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----「下道韓国への旅」----

メニュー:

 (1) 前菜
 (2) Kopchangchongor -内臓の味噌煮-
 (3) Purkogi -プルコギ-
 (4) Murkimchi -水キムチ-
 (5) ポン菓子
 (6) Nengmyen -冷麺-
 (7) デザート
 (8) 最後に...

 (9) 当店ご案内


〜ポン菓子〜 (6/16)
30.釜山へ向け出発! 昨夜は本当に惜しいことをした。  旅館(=YeKuan)の1階にある食堂(=SikTang)で晩飯を食べたかった。  空腹が堪え難かったのではなく、どんな雰囲気でどんな食事が出来たんだろう、そう思うと  本当に残念でならない。もう一度行くことがあれば、ぜひとも寄ってみたい宿である。  朝も静か。生き物達の気配だけが、薄い靄のなか漂う。  今日は1日早いけど釜山入りである。  フェリーの出発は明日の夕刻。午後3時頃までに国際ターミナルへ行ければよいのだが、  ギリギリのスケジュールはとりたくない。そこで前日に釜山もしくは手前くらいまでで宿泊し、  最終日はさっさと車をターミナルへ預けて、お土産探しにでかける予定だ。  TVをつけると、相変わらず "北" との銃撃云々とやっている。本当にフェリーは動いている  のだろうか、日本へ帰られるのだろうか。ま、釜山まで行けばわかるか...な?  いくら心配したとて、動いていなければ動いていないのであるから。  釜山へ向かうコース選びに全神経を集中させる。残りの燃料では150〜200kmが限界である。  道はこれから釜山へ近付き、必然的に燃費は悪くなるだろう。これまでのようにカントリーロ〜ド♪  と一定のペース(燃費が良くなるんです)では走りつづけられまい。実際には150km+αといった  ところであろう。最早道に迷うことは許されない状況である。  地図にも附箋を張り、メモ帳には道番号、迷いそうなところにはマーキング。できる限りの準備を  しておく。  
 今日もこの地図だけが頼りである
 1084号線 → 26号を左 → 24号右 → 33との分岐を左24キープ →    → 20との分岐を左24キープ橋 → 5号合流を右 → 2号を左 → 釜山まで2号キープ  あくまで地図の情報が更新されていなければ、祈るだけである。  宿の問題もある。どこに泊まろう、釜山について考えるとするか。あはは〜!  9時だ。チェックアウトしよう。  カウンターへ向かう。  どうやら青年睡眠中のようだ。(ええんかいなそんなんで)ぐっすりである。  彼の部屋とも兼ねているのかカウンターで、暫し立ち尽くしてしまう。  なんだか起こすのも可哀相で、後10分したら再度来てみるか。  10分後、予想通りさっぱり起きる気配もない。  昨夜の出発時刻確認はなんだったんだろう。苦笑と共に「Annyong Haseyo〜」と呼び掛ける。  慌てて飛び起きる彼に「チェックアウトお願いしま〜す」。  さぁ出発だ!  「Kamsahamnida」と伝えると、私が見たなか一番の表情で「Kamsahamnida」と返ってきた。  Kamsahamnida。カムサハムニダ。ありがとう、である。  私が今回の旅で憶えた韓国語は3つだけ。「Annyong Haseyo」「Yoboseyo」に  「Kamsahamnida」。  「おはよう/こんにちは/こんばんは」に「もしもし/(呼び掛けの)すみません」、そうして  「ありがとう」。  今度は韓国語を少しは話せるようになって来よう。  彼の笑顔が忘れられない。
31.初ロータリーほか 緊張の連続ではあるが、相変わらず道は快適である。
 初めてのロータリーも経験した。誰もいない、田舎の直径10m程のロータリー。  ソウルや英国のでっかいロータリーを想像し、自分1人で危険もないのにドキドキである。  快適快適と話してきたが、気をつけなければならない事があるのも事実である。  韓国の田舎ではとぅっても走行速度が高い!  ゆっくりと走っている車と飛ばすもの間が極端に離れている。  例えば、観光バスやタクシーなどは確実にすっ飛ばして来る。  80km/hで走る私の車の横を、ストレスなく軽く走り去ってゆく。あのバスの巨体がである。  ただ、交通量は非常に少ないので、予め後方を確認していれば問題はない。必要なのは先に行かせる  心持ちだけである。  逆に農耕車輛は、当たり前ながら非常に低速であるので、こちらも用心が必要である。  都市部と田園部との偏りが激しい為に、カントリーロードは信号もほとんど見られず、延々と  走りつづけられる。極端にきついカーブもあまりない。  今日はここまで迷わずに来ている。  あと数キロで国道5号線へ合流する。そうしたら南へひたすら向かい、勝手に2号線と交わるだけだ。  2号線は釜山まで続いている。  もう道には迷うまい。  ふふふふふ。私が悪魔の笑いを聞き漏らしたことに気付くのは、もう少し先の話しである。
32.蜘蛛撮影
 
