このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


Title

----「下道韓国への旅」----

メニュー:

 (1) 前菜
 (2) Kopchangchongor -内臓の味噌煮-
 (3) Purkogi -プルコギ-
 (4) Murkimchi -水キムチ-
 (5) ポン菓子
 (6) Nengmyen -冷麺-
 (7) デザート
 (8) 最後に...

 (9) 当店ご案内


〜Purkogi -プルコギ-〜 (6/15)
16.刻追う慶州 Kyongju(慶州)は日本で言えば奈良にでもあたるだろうか、古墳や寺院等の歴史遺跡の多い街で  ある。観光地である。遺跡には仏教施設も多く見られ、中国大陸から朝鮮半島、そうして日本へと  伝わった時の流れに身をゆだねる。ここに来るまでハングル文字がある程度読めるようになってい  た。もちろん微妙な発音はできないし、会話などは全くできないが。その中で気付いた事がある。  ハングルは1446年に世宗王(セジョンワン)によって公布された表音文字である。  子音母音の組み合わせで表され「ローマ字のようなもの」とも言われるが、それは少し違う。  例えば前回でてきた Pusan(釜山)は2文字での表現だ。Pu + san である。Pu は P と U を表す  2つの文字から構成される。これに対し san は S, A, N の3つの文字(記号)からなる。鍵はこれ  らの文字の「並び方」にある。PU は P の文字の下に U が来る。上下である。これがもし PA なら  P と A は横に並ぶのである。縦横くらいイイじゃん? 侮ってはいけない。 続きの SAN を見てみよう。 SA は横に S と A が並ぶ。では N は? N は下につくのである。  横に並ぶだけのローマ文字的表記を1次元とすれば、ハングルは2次元的配置である。  韓国は Han Kuk である。ハングルでは2文字になる。横にならんだ HA の下に N がきて Han(韓)。  K の下に U 、その更に下に K がきて Kuk(国)である。  最後が N 以外の子音で終わるなんて!  これは日本人の言う「ローマ字」の概念ではない。  もし仮にそうだとしても、ハングルは2次元的ローマ字だと私は言いたい。  話を元に戻そう。  発音をくり返すうち、意味が分かるものが幾つかあることに気付く。街で目にするハングルのうち、  ある共通条件を備えたものは意味が分かるのだ。  それは「多くの音読み熟語が韓国と日本とでは近似の発音をする」のだと言うことである。  たとえば Parking を意味する Chu Cha Jang 、そう駐車場である。Yak は薬を、Mu Ryo は無料、  Yagu は野球である。  韓国でも本来は漢字を用いていた。ハングルは広く国民に識る事ができるよう作られた文字なのだ。  何ごとにつけ「伝わる」とは文字を伴う。(なかには文字を持たない文明もありますが僅少)  かつて宗教や技術が中国から朝鮮半島、そして日本へと伝わった。それは同時に漢字の伝来をも意味  した。やがてそれらは日常の言葉のなかへと溶け込み、韓国語や日本語の言葉として定着して行った。  だから日本人!「言葉が使われている状況と、それが共通の音読み熟語であれば、  君でも意味が分かるっ(ものもある)!!! X-Y-Z に加え「時間 t」が加わった空間を4次元と言う。  ハングル、それは時の証。  さいごに、タイトル画像に使ったハングル文字を見ておこう。  Kam Sa Ham Ni Da、カムサハムニダである。ね? 単純なローマ字じゃないでしょう。  その言葉の意味するものは、いずれ改めて紹介できると思います。
17.出発前喧噪  さて2日目の幕開けである。  今日は Taegu(大邱)へと向かう予定である。昨夜会えた友人を駅まで送らねばならない。  東大邱という駅から Seuru(ソウル)行きの特急列車セマウル号がでるのだ。彼は今夜はソウル泊。  私はといえば...やはり未定である。大丈夫だろうか?そう思わないわけはない。だが、そう思う程度  である事も事実なのである。はぁ〜。  私はこの旅を始めるにあたり、旅行日程及び宿泊施設の確保を一切行わなかった。  無謀だと笑われるむきもあるだろう。  しかし、こうは考えられないだろうか。初めての韓国でまともに走れるかどうかもわからず、交通  事情や得られる走行ペース、ガソリンスタンドの間隔など全てが未知数なのだ。そこへ机上の計算  で出した日程をもとに宿を確保するとすれば、逆に無理をする結果になるのではないか。「ああ、  今日はどこそこまで行かねばならない」と。  事実ハイオクを扱っているガソリンスタンドは見当たらず、1日の走行ペースも日本とは比較でき  ない程度の短さであった。その日の運命は、その日が握る。  そもそも無謀とは...いきなし韓国へドライブに行くこと自体に他ならないのである。  さて、出発の準備も済んだ。チェックアウトだ!  友人Iと私は駐車場で車に荷物を詰め込んでいた。と、気付けばホテルカウンターのお兄ちゃんが  出てきている。笑顔だ。  「イイ車デスネ」  日本語で話し掛ける奴、日本円での支払いを要求するのには気をつけろ!(フェリー内おばちゃん談)  それは今回は出番なしのようだ。直感。  「ありがとうございます」  「イクラクライ、クルマ、シマスカ?」  彼は日本語が話せるのである。  「オ〜、それじゃアッチにあるワタシが2ツ買えます」  友人がやや高めに応えた為に、彼の車は私の車の半分の値にされてしまう。  「コレ何ですか?」  「エンジン」  「ン?エンジン?...前ニハ何?」  「オ〜。スペアタイヤ!」  ペにアクセントのある発音。英単語は韓国流発音だ。もちろん我々は日本流。  気が付くと、周囲に親父達が集まりつつある。  口々に「オ〜、スペアタイヤ!」「スピードどのくらい出マスカ?」「イクラ?」を発する。  いつの間にか愛車 MG-F 説明会と化していた。  そうして、いま私の手元には「未来自動車」なる会社社長の名刺がある。
18.大邱(Taegu)でランチ なんとか説明会を切り上げ、我々は一路 Taegu(大邱)を目指す。国道4号線だ。  相変わらずハイオクを売っているGSは見つからない。どこも2種類(フィバリュ:ガソリン、  DIESEL)ばかりである。時に3つあると思えば、それはLPGだったりするし。  やはり今回の旅は「韓国4日間−無給油チェレンジ!−」なのだろうか。
 ご当地の道路標識
 今日も天気がすこぶる良い。  オープンにした車内へ陽が燦々とぶり注ぐ。日本より少し乾燥気味なので不快感は少ない。  (もっとも日本にいても左程不快では無いのだが...)木陰や高架下を潜ると、爽やかな涼しさを  感じられる。やはり湿度が低いのが強く影響しているようだ。  ゆるやかな田舎道をひたすら走る。線路を横切り、ちょっと複雑な(それでも釜山の比ではない!)  交差点を過ぎ、道路を跨ぎ、突き進む。  ここ韓国ではハザードの使い方が日本とはすこし異なる。  路肩にとめる場合や、渋滞を知らせる時は同じなのだが、それ以外に1つ。信号待ちであろうと、  とにかく止まる時には点灯させるのだ。チッカチッカ。  推察するに、おそらく「このブレーキは減速のためではありませんよ。停止しますよ!気をつけて  下さいね」の意なのであろう。これは交差点の多い釜山市街では見られなかった作法である。  信号機の少ない地域故であろう。主に大型車が行うが、最初は正直戸惑った。路肩に寄せる事もなく、  ハザードを上げて止まられたのだ。追いこすべきなのか悩んでしまう。  なるほど追突防止ね!りょうかい!!  「そろそろお昼だね〜」  会話にこんな言葉が混じり始めたころ、立ち並ぶマンション群が目に飛び込んでくる。  畑、田圃、畑、畑、マンション。  唐突な出現に驚きながらも、Taegu(大邱)のベッドタウンなのであろうと予測をたてる。  それは Taegu(大邱)という街の大きさを知る目安となった。  海外旅行案内にも紹介される程の街である。小さいわけがないのだ。  今日のお昼はプルコギレストラン。  ここでも駐車場へ車を入れただけで、早速厨房の奥から視線を浴びる。  お店に入っても、明らかに要領を得ない我々を席に案内してくれ、さぁ注文だ。  しかし何がなんだか、ここでも分からないメニュー。やはり適当に頼むはめになる。  もうタドタドしいなどと言うレベルではない。すべてが「なんかこんな感じ」のコミュニケーション  に、嫌な顔ひとつせず根気良く話し掛け料理を並べてくれる店員。綺麗なおばさんだ。  「ほじゃ、いただきま〜す」  と、ダメダメダメダメ! 先ほどの綺麗なおばさんが慌てて駆け寄ってくる。  どうやら目の前に並べられた小鉢の食べ合わせがまずかったらしい。  「この小鉢はこっちのかこっちのと、これはそっちのと食べる」  を身ぶり手ぶりで説明してくれる。  と!ダメダメダメダメダメ〜! 今度は食べる順序のようだ。  ついついプルコギといえば、我々はお肉を中心に考えがちだが、それは違うようだ。  炊いた御飯に蒸した麦を混ぜたものをメインに据え、そこへチョイ辛のスープをかけて食べる。  その合間に焼いた肉を葉に挟み食べるのだ。メシメシにく、メシメシお肉、である。  前にも書いたが、韓国の食卓にはメインの御飯などにスープや煮込みもの、そこにプラスで沢山の  小鉢へ盛られた色とりどりのキムチが並ぶ。今回はそれに昆布と魚の塩漬けが加わった。  これがすんごい塩っぱかった。しかし昆布とあわせて口に運ぶや、咽の奥に海が現れたのだ。  潮の香りがするのだ。  と、何やら紙切れを持っておばさんが近付いてくる。  「おかわり」などが書かれてたメモだ。韓日辞書片手に調べてくれたらしい。もちろん「おかわり」  だ!  いろんな味覚を味わえるキムチやこの塩漬けが、アクセントある食卓を演出し、食欲は止まることを  しらない。さすが食の国である。  食後に出されたカラメル的甘さの韓国珈琲を堪能しつつ、我々はお店を後にする。  厨房から店員さん達の笑顔が見えた。
19.東大邱駅(Tong-Taegu Yeku)の別れ 友人と分かれた。  彼は Tong-Taegu(東大邱)駅から特急列車セマウル号に乗り、一路主都ソウルを目指すのだ。  出発までの時間を、構内のロッテリアで過ごす。思えば韓国でのファーストフードのお店は初めて  だ。味はおんなじだった。  「これから、どこ行くの?」  「いや〜。そうじゃねぇ....」  相変わらず行き先を決めていない。地図を見てもイメージが湧かないのだ。  「ここかな」  Nam Uon(南原)。ガイドブックに載っていた地名のうち、距離的に辿り着けそうな場所だ。  韓国古典「春香伝」の街だそうだ。  無事友人の出発を見送り、私も駅を出る。
20.国道30号線 国道30号線。そんなタイトルをつけてはみたものの、決して望んで走った道ではない。私は  4号線へ戻り南原へ向かいたかっただけなのだ。  そう。こう言えばもうお分かりだろう。再び道に迷ったのだ。東大邱市内から国道4号線へ  戻る事ができない。どこをどう走っても出られない。  「あったまきた〜〜〜!!!」  目の前の道をひたすらに突き進んでやる。どっりゃ〜!!
 街を抜ける頃、標識と地図のマッチングに成功する。どうやら国道30号線を進んでいるらしい。  ただ、なんか地図と違う...明らかに違う。  韓国内では現在盛んに道路整備が行われており、そのため昨年度版の地図との間にギャップ  が生じているらしい。本当にここは30号なのか!?  しかし、ものは考えよう。道に迷っている事態に変わりはないのだ。もはや当初の目的地である  南原行きは夢想だにできない。こうなったらアレ。  ワハハハハ〜!! そう、笑うだけ。来るなら来い。
21.軍隊に停められる それはやって来た。  ニンジン(赤色灯棒)を握った男性が私を道ばたへ呼んでいる。背中M16を背負って。  本当にM16かどうかは知らないが、TVで見かけたあんな感じの銃器だ。もちろん着用は  迷彩模様にブーツでビシッ。こわばった顔つきは、そう軍隊。  私は検問中の若い兵士に呼び止められた。  道行く車のなかから私だけが路肩へ車を寄せられる。  「ハニャホレホイホゲイチ、ホゲゲマ」  何を言っているのかさっぱりわからん。どうしたらええんか、ただ待つばかり。とにかく相手を  刺激してはならない...ぼんやり思う。  「あ〜、パスポート」  続いて要請された「ライセンス」を提示。正式な入国をしているし、兵士の生真面目そうな表情  から、彼が暴挙にでるとも思えない。段々と落ち着きを取り戻す。  「イルポン?」  「はい」  ついつい日本語で答えてしまう。頷きからコミュニケーションはとれたようだ。  彼も困っている。青年兵の口元が曖昧に綻びかけているのだ。察するに、  (変な車が来たので止めたまではよかったが、こりゃ一体どう処理したらいいんだ?)  徐々に空気が変わりつつあった。もう彼は頭までかいている。ややあって別の隊員へ相談に行って  しまった。  暫し私は取り残される。  「どうぞ(推定日本語訳)」  偽造のチェックくらいしかできなかったのだろう、彼等は他の車を止めつつ、私を元の車線へと  誘導してくれた。  解放である。ふぅ〜、心拍数上がったぜい。たまらん、たまらん。  やはり地続きでの脅威を感じている国と、日本の様に海を隔てて感じている国の違いだろうか。  現代兵器の前には海があっても、その脅威に差はないはずなのだが。  そんな事を考えつつ出発。どこへ向かっているのか分からぬまま。
22.再び迷走する
 もう、どこを走っているんだか分っかりま、せ〜〜〜〜〜っん!!  言いたいことはそれだけ。言えることもそれだけ。うう...。  余りに田舎に迷いこんでしまったが故、時折あらわれる地名も地図には載っていないものに  なってしまった。太陽の方角などから、凡そ己が向かっている方向を知るしかない。  その間も消費されていゆくガソリン。幸い信号や交差点のない道が延々と続いているので、  燃料消費率だけはよいが、そのぶん距離も順調に伸びて行く。  どこを走っているんだろう。  はたして期日までに釜山へ帰られるのだろうか。  燃料は持つのだろうか。  さっきから殆ど人を見かけないなぁ。
 ( つづく

Home へ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください