすぎた現代社会において、誰もが起こし得る事象なだけに、読んでいて非常に怖いものがある。 |
『町の島帰り』 (文春文庫「無宿人別帳」に収録) |
短編。両国の茶屋の女・お時(とき)のことを、一方的に好きになった目明しの仁蔵(にぞう)。お時に千助(せんすけ)という男がいることを知った彼は、千助を強盗事件の犯人に仕立てて、三宅島へ島送りにしてしまう。二年後、恩赦で江戸へ帰って来た千助を、無宿人だと言いふらして仕事の邪魔をする仁蔵は、お時の弱味に付け込んで、彼女に関係を迫り、承諾させるが…。「どうだ、俺は一度狙った女は、金輪際(こんりんざい)、外したことが無いのだ!」──。江戸時代の牢内の様子のあまりの凄まじさに、衝撃を覚える。ひえ〜。 |
『万葉翡翠』 (新潮文庫「駅路」に収録) |
短編。「先生の万葉考古学というのも、面白そうですね」、「万葉の歌に織り込まれた字句から、古代の生活を探求しようというわけですね」。万葉集に出てくる渟名河(ぬなかわ)は、架空の地ではなく、新潟県頚城(くびき)郡に実在すると推理したS大の助教授・八木修蔵は、三人の学生(今岡三郎、杉原忠良、岡村忠夫)に探査を任せる。勾玉(まがたま)の原石だった翡翠(ひすい)の産地を発見すべく、新潟の小滝川谿谷を行く今岡だが、遭難し、行方不明になってしまう…。冒頭で展開される八木助教授の“講義”が抜群に面白い。 |
『水の肌』 (新潮文庫「水の肌」に収録) |
短編。釣りや麻雀を時間の浪費だと否定し、全ての事柄を合理的に考える一風変わった性質の男・笠井平太郎。コンピューターの技術者としてM光学やD自動車で働いた後、渡米するが、アメリカの技術力の高さに挫折を味わい、自負心が破壊されてしまう。建築会社の社長の娘・香月須恵子と出会った笠井は、彼女と結婚して、新会社の専務の地位を得ようと目論むが、そのためには、妻・房子と離婚する必要があった…。「そうだ、妻に落度があったら、離婚の理由は成立する…」。自己中な男の合理主義の破綻を描いて面白い。 |
『見世物師』 (講談社文庫「紅刷り江戸噂」に収録) |
短編。向う両国で見世物小屋をやっている源八。瓦版を種に新しい見世物を考えるが、競争相手である八兵衛に先を越されてしまう。巨大な鮑(あわび)の展示と、海女(あま)に扮した半裸の美女の見世物で、大入りになっている八兵衛の小屋に、敵意を燃やす源八は、子分の庄太を使って、善からぬことを企むが…。「そんなら、親方、あれよりもっと凄(すげ)え女をいっそ裸にしてこっちの見世へ出したらどうですかえ?」、「ばか野郎。八兵衛の真似がおれに出来るかえ」──。見世物師の熾烈な競争を描いて面白い犯罪小説。 |
『蓆(むしろ)』 (光文社文庫「柳生一族」に収録) |
短編。江戸から領国へ帰る郡上郡八幡の大名・金森出雲守の行列だが、途中の奈良井でお茶壺道中(将軍家が飲む茶を宇治から運ぶお数寄屋坊主たちの行列)に出会ってしまう。茶壺の威光をかさに、横暴な振る舞いで金品を強請する茶坊主に、従わざるを得ない金森出雲守たちだが…。「それは膿淋(のうりん)という病質(たち)の悪いやつじゃ。なかなか癒りにくうござる」。夜鷹に性病を移され、自暴自棄になる青年藩士(富高与一郎)と、悪弊なお茶壺道中の組み合わせが面白い時代小説。茶壺に追われてとっぴんしゃん。 |
『眼の壁』 (新潮文庫) | ||||