 途中の畑で蜘蛛の撮影を敢行。  道行く人々が奇異の眼差しで通過してゆく。  韓国では市街地の俯瞰や交通機関など、撮影禁止の場所がある。「撮影にはまず許可を求めよう」  どのガイドブックにも書かれてある注意書き。  通報されなきゃいいがなぁ。  焦る余り、大失敗。ピンボケばっかやん!  ちなみに撮影した蜘蛛は、日本でも普通に見られるものである事が判明。  何なんな〜!! (^^;  ハウスの立てられつつあるその光景は、まるで日本と変わらない。背景の山に生えている木々が  杉のような針葉樹ばかりである事と、根元に草や蔦があまり見られない点が、日本(本州)とは  異なる。余りに田畑の部分が日本に酷似してるだけに、あまりにさっぱりとした低山の雰囲気が  くすぐったいような違和感だけを与える。  水墨画の世界に近いのは、やはり韓国や大陸なのだ。
33.ひたすら釜山 メシも忘れて釜山を目指す。  食べ物といえば、慶州で買ったポン菓子だけ。これをボリボリ食いながらのオープンドライブ  in Korea。何と説明すべきか。  ポン菓子を食べ続け薄れっぱなしの腹は、文句1つ言わず延々と続くドライブを許してくれた。  ついでに言えば、メシ屋に遭遇しなかった事も挙げられる。  穏やかな陽光の下、脱水症状もなく私はひたすら釜山を目指す。  お待ちの皆様。ふふふ、まだまだ私は迷ってはおりませんぞ!ふはははは〜!!
34.混迷の釜山 再び道に迷った。  大きな河を渡ると釜山市街だった。130kmくらいで着けそうだ。これならば燃料も余裕がある。  ...その油断がいけなかった。  「なんとか岬かぁ。ちょっと遠回りじゃけど、行ってみるかの! どりゃ〜!!」、右折。  岬は天気が良くなかった事もあるのだろう、けだるい雰囲気に包まれていた。  売店も「なんだありゃ?」と訝し気な視線をよこしてくる。なんだか場違いなようで、そのまま  Uターンして立ち去る。  釜山市街だ。ビルが見る間に視界を埋め尽くしてゆく。  おかしい。こんな所を走っているはずがないのだが。道が、分から、ない。  あああ!ここはどこなんなぁ〜!!  田舎から出てきたヒステリック少年途方に暮れるの図。  ああ、なんだかまた山を上らされている。ト、トンネルまで。  手持ちの地図には記載のかけらもないトンネルを潜ると、右へ左へくねくね下り道。  既に地図は役に立たない。その先を右折して南へ向かうぞ! どりゃ〜!!  んんん...あれ? 今何か右手に見えた。船だ。  と、記憶にある光景が! 「こ、こ、こ、この道路!この看板!」  宿泊予定地域も港も越え、私と車は釜山の駅を過ぎようとしていた。  「んあおい、んあおい。どこなここ?」  もちろん場所はわかってる。が、何故こんなところにまで来てしまっているのか。駅はもっと  北の方にあると思っていたのに。どうにも町中は距離感や方向感覚がつかみにくい。  上陸のあの日と同じく、私は釜山の町中を舞っていた。木の葉のように。  「あう〜! どこなぁここあ!!」  燃量は減り、混迷は深まる。  とにかく南か西へ向かわねば!  なんとか路地を駆使してUターン。国際ターミナル附近を目指す。  あ・・・・・・車線を間違え右折、思わぬ場所へでる。  南浦洞(Nampodong)商店街一方通行&渋滞。どどん。  韓国では市管轄下の町を "洞" と呼ぶ。ここ南浦洞は、釜山駅の南西に広がる一大商業地域である。  きらびやかな、若者向けのファッションや音楽,食事を主として扱うストリートもあれば、日用雑貨  の通りもある。事務用雑貨もあるし、道にミシンを並べた「繕い屋」のおばぁちゃん達もいる。  とても活気に溢れた街である。港も近いので海産物もあれば、野菜や惣菜までもが揃っている。  おそらく規模ではソウルのそれには遠く及ばないものの、1つ1つ見て回るだけでも大変な、しかし  面白い街である。  そんな通りでの渋滞である。全く動かなくなった。  燃量計の針は既にレッドゾーンに突入している。残り5リットルくらいだろうか。もともと大雑把で  当てにはならないメーターを見て思う。  ああ、まだホテルも決まっていないのに。
35.ホテル...わしにとっては 辛抱に辛抱を重ね、更に道へ迷いつつも大きな通りへと出た。  ここで右折しては再び北へと向かってしまう。そう判断し直進する。  が〜〜ん!  どんどんと道が狭まり住宅街へ突入してしまった。ああ、学校まで見えてきた。  やはり先の通りを行くべきだったか。Uターン。  見かけたトンネルを潜る。先の "地図にないトンネル" だ。  なんとか大通りにも戻れ、心に余裕が生まれた。地図にメモする。98年度版+アルファの完成だ。  渋滞中に個人旅行ガイドブックでピックアップしたホテルを目指し、地下鉄の駅やバス停,交差点の  名前で場所を探り出す。  この辺りだと思うんだけど...あ! 得意の行き過ぎダッシュ!  