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----「下道韓国への旅」----
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8.迷走の釜山 フェリーターミナルの駐車場へ車を停め、しばらく市街の道路状況をみるはず、だったはず! ああ、それなのに。 「生きて還る」...それが今回のテーマである。 真っ白になった男を乗せた紅の車が1台、釜山埠頭沿いの道をひた走っていた。 「ち、ち、ち、地図?地図〜っ!」 後ろからがんがんとやってくる大きいの小さいのにまぎれ、右も左も分かりゃしない。 いくつ流れに身を任せ、交差点を過ぎただろう。ようやく広げた地図は既に時期を逸して...。 どこを走っているのか、さっぱり見当がつかん。 全く途方に暮れていた。 辛うじて鼻面が東を向いている事は分かる。どんな時でも方角だけは意識する。いつの頃からか、 自然に身についた習性だけが、辛うじて自分を支えていた...と、おっと青だ。 「あらぁ〜」 交差点をつっきりながら口元が綻ぶ。決して笑っているのではない! 眉間に刻まれた皺を見てくれ。ただただ呆れているだけなのだ。 為す術もない状況を前に。 いつまでも開けっ放しにしていても仕方が無い。いい加減口を閉じ、友人の待つホテルまで向かわ ねばならぬ。閑散としてきた道に恐る恐る車を止め、助手席に広げた地図をみる。 「しっかし分からんなぁ」 早見表のハングルも、目が慣れなくてはさっぱり判読不能だ。これでは地名を確認できない。こう なれば地形と方向感覚だけが頼りである。 「よしっ、北だ」 迷いながらも体が刻み続けた感覚を信じて走る。が、世の中そんなに甘くない。 「あれ?あれ?あれ?あれっ〜〜???」 そっちはどっちだぁ〜。再び私は思わぬ方角へと突き進んでゆくのだった。 [釜山道路マメ知識] 幹線道路はとても車線が多い。片側3車線は当たり前、4車線もざらである。 そして釜山は海辺の街。平地がとても少ない(埋め立て地は除く)。複雑に入り組んだ海岸線 沿いの平地を縫って走る道路を、次々に拡張して造られた道路である。当然ながら区画整理の 碁盤目道路は期待できず、直行する交差点は少ない。5叉路6叉路に変型4叉路のオンパレー ドである。とてもカオスな感じだ。 おまけに道路の整備拡張工事があちこちで行われていたり、高架の道路と入り乱れての混線。 交差点を抜ける度に車の向きが変わるうえ、車線も増えたり減ったりする。 加えて天下無敵のバスやバイクが追い討ちをかける。 例えば、私はバスの挟み撃ちにあい、あわやサンドイッチにされろうになった。 良いコは決して真似してはいけない。 左右から迫り来るバス!逃げ場はない!「お前ら殺す気かぁ〜!!」 交差点案内表示には「〜 junction」と書かれている。これは実に正しい。決して単純な CROSS ではない。北を目指して直進しようにも、変型4叉路での直進とは北東だったり北西だったり! そんなジャンクションが次から次へと繋がっているのだ。 「うっき〜!!」何度奇声を上げた事か。 現在位置が分からなくなるのに1分とかからない。交差点1つくぐるだけで十分なのだ。 既に港を出て40分以上が経とうとしている。今もって自分のいる場所が分からない。お〜ぃ...。 今回御世話になった関釜フェリー(韓国では釜関フェリー)は、午後6時半〜7時半の間に出発し、 相手港に翌朝午前8時半頃に到着する。予定通りの入港をみせた「はまゆう」号からおり、税関の 手続きをすませ街へ出てしまったのが凡そ1時間の後。時まさしく月曜日の午前9時過ぎ、朝の渋 滞まっただ中。入り乱れる車の列のなか、私の中の何かが弾けた。 「お・っ・ど・り・ゃ・ぁ...〜〜っ!!!」 高まる集中力。研ぎすまされる諸神経。考え得る限りの警戒システムが立ち上がり、休む時を忘れ た脳髄は、徐々に周囲のペースが読めるようになってくる。大型の車の動き、バイクの動き、バス の強引さ。すべてが体に染み込んでくる。 突然の車線変更だって予測の範囲だ。 「どりゃ、どりゃ、どりゃぁ〜」 強引に鼻先突っ込む時など、誰にともなく大声で叫ぶ男の姿がそこにあった。 しかし、多少の慣れでは解決できない問題が山盛り。 「う〜〜〜ん」 まず現在場所が分からない。ホテルの具体的な場所が分からない。案内も読めない。左折が恐い。 と、そんな事に思いを巡らせるうちに、まちがって高架に乗りそうになる。 おぉっとぅ〜!こんなものに乗ってしまっては、どこへ連れて行かれるか。 周囲の車に対する警戒システムでいっぱいの私の脳みそは、ホテルのチェックアウト時間が迫って いる事に気が付いていなかった。