長編。 パクリ屋の犯行による「かご抜け詐欺」で、まんまと三千万円の手形を奪われてしまった昭和電業の会計課長・関野徳一郎は、責任を一身に背負って自殺してしまう。関野の部下だった萩崎竜雄は、友人の新聞記者・田村満吉と共に事件を追跡し、事件の背後に右翼の親分(ボス)・舟坂(ふねざか)英明がいることを突き止める。しかし、萩崎とは別の方面から手形詐欺事件の核心に迫っていた昭和電業の顧問弁護士・瀬沼俊三郎の部下・田丸利市が殺害されてしまい、瀬沼もまた誘拐されてしまう…。 北信濃の山中で発見された首吊り死体の謎! 精神病院の地下室の驚くべき秘密! 偽装するほど破綻が生じる皮肉! 「舟坂の最期は凄かったね。おれは、あの瞬間の恐ろしさは一生忘れられない。商売がら、ずいぶん、凄惨な場面を見てきたがね」 「しかし、舟坂英明という男は、考えてみると、かわいそうな男だったな」 短期間のうちに死体を白骨化させる犯行トリックが突拍子もなくて面白い。素人探偵の活躍を描いた長編推理小説。 | ||||
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『眼の気流』 (新潮文庫「眼の気流」に収録) |
中編。偶然に何回か乗せた三十過ぎの女客(川久保澄江)に興味を持ったタクシー運転手・末永庄一。澄江が、五十過ぎの男(会社役員の小川圭造)の愛人でありながら、若いバンドマン(宇津美浩三)をヒモにしているという事実を突き止める。一方、澄江と宇津見がそれぞれ別々に失踪した事件に興味を持った警視庁の桑木刑事は、小川が自宅の敷地内に開業した釣堀に着目するのだが…。「なに、赤ン坊ですって?」、「はあ」、「それは、いつごろ産んだんですか?」、「生後五カ月と十日だと云っていました」──。赤いシャツが灰色に見えたという目撃者の謎と、死体処置のどんでん返しが面白い推理小説。地方出身の青年の転落物語として読んでも面白い。 |
『面貌』 (新潮文庫「西郷札」に収録) |
短編。「茶阿の産んだ児は育てとうないわ。捨ててしまえ」。徳川家康と、百姓の女房だった側室・茶阿の局(つぼね)との間に生まれた忠輝(幼名・辰千代)だが、その面貌の悪さから、家康だけでなく、誰からも愛されずに育ち、家康の死後、兄・秀忠(二代将軍)の命によって流罪になってしまう…。いろいろ理由をならべて親父が怒っていることを言っているが、要するに親父はおれを好かなかったのだ。かわいくないからおれのすることがいちいち憎いのだ──。不幸な面貌ゆえに孤独に生きた松平忠輝の生涯を描いた歴史物。 |
『文字のない初登攀』 (新潮文庫「憎悪の依頼」に収録) |
短編。誰もが挑戦して失敗していたR岳V壁の初登攀(はつとうはん)に成功した登山家の私(高坂憲造)。しかし、単独での登攀で、証人もいなかったため、数年後、山岳界から登攀はでっち上げではないかという非難が巻き起こってしまう。実は、私の登攀を双眼鏡で目撃していた男女カップルがいたのだが、“ある事情”によって証人にはなってもらえなかった。二人の名前を公表すれば、私の名誉は回復されるのだ。私は意を決して、二人に会いに行くのだが…。「白鳥さんという家(うち)だが」、「ああ、元外交官をしてらした方ですね」、「外交官?」、「そうです。どこかの国の参事官だった方でしょう?」。恋愛というものの不可解さを描いた山岳もの。誹謗=劣等感。 |
『役者絵』 (講談社文庫「紅刷り江戸噂」に収録) |
短編。浅草の袋物問屋の美濃屋六右衛門に囲われているお蝶と、二月二日の「二日灸」で出会い、深い仲になった荷揚げ人足で小博奕打ちの宗太。二人で相談して、六右衛門を殺害したお蝶と宗太は、岡っ引の文五郎の追及にも白を切り続けるが…。「おや、おめえは芝居絵が好きかえ?」、「はい。わたしも好きですが、旦那も好きですから……」。岡っ引が仕掛けるトリックが読みどころで面白い。 |
『山』 (文春文庫「火と汐」に収録) |
短編。会社の金を使い込み、木曽の温泉宿「指月館」に身を隠した青塚一郎。山の谷間をうろつく不審な中年男の姿を目撃した青塚は、好奇心から山中を探索し、崖から突き落とされた女の死体を発見する。「指月館」の女中・キクと一緒になった青塚は、東京へ出て、広告料稼ぎの業界紙の記者になるが…。「あんた、向うがそんな大きなレストランの社長だったら、金をずいぶん持ってるに違いないわ。ボーリング場は、近ごろ、ずいぶん儲かってるそうじゃないの」──。貪婪(どんらん)な女・キクの存在が印象に残る悪徳小説。 |
『指』 (新潮文庫「水の肌」に収録) |
短編。高級マンションに住むバアのマダム・生方恒子と偶然に知り合った福江弓子は、恒子のパトロンである会社社長・小沢誠之助の公認のもと、彼女と同性愛の関係を続ける。二人の死後、弓子は小沢の息子・潤二と偶然に出会い、婚約するが、潤二が用意した新居は、偶然にも例のマンションの同じ部屋であった…。「あら、この犬?」、「そうなのよ生方さんの犬ですよ。怜悧(かしこ)い犬ね、二年前のあなたをこの通りちゃんとおぼえているんだから」。“陳腐な偶然性”をテーマとした犯罪小説。シーワワー(チワワ)の怨念!! |
『夜の足音』 (文春文庫「無宿人別帳」に収録) |
短編。浅草田原町の岡っ引・粂吉から、あることを頼まれた遠州無宿の龍助(りゅうすけ)。それは、別れた亭主恋しさに、身体をほてらせている日本橋の大店(おおだな)の娘のために、亭主にうまく化けて、夜の相手をつとめるというものであった。眼隠しをされて、駕籠(かご)に乗せられ、到着した女の家で、夢のような一夜を過ごた龍助は、金も貰って有頂天になる。しかし、次の晩も女と一夜を共にした龍助は、ある異変に気がついて…。「あんた、よく来ておくれだったね」──。奇妙すぎる依頼の、意外すぎる真相を描いて面白い。 |
『弱味』 (新潮文庫「或る「小倉日記」伝」に収録) |
短編。二十歳も年下の愛人・志奈子と温泉宿で逢引中、よりによって盗難にあってしまったR市都市計画課長・北沢嘉六。志奈子との関係が世間に露見してしまうことを恐れた嘉六は、市会議員・赤堀茂作に窮地を救ってもらうが、その見返りとして、立ち退き補償金について便宜を図るよう要求される。書類操作という不正を犯してまで、赤堀の不当な要求に答える嘉六だが…。「これは無届け建築ではありませんからご安心ください。ははははは」。“甲斐性のある男”の実態なんて所詮こんなもの。お役人さん必読の保身悪徳小説。 |
『理外の理』 (新潮文庫「巨人の磯」や、文春文庫「松本清張傑作短編コレクション(上巻)」に収録) |
短編。「世の中には理屈では解けない、理外の理といったふしぎなことが少なからずあるものです」。編集長の山根による雑誌リニューアルで、江戸期の随筆ものを書いている須貝玄堂を、執筆者から外さざるを得なくなった担当編集者の細井。鬼に見込まれて首を縊(くく)る約束をしてしまった男の実話を書いた玄堂の「縊鬼」に興味を抱いた細井。玄堂の提案で「縊鬼」の実験をすることになったが…。「どうですか、自分で首を縊る気が起りそうですか?」──。トリックものホラー小説。玄堂の随筆、面白いからもっと読みたい(笑)。 |
『陸行水行』 (文春文庫「陸行水行」や、新潮文庫「駅路」に収録) |
短編。九州へ史跡調査に出掛けた大学講師・川田修一は、邪馬台国の研究をしている四国の郷土史家・浜中浩三と出会い、彼の独創的な持論を聞いて感心する。浜中が新聞広告を使って邪馬台国研究の同志を募っているとを知った川田は、とんだ騒動に巻き込まれてしまう…。「大体『魏志倭人伝』の記事は、見方によっては大へん意地悪い記述です。そこから解釈の混乱が起こるのですね」。魏志倭人伝に載っている邪馬台国までの旅程の謎(邪馬台国はどこにあるか)についての興味が自然と湧いてくる、知的好奇心な一編。 |
『留守宅の事件』 (新潮文庫「水の肌」や、文春文庫「証明」に収録) |
短編。車の営業マン・栗山敏夫の妻・宗子が、栗山が東北へ出張中の留守宅で殺害された。宗子を恋慕していた栗山の友人・萩野光治が、家宅侵入罪で逮捕されるが、殺害を否認。保険金目的の犯行として、栗山にも嫌疑がかかるが、出張中の行動から、彼が一旦東京へ戻って来て、妻を殺害することは不可能であった…。「被害者もせっかくつくったツーピースをきて死ねばまだよかったのに、寝間着で殺されたんじゃ気の毒ですね。まあ裸よりはいいですがね」。既成概念から生じる思い違いを利用したアリバイ工作が面白い。 |
『流人騒ぎ』 (文春文庫「無宿人別帳」や、新潮文庫「佐渡流人行」に収録) |
短編。傷害罪で八丈島に島流しになった忠五郎。自分より重罪の者や、後から島に来た者が、先に赦免になって江戸へ帰っていく中、忠五郎は一向に赦免されないまま、十二年が経ってしまう。役人の怠慢で自分の名前が帳面から洩れていると確信した忠五郎は、流人仲間の軍蔵に誘われて、島からの逃亡を企てるが…。「こっちは生命がけだ。島の奴らにご機嫌をとってよ、牛みてえに働いて芋で食いつないでいる。江戸の役人は出鱈目な仕事をして、したい放題なことをやって遊んでいる。お蔭でこっちは島で虫みてえに死んでゆく。こんな、べら棒な、理屈に合わねえ話はねえ」──。島流しの実態(自給自足の生活や水汲女の存在など)が非常に興味深い。 |
『礼遇の資格』 (新潮文庫「巨人の磯」に収録) |
短編。三十一歳年下のバーのマダム・日野敬子と再婚した元Z銀行副頭取で国際協力銀行副総裁の原島栄四郎。敬子に英語を教えている青年・ハリソンから、敬子が四十男と不倫していることを知った栄四郎は、敬子と関係のあったハリソンを殺害し、敬子と男が逢引に使っている借家に死体を遺棄するが…。「銀行協議会副会長って何よ。名前ばかり偉そうだけど、俸給は銀行の課長なみか、せいぜい部長なみじゃないの」──。「副」ばかりで「長」になれなかった男の不運と、わがままな女の打算的な性格が面白い犯罪小説。 |
『恋情』 (新潮文庫「西郷札」に収録) |
短編。旧藩主の長男に生まれた男爵・山名時正は、本家筋である伯爵・山名包幸の娘で、幼馴染の律子に恋慕するが、彼が英国に留学中、彼女は政略結婚によって宮家(東山科宮英彦)に嫁いでしまう。律子の和歌を見て、彼女の真情を知った時正は、律子が宮家で不幸な生活をしていると聞くに及び、彼女を救いたいと念願するが…。「宮様の離婚に関する法令だって? とんでもない。長屋の女房が出たりはいったりするのと違うよ。一緒になったら終身さ」。“待つ”という生甲斐を見出した主人公の幸福(敗北)を描いた悲恋話。 |
『渡された場面』 (新潮文庫) |