再び10分程も迷っただろうか。ようやくホテルの近くへ路上駐車して様子を伺う。  他にも車はあるし、人通りもそこそこにある。レッカーやあからさまな盗難は、少々の時間なら凌げ  そうだ。  「6000円のところ、本日はなんちゃらサービスデイにつきい20%びきの5000円です」  「お願いします」  さすが、釜山である。たどたどしいながらも日本語での対応。しかもサービス割り引き付き。  車をパーキングへ預け、部屋へ向かう。  そこは日本のホテルとなんら変わるところは空間だった。  昨夜のような安堵感は薄く、やはり自分には合わないなと思う。  んが、ようし地下鉄だ!  貴重品だけを持って地下鉄で南浦洞へ、調査&メシめしGo〜!!  早速ホテルを出る。
36.街へ繰り出す 地下鉄が安い。ここ韓国では交通機関などの公共料金が日本などに比べ安い。  もちろん根本的な物価の違いもあるだろう。しかし食堂やお店で払う金額との比率でみても、  交通機関はやはり安いと思う。  例えば、地下鉄は10駅くらい先までは45円(釜山では)、その先でも50円である。  ドライブインで食べた煮込み定食が400円だった事と比べてみてほしい。  これはバスや鉄道にも言えることのようである。釜山から鉄道(しかも特急)でソウル迄出かけると、  2600円かかる。距離にして450km以上あるうえ、これは一番早いセマウル特急の金額なのである。  その下のムグンファ号では1700円程度である。いかに安いか。  その地下鉄で南浦洞に戻る。先ほど迷い込んだところだ。  雑貨食品市場とファッション店が通りを隔てて並ぶ場面も身られるここ南浦洞では、道行く人々の  服装や年令も様々である。おばちゃんからモデルさんを意識したような青年、まだ制服を着たままの  学生まで楽しんでいる。時折聞えてくる日本語に驚かされる。ここは釜山なのだ。当たり前か。  道を走っている車も日本と同様だ。RV4駆やワンボクッスがセダンに混じり多く見られる。  人々も携帯でばんばん話している。TVで携帯利用中の交通事故ストップのCMも流れていた。  若い人たちでは、男性は男性、女性は女性、数名の集団で歩いている。女性同志は手を繋ぐ事も多い  ようだ。まだ釜山ではブリーチなどで染めた人は少ない。服飾系のお店の方に見かれる程度である。  化粧もはっきり口紅メイクが基本のようだ。  この頃になると空腹に耐えられなくなっており、駅前のロッテリアへ駆け込んでしまう。  後になって思うのは、もう少し我慢して路地に並ぶ屋台で、汁ものや寿司、何だか味の予想の付かない  ものを食べれば良かった事である。あ〜ほんま、惜しいことをした。  私は本屋フリークである。旅先では必ず本屋を探し、店内の書籍の揃え(分野など)から並べ方を  確認したくなるのだ。  とある本屋での出来ごとだった。  かなり古い本屋である。かつては日本の田舎でも良く見られた、1間ほどの間口で雑誌を中心とした  並びの店鋪だ。中学生がアイドルやスポーツ雑誌を手に、横目で成人雑誌をチラチラやりにゆく感じ。  「こっちこっち」  店内に入ったばかりの私を、店のオヤジが手招きする。  手にした本を見ると「1週間で覚える韓国語」だそうだ。すまんなぁオヤジ。明日帰国なんじゃ。  Noの身振りにオヤジ、「こっちはどうだ」と方向転換。笑顔で胸張り指差す棚は、表からは陰の  成人雑誌コーナー。  韓国では基本的にこの手の書籍を作って販売してはいけないそうである。では何故売られているのか。  内容を知らず足を運んだ私は驚いたものの、後学の為にと見学。  なんか雑誌名や人物名が読めるような気がする...「のぞきナイト TOKYO」、は! これは日本語だ。  PENTHOUSE(綴りあってる?)のアメリカものもある。  どうやら輸入もののようである。  おいおいオッサン。わざわざ韓国までエロ本買いに来るか〜!!  楽しい意味で頭に来たので、FIGAROという日本にもある女の子向けの雑誌を買ってやった。  「日本人わからんわ〜」  絶対そう思ったにちがいない。  さすがに歩き疲れたのでホテルへ帰る。コンビニで翌朝の食事を調達する。なんか日本での生活と  変わり無い気がする。  部屋に戻って時刻を見れば、とうに10時を越えている。道理で疲れるはずじゃわい。  そうそう、帰りの地下鉄のなかで演説をしている人を見かけた。  正確には演説といってよいかわからない。なにせ話している内容がわからないのだ。  2〜3分も話していただろうか。走る車輛のなか、突然挨拶から始まった演説は次の駅直前まで  続いていた。終わると拍手している者までいる。  あれは、一体何だったんだろう...。  今日も "北" との銃撃戦を伝えるニュースを見つつ眠りにつく。  明日はもう帰国か。  
 ( つづく

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