9.断念 「プ・・・サ・・・ン・・・エ・・・ク?・・・釜山駅!!!」 人間恐ろしいものである。ある意味文字どおりの東奔西走をくり返すうち、読めなかったハングルが 読めるようになってきた。まだまだ時間はかかるものの、しかし一歩一歩、着実にハングル判読シス テムが私のなかへ根を下ろし始めている。 釜山駅!これで何処だか分かる。 え〜っと、え〜っと...ホテルは確かこの辺、この辺、あっ...通り過ぎる。ぶうう〜ん。 「ちっくしょう〜」 どこで向きを変えれば良いのか。混雑は更にひどくなってきており、道には警察官の姿も多く見られる ようになってきた。下手に一方通行を逆走しては...しかし、ここはどこなんだ。 「・・・ん?」 「イルポン?」 なんと警察官が信号待ちの私の横に立っている。 「はい」 日本人と答える私に警官再び、 「Where do you come from? イルポン? Japan?」 「日本です」 さっきもそう言ったろう〜〜〜!! なぁ〜んて言わない。答える私も私。再三の問いかけには全て日本語で返しているのである。 不審気な顔がナンバープレートを覗いている。 「Tokyo? Osaka?」 訪れる一瞬の間。だって千葉からなのだから。それでも答えは「はい、Yes」 その答えに満足したのか、私は解放されたのだった。 [釜山道路マメ知識] 基本的に車は右側通行である。米国等と同様であり、交差点での右折は一旦停止後の安全確認で 曲がることができる。これは前方の信号が赤でも構わない。しかし変型5叉路などでは、思わぬ 方向へと進まざるを得ない事もあった。てっきり4叉路だと思って交差点に近付くと、実際には もう一本右から鋭角に道が交わっていた場合だ。右折レーンが自分の想像していた道ではないの だ。しかも右折は「一時停止&ゴー」なのだ。「違う〜!」思いつつも曲がる鋭角ターン。 君もたった今から釜山名人だ。迷路名人。ちくしょ〜。 どれだけ時間が経ったのか、相変わらず相棒Fと私は釜山市街を彷徨っていた。 1速でしか登れないような急坂も上った、下った。 昼餉の匂いのする家の窓。サッシと格闘する硝子屋。びっくり顔の子供たち。裏通りも駆け抜けた。 そしてようやく近付いたホテル周辺は、とても停車できる状況ではなかった。路上駐車の嵐だ。 「どうしよう・・・んあっ!もぅ12時〜!?」 とっくにチェックアウト時間を過ぎている。 慌てて電話を探しつつ、私は再び釜山迷路の住人と化していた。 いつになったら抜けられるのか。音を上げそうな自分がそこにある。 「あ!」 気付いたときはもう遅い。車線の選択ミスから、何やら高架の道路へ駆け上がってしまっていた。 いくつものトンネルを過ぎ、人のいない料金所を過ぎ、景気良くどんどんと釜山を遠離る。 どこ、どこ、どこへ連れてゆかれるの〜? どのくらい走っただろう、前方に電話ボックスを発見! 早速そのパーキングへと入る。 「がぁ〜〜〜〜ん」 鎮座しますは「カードのみ使用可能電話」。呆然自失。連絡がとれん...。 テレフォンカードなんぞ買う暇あるかぁ〜! だいたい、テレフォンカードなんて聞いとらんど、こらぁ!! 地上世界へと解放されたのは、釜山市街からひとつ山を越えた街だった。 細い路地で見つけたコンビニでは車を停められる場所もなく、結局私はテレフォンカード一枚得る ことなく再び釜山へと戻ってきていた。我ながらよく戻ってこられたと思う。 いつしか時刻は1時を過ぎようとしている。 最早これまでか...私は友人のピックアップを諦めたのだった。 格闘釜山60km。車はいつしか市内を外れ、郊外の道を北へと向かっていた。 特に決めた行き先があるわけではない。どこでも良かった。混雑した市内を離れる事ができるので あれば。私はひたすら国道14号を北上していた。
10.初メシ! それから小1時間も走っただろうか。 都内23区の隣が一挙に郊外のカントリーロードとなっている。それが釜山周辺、いやおそらくは 韓国の状況なのだと思う。市街地とそれ以外との差が激しいのだ。 しかし願ったり叶ったり。私は日本の国道4号線(特に岩手と青森を繋ぐ辺り)を思わせる、ゆったり と幅のとられた道路を走っていた。時折小さな街が現れては消えてゆく。沿道の商店も4〜500m くらいしか続かない。 ようやく車を停められたのは、釜山から20km以上も離れたドライブインであった。 トイレに電話ボックス、自販機に食堂売店。日本と変わらない。トラックドライバー御用達。 「テレフォン、カード、ある?」 身ぶり手ぶりで聞く私に、 「いや、ここにはないよ」 と、こちらもボディランゲージの店員。しかしウォン硬貨を取り出しボックスを指差す。どうやら コイン利用の電話ボックスもあるらしい。 「じゃぁ、Kyongju(慶州)の Pumonhu(普門湖)の高速バスターミナルで待ち合わせよう。 釜山からのバスで向かうよ。もし5時までに来ないようだったら、Kyonju Park Hotel に 予約とっておくから、そこで落ち合おう」 友人は釜山の Hotel Kukje(ホテル国際)へ泊まっていた。私が釜山入りする前日の事だ。メモを みながら電話をする。「ヨボセヨ〜」は「もしもし」の意味だ。 ようやく友人とも連絡がとれ肩の荷がおりるたためか、現金な事で急に腹が減ってきた。 「メシだ!メシメシ!」 しかしここでも読めないハングルに悩む。薄い生地でつくられた服を纏った、ピンと伸ばした背筋の 姿勢もきれいな女将さんを呼んだ。そうして会話集「ひとり歩きの韓国語自遊自在」を見せながら、 「どれがどれ?」 とメニューも指差す。もちろん日本語である。 「う〜ん、これがコレ」 「じゃぁソレ」 「1つね」 「うん。1つ」 もちろん彼女の方は韓国語である。 ようやくテーブルに運ばれてきた巨大なお盆、それが Kopchangchongor(内蔵の煮込み)定食だ。 所謂モツ煮込み定食である。盆の上には金属ボウルに入れられた白米と内蔵の煮込み、それに幾つもの 小皿が並べられている。それにスープとスイカまでついている。それらを入れれば小皿だけで10個 近くある。キムチだ、色とりどりのキムチが並ぶ。 材料も、色も、形も、そして味も全く違う幾つものキムチ。 淡い味わいのもの、甘さの強いもの、後からジィ〜ンとくる辛さのもの。本当に様々だ。 使うものは箸とスプーン。どちらも金属製だ。 「こんな重い箸使ってんのかぁ?」 鉄箸でリストと握力を鍛える韓国選手団...等と妄想の悪魔に一瞬魅入られ、慌てて周囲を見回せす。 どうやら御飯はスプーンで食べるのようだ。一緒に滴っている汁から推測して、この煮込みと御飯を あえて食べるもののようだ。時折キムチを摘む際にのみ箸を使われる。食器も手で押さえ、口元へ持っ て行かない(小鉢などでは例外もあるようだ)。それが韓国流食事方法。 決してすべての小鉢のキムチを食べる必要はないのだが、もの珍しさも手伝って平らげる。 TVではちょうど李王朝時代のドラマが流れている。時代劇ってやつになるのかな。 目の前にある盆の直径は60cm以上あるだろうか。かなりなボリュームの定食を次から次へと胃袋 へ注ぎ込んでゆく。格別に「美味し」くはないが、なんか...ウマい。満足満足。 最後にちょっとだけ火照る口のなかをスイカで冷し、満足の4000ウォン(約400円)。 店にはトイレットペーパーのロールが壁に掛けてあり、食後の口元をそれにて拭う。 「ありがとう」 まだ憶えていない Kamsahamnida(カムサハムニダ、ありがとうございますの意)は言えない。 日本語だった。韓国に来て初めて「ちゃんと会話したいな」と思った瞬間であった。 さぁ Kyongju(慶州)目指して北上だ!!
11.カササギ 遅まきの昼食を摂った後も、どこまでも長閑な道路を走りつづける。信号も殆どなく、大型車の 走る速度も日本と変わらない。普通車はそれより若干飛ばしているくらいか。 路側帯も広く(一般道である。高速道路ではない)、のんびりと走りつづけられる道。 信号待ちをすると、必ず隣車線にいるドライバー達がこちらをみて何事か喋っている。 右ハンドル車というだけで「日本車!」と注目を浴びるうえ、幌を身に纏ったこの車。 目立つなと言うほうが無理である。 やわらかな陽光の下、快適な旅はどこまでも続く。 ゆったりと幅広の道路の脇には田畑が広がっている。四角く整地された日本のものより、朴訥と した感のある耕地である。畦もやや細いように見受けられる。そのせいだろうか、近似していて も、どことなく日本で見慣れたものとは異なって感じられる。たおやかさがある。 田の畦道から一羽の鳥が飛び立った。 韓国国内ではよくカラス大の黒い鳥を見掛ける。ただし、こちらは白のアクセントが入っており、 全身のラインも流麗でスッキリとした印象を受ける。 カササギ。 和名:カササギ(鵲) 韓国名:Kaji 英語名:Magpie 学名:Pica pica 韓国の国鳥である。 織り姫と牽牛(彦星)の話のなか、2人を1年に一度会えるよう天の川へ橋を架けるのがカサ サギだ。西欧ではノアの箱船に乗らず、溺れる人を嘲笑ったとして悪印象の鳥だと聞いた事 があるが、定かな情報ではない。 羽ばたく彼ら横目に、私は慶州を目指し続ける。 [韓国まめ知識] 韓国車のナンバープレートは日本とほぼ同様のものである。 上に地域名と数字が、下の段に平仮名にあたるハングルと4桁の数字が配されている。 プレートの大きさも同じくである。 私はハングルを覚える際の手本としてナンバープレートを利用した。 地名を読み、日本であれば平仮名の部分にあたるハングルを発し、走りながらの練習である。 徐々に読める時間が短くなってゆく様は快感であった。
12.普門湖高速バスターミナルにてPumonhu(普門湖)の高速バスターミナルで待てども、友人は来ない (^^;。 地図を引っぱりだし、しばし考えてみる。 どうも友人は市街地にある慶州バスターミナルと勘違いしているような気がする。 まぁ時間はあるんだし、暫しぼぅっとして過ごそう。 ここ普門湖は慶州ワールドや新羅民俗村などが近くに点在する観光地。時折やってくる長距離バスから 吐き出される韓国人旅行客を眺めているだけでも十分面白い。いろんな発見があるのだ。 儒教の国であり、目上の人の前では「お酒を飲むときは横を向いて呑む」程の彼等である。 しかし常に目上の人に気を使い続け、畏まってばかりいるのではない。むしろ日本の人よりもずっ と親しくしているくらいである。特に男性にあてはまるようだ。女性に関しては日本と同様である。 総じて、日本でもよく見かける「おっちゃん&おばちゃんの呼吸」で会話している。話し方や表情、そ れに言葉を返す間合いや周囲の反応。どれも日本の商店街で見かけるような...いや、全く同じだ。 時折じゃれすぎてお爺さんが不機嫌になると、すぐさまそれを察知して取り成すところなどは、 気を付けつつの親しさなのだ。 常々思っていたことがある。 TV報道でのインタビューやサッカー観戦客を見する。するとそこには「情熱的」で「言葉全てに アクセント記号が付けて」話し、表情も「硬く」写っている。 「いっつもこんなんじゃ疲れるだろうなぁ・・・」 もちろん、そんな事はなかった。 当たり前だと思う向きもいらっしゃるだろう。しかし実際に体験してみて下され! きっとアナタの予想よりも「日本のおばちゃん/おっちゃんと一緒だっ!」 そう思うはずである。 ただし、売店の親父さん! 店の前のテーブルで友人3名とトランプ賭博をしているのか...どうかの? お嬢さんに店番をさせ、親父はテーブルの上に札を重ねて遊技にお熱。 もっともお嬢さんも負けてはいない。友達だろうか携帯電話片手にしたまま、親父の「お〜い、 ジュースくれや!!」に応えている。 いろんな意味で儒教の国である。
高速バスターミナルにて 向こうに見える煉瓦屋根...
あれがGSだったりするのだ。
13.古墳公園暮れる公園、円卓囲む地元の人々を向こうに どうやらホテルへ直行したのだろう。時間をオーバーしてもやってくる気配がない。 私は友人のいるホテルへと向かう為に市内へと車を走らせた。 やや予想とは異なる経路を何故か辿りつつも、無事ホテルを発見。 んが、なんとなく通り過ぎてしまう。 どうしよう。結局途中で見かけた古墳公園へと向かう。道に迷ったり、なんだかんだで写真を 余り撮っていなかったからだ。夕暮れの古墳公園など良さそう。 [韓国まめ知識] 韓国では軍事施設はもちろん街の俯瞰での撮影を禁じている、とガイドブックに書かれてある。 交通機関なども同様だそうだ。お陰で撮影は毎回どきどきである。 でも考えてみれば観光地でも禁じられているとは思えない。それが古墳公園を選んだもう1つ の理由である。 古墳公園では帰宅中の高校生達がダベっていたり、家族連れが休んでいたり。やはり、ここでも そんな彼らをウオッチングである。 しかし見れば見るほど、日本人と動き等が良く似ている。顔の造作はたしかに少しキツめな感じの ある典型的モンゴロイドの特徴を有しており、我々日本人とは異なっている。 しかし(再三言うが)、漂わせている空気が同じなのだ。会話が当たり前のように理解できるのだ。 (この場合の理解は想像とも言う...のだろう、きっと)
14.合流失敗(慶州巡り) 再びホテルへととって返し、カウンターで友人のチェックインを訊ねる。 すると「いま、外出されてます」との事。帰りを待っても良かったのだが、ムズムズしてきたので 今度は慶州街巡りを敢行してしまう。 友人に「お前バス出ちゃたぞ」と言われ、バスを追い掛ける学生。 流行りの服やゲームセンターにCDショップの立ち並ぶ通りいっぱいの若者。 「これは一般家庭の食卓なのか?はたまた食堂なのか?」メニュー様のものが壁に掛けられ、近所の おっさん2〜3名が卓を囲む。そんな食堂(?)に悩み。 道に並べられたスイカがやけに旨そうに見え。 写真やのウィンドウに飾られた記念撮影サンプル。その余りのでかさに驚き。 商店街を流れる韓国音楽に心を漂わせ、時に踊らせ。 またたく間に時が過ぎ去る。 「あ!ヤバッ。ホテルに帰らねば!!」 友人の待つホテルへと駆け足で向かう。
15.成功 ようやく友人に会う。彼の第1声は、 「うわっ!キムチ臭いゾ!!」 なんとなく韓国に同化したような感じで、ちょっと誇らし気だ。うへへ。 錯覚にひたりつつ、友人とメシを食いに出かける。歩きながらお互いの苦労話に花を咲かせる。 「空港からホテルへ向かったらさぁ・・・」 「それがバスに乗るのに・・・」 「いやぁ〜、さっきパンを買おうと思ったら、わはは・・・」 かなり苦労した模様だ。 ははは、「これぞ旅行の醍醐味」とも言えるが「お互いおばかさん」だね。止められない、旅。 適当に入った食堂で焼肉系のものを時間をかけ堪能する。その間もお互いの苦労話は絶えること がなかった。 「そろそろ出ようっか、もう10時過ぎちゃってるし」 あれこれ頼みすぎたのか計算をトチる店のおばちゃん。おまけにお釣が足りない、とさらにパニック! 結局ビール代辺りを我々は払っていない。 「あ〜ん、んあ、もぅこれでいいっ!」 おばちゃんの断末魔の叫びを背に、我々は再び夜の慶州をホテルへと向かうのだった。 途中でコンビニに入ってみる。するとどこかで耳にした旋律が...。「First Love」(宇多田ヒカル)だ。 日本楽曲の解禁を実感している間に、友人があるものを手にやってくる。アヤシゲ着色飲料「どうだ! これがKoreanだ!!」(筆者勝手に命名) ...とにかく、ホテルに帰ったら飲ませてもらおう。 釜山で待ち合わせ、ようやく会えたは北へ90km、慶州の街。長かった〜。ホテル前にて こうして慶州の夜は更けて行く。 我々はそれぞれのベッドへもぐりこんだ後も「出国から今まで」を話し合っていた。 迷い迷いの180km。明日の事は明日決まる。 今夜はもう寝よう。いつしか寝息の2人であった。 (意外に普通の味がしたジュース。我が家では「ビンボージュース」と呼んでいた奴と同じだ...)
( つづく )
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