このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


----「下道韓国への旅」----

メニュー:

 (1) 前菜
 (2) Kopchangchongor -内臓の味噌煮-
 (3) Purkogi -プルコギ-
 (4) Murkimchi -水キムチ-
 (5) ポン菓子
 (6) Nengmyen -冷麺-
 (7) デザート
 (8) 最後に...

 (9) 当店ご案内


〜前菜〜(6/13-14)
1.出国まで 〜ぎりぎりの到着〜 6/11 船橋(千葉)のアパートを出る。愛知県内国道23号線沿いドライブインにて仮眠。  6/12 実家のある広島は福山まで疾走する。国道2号線ひたすら。  6/13 再び国2一直線。下関を目指す。  家を午前8時半に出発。  「あと200kmくらいかの」勝手な憶測がぎりぎり滑り込みセーフを誘う。  なんと実家の広島県福山市から下関までは280kmもある。この見積もり間違いから、港へ到着した  のは手続き期限10分前。  それでも10分の余裕を心の盾にと、港近くGSで最後のガソリン補給。  「ハイオク? さぁ、どうかのぅ?」  韓国でのGS状況を聞いてみるが、特に情報はない様子。  実は出発に先立ち、以下のものを用意してあった。   −韓国道路地図(ハングル版...と言うより現地出版物だ、これは)     神保町でゲット!!     Thanks 同僚I氏!!(神保町地図屋 Map House を教えて貰いました)     これなくては生きて帰れなかったでしょう。   −旅の会話集(ひとり歩きの韓国語自遊自在 [JTB発行])     やはりこれなくしてはコミュニケーションは...@現地   −個人旅行「韓国」 [昭文社]     出入国情報から現地情報(特に釜山での詳細な地図)で助かる  ところがどれだけ手をつくしても分からなかった事が1つ。  それが「ハイオク」の韓国語。  辞書でひけでも廃屋。ガソリンみても載ってなし、プレミアなんてもってのほか...とさっぱりである。  そこでこのGSで訊ねてみたのだが「あるかどうかすら不明」といった状況。  「なくちゃ困るな〜」  恐らくは、それどころじゃない。  「レギュラーでも動くんだけど、品質とかどうかねぇ」  「ガソリン自体は規格モンじゃけ、大丈夫じゃろう思うで」  判然とせぬままフェリー乗り場へと急ぐ。  後7分...んが車を入れる場所が...分からん!  結局ぐるぐるとターミナル周辺を徘徊し、車を停めたのは1分程前である。  ビルを駆け上がり搭乗チケット及び車の持ち出し申請を行う。  なんと乗用車での韓国への出国は携帯による「一時輸出入」扱いとなるらしい。  壊れようが、動かなくなろうが、スクラップだろうが必ず持ち帰って下さい! 輸出と輸入が切り離し不可セット販売なのだ。(カセット、エアコン等装備も申告/確認される)  実際の出国手続きが次に行われる。  まず車をビル2階の税関へもってゆく。  税関とはいっても、ただ屋根がついただけの車転回場である。必要最低限度の設備である。  これは韓国も同様であった。職場っといった雰囲気で好きだ。  車に載せてあるものを全ておろし、係官が荷物,車内,書類一切をチェックする。  その間に人間の方は出国カウンターで出国の手続きである。出入国カードに何も書き込んでいなかった  私は、ここで書かされた。係官に「私が書きましょうか?」と優しい言葉までかけられつつ。  「い、いえ、大丈夫です(たぶん)」  ある意味、これで私は出国した事になるのか...免税店には用がないので税関まで戻る。  車に荷物を戻し、再び1階へと運転しておりる。そうしてフェリーへと向かうのであった。  今回の乗用車持ち出しは5台。ベンツE230,セルシオ,エルグランド,マセラッティ,MG−F。  多いのか少ないのかは分からんが、なかなか派手なメンツである。  あ!そうそう、出発前日に「今日から話せる韓国語CD枚つき」ってのを買ったんだっけか。  なはは、もちろん話せるようにはなりませんでした〜。(^^;
2.乗船 乗用車組みは一般乗客よりも若干先に乗船することになる。先にとは言っても全部の車を乗せ、  車止めを確認して船室に来る頃には、先客のおばちゃんがいた。  「ほれ!お兄ちゃん。早く窓際のええ位置確保しとき!」  急かされ急かされ自分の部屋の窓際を確保。部屋と言っても腰までの荷物置きで区切られただけの  3つ続きの部屋である。  「おぅ、あんちゃん!そんな1つじゃのぅて、2つくらい敷かんとダメじゃぁ」  次にはいってきたおっちゃんが私のマットを見て言う。  「どうせ、この時期じゃ。いっぱいになんぞならんのじゃけ、2つで広ぅして寝たらええんよ」  「おじさん、そんな事言うとって船会社の人にまたおこられるよ」  さっきのおばちゃんが返す言葉に思わず笑ってしまう。  どちらも初対面の私であるが、気さくに話し掛けてきてくれる。  韓国はこの時期(6月)雨期である。所謂梅雨というやつであろう。観光シーズンとはお世辞にも  言えないらしい。(そうだったのか・・・いま初めて知る船の上)  続々とおっちゃん、おばちゃん、おじいちゃんが乗り込んでくる。
舷側うきわ、船名「はまゆう」
 お!隣の部屋には欧米人もいる。  結局若い者は大学生のあんちゃん1人だけだった。30代の自分と20歳の大学生を除けば、すべて  が50歳以上。おじいちゃんなんぞは80歳だ。  聞けば帰化された人、在日韓国人や2世、中国人2世など渡韓が観光だけではない人が大半である。  よく見ると各部屋の割り当ては、国籍や性別で別れれているようだ。  韓国人の部屋は廊下の反対側だし、隣部屋へは日本国籍女性の部屋になっている。  私がいるのは日本国籍男性部屋といったところか。  いちおうメンツ紹介。  −神戸在住で親父さんが大阪−釜山を繋ぐフェリーの船長をしていたというおっちゃん   現在は焼肉屋も疲れたのでやめ、もっぱらパチンコの日々だそうである。今回は観光半分、   韓国内親類周りだそうである。  −日本帰化して既に80歳のおじいちゃん。幼少の頃に日本に渡ってきたおじいちゃんは   必要最低限の文字しか書けないと言っていた。  −日本で生まれ日本で育ったおっちゃん。中国帰化からの2世である。名前は中国名であった。  −愛媛の大学生20歳。「何しに行くの? どこまで行くの?」と周囲の者に聞かれ「え〜っと、   え〜っと」困惑。私と一緒。いろんな意味で先が思い遣られる。(^-^;  −在日韓国人2世のおっちゃん。国籍は日本である。片目が悪くまばたきができないらしく、   眼帯をしていた。  以上が相部屋の面々である。  ちなみに「窓側のええ場所とっときなさい」と教えてくれたおばちゃん曰く。  「肝臓ガンで死にかけてからは恐いものがなくなったの。それであちこち好きなところへ行くように  なったの」  すごいの一言、である。  いざ出航!   下関の港にドラの音が響き渡った。  バシャ〜〜〜〜ン、バッシャ〜〜〜〜〜ン。3.宴会
船内宴会の図
 宴会である。  隣の部屋(ブース)いたアメリカ人はなんと尺八名人に師事しており、腕前もなかなかのもの。  尺八響き渡る船室は酒や肴やと宴会全開である。  「肝臓ガン死にかけ」生還おばちゃんは「わたし顔に全然出ないのぅ」とアクセル踏みっぱなし。  中国名のおっちゃんも「お前はエライ」を連発しつつ、おばちゃんの肩をバシバシ叩く。  神戸のおっちゃんは昔もかくありや、と言わんばかりにおばちゃんの間でヒーローになってる。  そんななかでも眠ろうとする人もおり(当たり前じゃ (^^;)、甚だ御迷惑をお掛けしたと思う宵の宴で  あった。  最後は舷側廊下に設けられたテーブル席で最後まで中国名おじさんにつき合わされ、挙げ句は缶ビール  までおごるはめに。  翌朝、おっちゃんに斯様な記憶は無い。あああ〜。  ちなみに下戸な私はすべてがド素面である。向い風参考値。4.夜中の出来事 そんな中国名おっちゃんが事件を起こしたっ!  時間帯:深夜、場所:津島海峡(韓国名:南海)上。  我々の真下が機関室になっているらしく、まるで錨を上げ下げするような巨大金属物の鈍い衝突音が  先ほどから激しくなっている。  「あれれれ〜」  想像の中でくるまF君が車止めを外れ、船倉をごろごろごろっ転がりまわっている。  と、薄目をあけたその時に事件が。  ダダダッダダーッ!! ドンドンドンドンドンドン。  おっちゃん寝惚けて窓を叩き始めた。  「どうしたらええ?どうしたらええん?」  ドンドンドンドン、ガサガサ、ドンドン。  叩くだけでは飽き足らず、まるでドアの取っ手でも探すかのように壁をまさぐる。  挙げ句、  「ねぇジンジン。どうしたらええん?どうしたええん?」  と寝ている大学生をつかみ起こす始末。  大変である。  「おいおい、あんさん。寝惚けとるど」  隣の眼帯おっちゃん冷静である。  数分程も続いたか、やがて暴れるだけ暴れたおっちゃんは鎮静化し、皆も眠りに戻ってゆくのだった。  その間、私を含めた数名は足を踏まれまくっていた。  もちろん翌朝、からかわれたであろう事は、推測を待つまでもない。  わっはっはっ〜。5.夜明けの出来事 「おいっ!日本人!起きろ〜」  なんなんだコイツはぁ〜。  揺り起こされて見れば、昨夜暴れまくった中国名おっちゃんではないか。  「おい!日本人!あの朝日を見ないでどうするっ。ほれほれ」  寝ぼけ眼もさめる朝日のお出ましである。甲板上。  船は入港予定時刻を3時間も後に控え、港の少し南で停船している。  「そもそも眠いのはおっさんのせいじゃないんのか?」  そんな気もしないではないが、確かに見なくては損だ。私にとってはこれが大韓民国最初の  光景なのだから。  国家国境を強く意識させられつつ、と同時に地球という存在の上で希薄にもなる国境の存在に  思いを馳せる曙光であった。
6.おっちゃん会議 「ええ、初めてなんですよ、韓国」  「実は...車なんですよ。ははは...」  その言葉に船室のおっちゃん連は、まさに開いた口も閉じられない。(いや、まぁそうだろうな (^^;)  「アンサンやめんさい。そんな危ないの〜」  非難の言葉と同時に「まぁ、その根性だけは誉められる」賞賛(?)。  「昔は良かったんで...」  神戸のおっちゃんが話し始める。  なんでも昔は安っす〜〜い。車を向こうへ持って行っては乗り回して、高く売り付けてきたのだそうだ。  「それにしても、今の韓国は世界1危ないで!交通事情に関してはの」  「しかもブツけらるだけじゃのぅて、はぁブツけたぁ、人ハネた言うてみ?   あんた、日本(韓国語:イルポン)人言うだけでフッかけられるど」  意見続出。  それでもおっちゃん。  「まぁ、そがいな言うても。もぅ来てしもうぅたのはしょうがないけぇの。   とりあえず、港に着いてターミナル出たらすぐUターンして、それで駐車場へ車停めて   暫く町を歩いてみ。それで判断したらええよ。」  実はホテルへ友人を迎えに行かにゃならん、と話したところ。  「そんなん無茶じゃ。近くまで地下鉄来とんじゃけ、来てもらうよう電話し!」  確かに私が事前に集めた風聞でも、「3車線を4台で走っている」とか「高速道路で景色を眺める為  路側で駐車している」、「路上駐車した車の間からタクシーをとめる為に人が飛び出てくる」、「大型  優先という規則でもあるかの如くに突っ走ている」等様々であった。決して「楽しかったで〜す」シャ  バダバー楽勝!なんて情報は見当たらなかった。  話しは戻り、結論として車は一旦駐車場へ停めておき、暫く街の散策を行う事に決定。  「もし泊まる場所が見つからんかったら、ウチの知り合いがおるから、ホテル〜ってところへ   行きなさい」  最後に貰った80歳のおじいちゃんの言葉が忘れられない。  ありがとう。  船は入港します。7.入国そして通関 乗用車は貨物よりも先に運び出さなくてはならない為、乗客よりも一足先に下船を開始。  結局、同室のおっちゃん達とはそれきり合う機会は(今の処)ない。元気だろうか。  韓国でも税関の建物は似たり寄ったり。  手続きも同様。違うのは保険等の諸手続き、一時運行の手続きである。  日本語でも説明されるので、難なく通過。  初めてみる韓国の景色に、気を引き締めると同時にリラックスもさせる。緊張のし過ぎは事故のもと  である。
 一時運行許可証!
 何度か訪韓している人に聞けどもハイオクわからず。  「ハイオクってなんて言うですかねぇ」  「ハイオク....ハイオクねぇ...無いんじゃないかなぁ」  聞けば高級住宅街や、特定のいくつかのGSにしか無いのではないかという。  もしもそうならば、とついに決心。  「満タンで行って帰ってこい〜〜韓国の旅」 満タン50リッター。平均14km/lで計算して700km。  雨や町中の渋滞を含め、またトラブルアクシデントに備え、450〜500kmだけ走ろう。  もしも道に迷ってどこを走っているか分からなくなっても...いや、きっとそうなるんだが、  100kmくらい余裕を見ていれば、なんとかなるんじゃなだろうか。  ただし、あくまで残燃料だけの話ではあるが。  手続きを終えた前の車と一緒に出発である。  「ソウルまで行かれるんだったら、道案内しますよ」  「すみませ〜ん。今日は行かないで〜す」  「そうですか。では、おきをつけて〜!」  とウィンカーを出し曲がる....ん?  ...何かを忘れている...何か...んっ!!!!! あーー!!  Uターンして駐車場へ入れる予定だったのに、街に出ちゃったぁぁぁーーっっっ!!  ぶぅ〜〜〜〜〜〜ん。  哀れF君。大型に後押しされる様に釜山の街へと消えて行くのであった。  ( つづく

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