長編。 交際していた二人の女が同時期に妊娠し、処置に困った唐津在住の文学志望の青年・下坂一夫は、福岡のバーの女・景子と結婚するため、邪魔になった旅館の女中・真野信子を殺害してしまう。 一方、四国で発生した未亡人強盗強姦殺人事件を担当した捜査一課長・香春(かわら)銀作は、雑誌「文芸界」に紹介された下坂の小説「野草」の一節を読み、職業的な動揺を覚える…。 「この文章には未亡人殺しの重大な鍵が出ています。被告鈴木延次郎の自供のなかにどうしても腑に落ちなかった箇所があるのですが、それをこの文章が説明しています。……本部長。被告の鈴木は真犯人ではないようです。本ボシはほかに居るとぼくは思います」 九州と四国で発生したまったく別々の殺人事件が、「盗作された小説」と「二匹の芝犬」によって結び付いていくプロットが凝っていて面白い。「行き過ぎた捜査の反省」は、今日でも当てはまる重要な要素として興味深い。 |
『わるいやつら(上巻)』 (新潮文庫) |
長編。上巻。 病院の経営が赤字であるにもかかわらず、三十二歳の院長・戸谷信一はあまり苦にしていなかった。病院長という地位を利用して交渉を持った金持ちの女たちから、金を捲き上げては、赤字の穴埋めをしてきたからだ。 三十二歳の家具店の女・横武たつ子が一文無しとなり、邪魔な存在になった戸谷は、亡父・信寛の妾(めかけ)だった四十女の婦長・寺島トヨの入れ知恵で、たつ子を病死に見せかけて殺害してしまう。さらに戸谷は、自分と結婚したがっている十五歳年上の洋品店経営・藤島チセと共謀して、チセの夫・春彦をやはり急病に見せかけて殺害してしまう。 若くて美しく財産もある二十七歳のデザイナー・槙村隆子と是が非でも結婚したい戸谷は、知り合いの弁護士・下見沢作雄の仲立ちで結婚話を進めるが、結婚のための資金や、別居中の妻・慶子への手切金など、まとまった金の必要に迫られるようになる…。 「あなたのしてることを見ると、はらはらするの。ほんとは、あなたは女蕩(たら)しのように見えるけれど、人がいいんだわ。性悪(しょうわる)の女にばかり引っかかってるわ」 「そうかな?」 「そうよ。あんたは気がつかないけれど、世間知らずよ。今に大きな失敗が来ますよ」 わかりやすくて読みやすい通俗小説のノリでスイスイ展開されていく“色と金”にまみれた犯罪小説。上巻は特に、プンプンと匂い立つ中年女の“女臭”といったものが存分に味わえる。なかなか体を許そうとしない槙村隆子を口説きまくる戸谷信一の姿が滑稽で面白い。 |
『わるいやつら(下巻)』 (新潮文庫) |
長編。下巻。 デザイナー・槙村隆子との仲を嫉妬し、逆上した婦長・寺島トヨを扼殺(やくさつ)した病院長・戸谷信一は、北多摩の山中に死体を遺棄する。しかし、なかなか事件が発覚しないことに不安を覚えた戸谷は、死体を確かめに殺人現場に行くが、何者かによってわざわざ死体は埋められていた。 資産家の藤島チセから金を引き出させることを見越して、病院の土地を担保に借金をした戸谷は、隆子との結婚の手筈を整えるが、チセが男を作って姿をくらましてしまう…。 毒薬だと偽って横武たつ子に渡していた風邪薬…、藤島チセの家から持ち出してきた骨董品…。世間から信用されている病院長という地位を利用して、のうのうと暮らしてきた戸谷が知らず知らずにはまっていた人生転落の罠! 「まだ楽になりませんわ。ね、先生。これをはずして」 「ど、どうするんですか?」 「背中にブラジャーの留金があるんです。それをはずして……」 “わるいやつら”だらけの登場人物の中で、一番悪い奴、一番腹黒い奴はどいつだ?──主人公である戸谷信一の視点で描かれているせいか、戸谷を追及する刑事たちまでも“わるいやつら”に思えてしまうから面白い。清張作品の中でも一番といっていいぐらい“軽快”な作品で、一連の社会派推理小説とは一味違った、理屈抜きに楽しめる作品だ。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |