このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


Title

----「下道韓国への旅」----

メニュー:

 (1) 前菜
 (2) Kopchangchongor -内臓の味噌煮-
 (3) Purkogi -プルコギ-
 (4) Murkimchi -水キムチ-
 (5) ポン菓子
 (6) Nengmyen -冷麺-
 (7) デザート
 (8) 最後に...

 (9) 当店ご案内


〜Nengmyen -冷麺-〜 (6/17)
37.豪雨 午前中に車を港へ持ってゆき、南浦洞で土産のキムチなんか買って帰るだけ。  事件など起きようもない、よね。  最終日、外は朝から大雨。  「こんな天気での運転だけは避けたかったんじゃけどなぁ」  ぼやきも漏れる。今回のテーマ「生きて還る」に則し、これまでも夜間の運転はほとんど行わず、  天気に関しても「晴れ乞い」を念じてきた。  しかし、降ってきたものは仕方ない。今日は帰国の日なのだ。行かねばならぬ。  「アンニョンハセヨ〜」  「あ!おはよございます」  お互いが相手の国の言葉での挨拶と共に、車のキーを返してもらいチェックアウト。  エンジンをかけ。燃量計をチェック...ぐぉ〜ん...残料僅かを示す赤いゾーンに針が。  ここで通常の車であれば、「それでも50km位走れる分は残っているでしょ」そう思われるだろう。  MG−Fというこの車の場合には、すこし用心が必要だ。確かに残っている可能性は高い。もしも  針が正常に指しているのであれば、である。その針は平気で1〜2目盛りくらいは上下するのだ。  それも加減速を行ったときに一時的に見られるアレではなく。一定のペースで走っていてさえ、  のべ4目盛り戻ったことがある。(2目盛りもどって通常のペースで減り続け、ふたたび2目盛り  戻り通常のペースで減った)ちなみに1目盛りは50リットルタンクを10等分する割りである。  針はいま最後の目盛り、赤い帯の中間で止まっている。正常だとして残り3リットルくらいか。  1目盛り少なめだとして8リットル...推定走行可能距離:30km〜80km。  「まぁ、フェリー乗り場は昨日も見かけたし。大丈夫っしょ!」  自分に気合いをかけ出発する。  一旦フェリー乗り場に預けさえすれば、事故の心配をする必要はなくなるのだ。  ゴールは近い。
38.焦躁&緊急事態 「なんでなぁ、なんでこうなるんなら〜!!!」  なんだか通勤の車やバスに混じり、見知らぬ道を駆け上っている。今日は下り道だけのはずなのに。  どこかで車線を間違えたのだ。Uターンや車を脇に寄せる事もできない混雑に、あ〜!!  雨で視界も悪く、常に周囲の車の動きを把握しなければならない。加えて走っている車線に気をつけ  ていなければ、ますます不本意な道へと紛れ込んでしまう。  どうにか路地を使い使いで、車の向きを変える。んがフェリー乗り場がどこなのか、全く分からない。  遠くまで押し出されてしまった。どうしたらよいものか。  午後の3時までに乗り場に行けば良いのだから、まだまだ時間的には何の問題もない。  そう、問題は燃量の残りである。やはり予想通り針はひと目盛り減ったり増えたりしている.....。  こうなったら行くだけだ。「生きて還る!」それがテーマじゃ!  まず通りはまずまず込んでいる。反対車線は逆に空いている。ならば町の中心へ向かっている可能性  が高い。生憎の雨で太陽での方位確認は不可。お!道が上り坂に(ああ燃量諸費が激しくなる〜)な  った。うまく行けば、何か情報が得られるかもしれぬ。  「おっしゃぁ!見えた〜っっっ!」  一瞬ではあったが、右手に海が見えた。ならば北だ、北を向いている。  北を向いて、町中へ向かっている。つまり釜山駅にむかって南から進入しつつあり、平地を走ってい  ない事から、フェリー乗り場を通り過ぎている訳でもない!  この方角を保てるような道を選べば、フェリー乗り場へゆける(可能性が高い)!!  「だっりゃぁ〜〜〜!!!」  燃量計の針がほぼ真下 Empty を指しつつも、私は坂を駆けおりる。
39.国際フェリーターミナルから市場へ 私は車をフェリーターミナルの駐車場へ停めると、ほぅぅ、大きな溜息をついた。  勝った。これで事故ることはなくなった。  (実は安堵のあまり、駐車場と工事現場の入り口を一度間違えた。わはは・・・)  思い返してみるに、事故に一番近付いたのは、釜山市街でバスにサンドイッチにされそうになった  時である。本当に右も左も分からなかった初日。よかった、生きて還るメドがつきそうだった。  後はフェリーに乗せるまでと、帰国して油断をしない事だ。  余り効果のない傘をさし、私は再び南浦洞の市場へと向かった。お土産に約束したキムチを買うのだ。  漁船の停泊する海岸近くでは新鮮な魚が並べられ、おっちゃんやおばちゃんが何やら食している。  見たことの無い魚もいた。  少し路地を入れば野菜や惣菜、パンに何だか分からない食材が顔を見せ、その合間を濡れながら徘徊  した。キムチが見つからない。  あれま!昨日歩いた場所へ出てきたよ。この先には衣類しかぶら下げられていない。  もう一度別の路地から再度探索を開始する。  リヤカーのおばぁちゃんが片輪を水溜まりに落としてしまい、路上にレタスの葉をぶちまけていた。  「おばぁちゃん、大丈夫? 手伝おうか」  「大丈夫っ! 大丈夫っ!!」  強めの語調で拒絶され、思わず手が止まってしまった。見れば周囲のおばちゃん達も、視線を投げ  かけるだけである。そんなものなのかなぁ。結局私は何も手伝えないままに、その場を去るしかなか  った。  「あった、あった...んが」  ようやく見つけたそれは、周囲への匂いに平気な人間(慣れている人)でなければ、決して持ち帰ろう  とは思えないものであった。旨そうではある。しかし、この匂いは少々の袋では防げない。フェリーに  持ち込めるのか? 日本へ持ち込めるのか?  別を当たるとしよう。
40.お土産 自分へのお土産を買った。  Pak Sangmin。ややハスキーな歌声が印象的な、日本でいえば世良公則をもっとオヤジに、渋めに  した風味の歌い手である。ロックを感じさせる歌あり、バラードでぐいぐいの曲もある。  あの2日前に御世話になった旅館。大の字になりながら聴いた、TVから流れてきた彼の歌声が  忘れられなかったのだ。  アルバムは、その名も「暴風」! お気に入りのテープとなった。  日本へ帰ってからも、運転中はずぅ〜っと聞き続けた程に。  韓国ではまだテープが幅をきかせている。輸入ものに関してはCDだが、彼の国での邦楽はテープか  らの過渡期であるようだ。  同時に購入したアイドルグループ FIN.K.L はちょっと趣味では無かった。FIN.K.L は SPEED のような  少女4人組の歌い手さん達である。アイドル的過ぎた。  家族や会社へのお土産(キムチなど)も買い、めしを物色し始める。  ずぶ濡れのまま冷麺を食った。ここでも会話集を間に説明を受けながらのメニュー選び。  思えばこれが韓国内での最後の食事であった。  美味だった。
41.あやしきおっさん どろどろの濡れ鼠で国際ターミナルへ戻り、早速登場手続きを行う。  坂を上がり車を税関へ持ってゆくが、一向に係官が出てこない。外は大雨なのでエンジンをかけ、  エアコンを効かせ続けなければ、忽ちにして窓ガラスが曇る。すっかり下を俯いた燃量計が心配だ。  エンジンを切り柱の陰でずっと立ち続ける。早く出てこいやぁ。  と、白いマーク2で税関に並んでいたオヤジも車を下り、こちらに近付いてきた。  「韓国は〜が安いよねぇ」  所謂春を買う話である。それもいきなり。  「はぁ?」  「いやぁ3000円だったよ」  「・・・ん、はぁ・・・(なんじゃこのオッサン)」  「どうだった?」  「いやぁ、そんなんは全然なかったっすねぇ」  オヤジ、珍しいものでも見るような目つきだ。  「ずっと車を運転し続けてましたしねぇ、でも楽しかったですよ」  ここまでくるとオヤジの目つきは、この世ならぬものを見つめるそれだった。よっぽどお互いの世界  観が異なっている事に気が付いたのだろう。しかし、これより先の下関で別れるまで、我々はずっと  行動を共にする事となるのである。縁は異なものである。
42.置いてかれっ!? ようやく税関を通過させた車をフェリー横の埠頭におき、今度は人間の出国手続きをとる。  しかし乗船まではしばらく時間があるので、相変わらず怪しきオヤジとの会話は続く。  聞けば在日韓国人で、故郷の風景を見たくて帰国してきたらしい。(しかし、それがなんで  「散髪屋で〜ことしてもらった、安かった」とかって感想になるんだ?)  「僕はねぇ、韓国のヒトは〜だとおもうですよ」  「やっぱり日本人は〜ですね」  これは行きの船のなかでも感じたことなのだが、在日韓国人の方は韓国の事を余りよく言わない。  日本人の前だからなのか、それは分からない。わざと少し悪く聞えるような表現をするのだ。  日本では「韓国人」、韓国では「韓国語の話せない人」。微妙な位置が、その発言に繋がるのかも  知れない。  しかし、いくら待ってもフェリーに乗り込めと言ってこない。  乗用車は一般乗客よりも先にフェリーに乗り込む。ところが仰ぎ見れば、タラップを乗客がぼんぼん  歩いている。なんだか変だ?  「なんか、忘れられてない?」  我々は疑問を口にした。同時だった。もう出航予定時刻になっているのだ。  嘘みたい...我々はフェリーに忘れられていた。  うぉ〜い! 日本に返せ〜〜〜〜!! 返さんかこらぁ!!!  最後の最後で大ピンチぃ?  何やら書かれた柵を開けてタラップへ近付いた。船会社の人間に事の真相を質す為である。  と、警備のオッサンが顔を真っ赤にして飛び出してくる。TV等でよく見かける興奮した韓国語を  放ちながら。  「フナノヌナノノン!!!」  「あほぅ、どけやボケ!!ワシらどうなっとんなら。さっきからずっと埠頭で待ちっぱなしじゃ   ないか! うるさぁ、どりゃ、わしにどなっても分かるか、ボケ!」  問答無用の居丈高なその口調に、売り言葉に買い言葉、こちらも瞬間激昂マシーン。広島弁で返して  やる。何を言っているのか分からずとも、こっちの言わんとしている事だけは伝えてやる。  身振り手ぶりで車とフェリーを指差し、ドゴンドゴンと日本語でどやしてやる。  推察するに、先ほどの柵に掛けられていた札に「関係者以外はここから入らなぬこと」とでも書かれて  いたのだろう。そこを日本人ががたがたやってきた。フェリー付きの警備のオヤジは、きっとだから  怒鳴り始めたのだ。でも、こちらはそれどころじゃない。帰国がかかっているのだ!  激突する我々の怒鳴り声が聞えたのであろう、フェリーから船会社の人間が出てきた。  「すみません。どしましたか〜」  「車はいつになったら載せてもらえるんですか?」  「え?え?・・・」  どうやら本当に忘れていたらしい。たまらん。  「え〜っと、じゃぁ、こちらへ入って来て下さい」  「車は?車はどうなるんですか?」  「え〜っと、とりあえず入ってきて下さい。」  上記のやり取りを数回くりかえし、ようやく車の搬入を認識してもらう。頼むで、おいおい。  不満げな警備オヤジを残し、半信半疑のままフェリーへとタラップを渡る。  フェリー会社の人間と話し、車の搬入の際にはアナウンスする約束をとりつける。  船室も専用に確保しておきました、との事。アナウンスを待つとしよう。  フェリーは怪しきオッサンと私の車をのせると、定刻よりも遥か遅れて出発した。  さらば韓国!!!  感傷に浸る暇もない、慌ただしさに溢れた出発であった。
43.おかま 「あ〜ら○○ちゃんじゃなぁい〜」  今日は怪しいオッサン大パレードである。  マーク2のオヤジとメシを食っていると、ちょっとクネクネした韓国なまりの日本語を話す男が  やってきた。どうやらマーク2オヤジの知り合いらしい。  オカマのオヤジはそのまま私達の部屋(といっても雑魚寝の2等寝室である)までやってくる。  暫く3人は笑い話で盛り上がっていたのだが、そのオカマ氏が私に向かってこう言い放った。  「はぁん、疲れた。ねぇちょとアナタ、一番若いんだから、はい、マッサージしなさい」  さすが儒教の国である。韓国エステの旅とかは耳にした事がある。それってマッサージ修行の旅で  はないよね、まさか?   私はオカマ先生の指導のもと、せっせとマッサージに励まされるのであった。  なんでやぁ〜〜! なんでなんやぁ〜〜〜〜!!  30分程の格闘的マッサージ受講を終えると、オカマ氏はこう話し掛けてきた。  「ねぇ?アナタ、バイトしない?」  なんでも、税関をするには少々多めの荷物があり、それを持ち込むのに手伝ってくれないか、という  のである。一人だとオーバーする分を、マーク2オヤジと私で分担してくれないかと言う。  「どう?2000円」  まさに、ガクッである。別に協力しようとしたワケではないが、それでは誰もやらんのじゃないか?  2000円で脱税する奴は。  結局、最後は再びバカ話に花をさかせつつ、夜は更けて行った。  少しずつ日本へ近付いている。
44.帰国 本当にぎりぎりであった。  燃量タンクには3リットル少々しか残されていなかった。燃量計の針は正しかった。  何故か日本でも韓国でも、車の税関は急坂を登った2階に設けられている。順番待ちの間に幾度か  坂道発進を強いられさせられ、そのたび「あ〜ガス欠!!」悪夢が頭を過った。  ふぅぅ〜〜。なんとか間に合ったぁ!!!  韓国無給油ドライブ作戦。ここに終了。  じみぃ兵曹、無事生還。
 今回の旅も、思い浮かぶは田舎道
 ようし!日本へ帰ってきたぁ!!  「左、左」  左通行自己暗示をかけながらガソリンスタンドを後にする。  さぁ、千葉のアパートへ帰ろう。  残り1100km、まだ旅は途中であった。
 岡山は備前路にて夕焼け

デザートへ

Home へ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください