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第4編 第9条解釈の歴史と判例

 この章では、 第9条 関係で争われた裁判、事件を中心にまとめ、憲法問題としての安保・自衛隊問題の歴史を振り返る。

■第1章 制憲議会における議論

  憲法第9条 の定める徹底した平和主義は前代未聞の規定であり、制憲議会(第90帝国議会)においても、その内容について議論が為された。

第1節 自衛権も放棄するのか
 例えば、進歩党の原夫次郎議員は、この憲法草案では自衛権まで放棄してしまうのか、不意の侵略を受けた場合どう対処するのか、について質問している。
 これに対して当時の吉田茂首相は、第2説即ち現在の学会通説の立場を採用して説明し、 第9条 は自衛権は否定していないが軍備と交戦権を否定している、と答弁した。更に付け加えて吉田首相は、近年の戦争は「自衛権」の名に於いて行われたものであり、世界に対して我が国が好戦的な国で無いことを証明し、疑念を払拭するには、 第9条 が必要であると発言した(※注1)

第2節 自衛戦争も放棄するのか
 また、日本共産党の野坂参三議員は、戦争には侵略戦争自衛戦争があって(※注2)、「正しい戦争」つまり自衛戦争まで放棄する必要は無いはずであり、 憲法第9条 は侵略戦争の放棄を明示することで足りるのではないか、と質問した(この質問は、その後「非武装中立」擁護に転じた現在の日本共産党を揶揄する際に、よく引用されている)。だが、これに対しても吉田首相は、「国家防衛権に基づく戦争を正当とする考え方こそ有害である」と答弁し、頑なに 憲法第9条 を擁護した(※注1)
 もっとも、ポツダム宣言を受諾して外国軍隊の占領下にあった当時の我が国に於いて、議会で自由公正な議論が可能であったとは到底思えないのだが、憲法学会に於いては、所謂「八月革命説」により、普通選挙で選出された議員による第90帝国議会は「民主的であった」と評価している(※注3)

■第2章 警察予備隊と憲法解釈

 ところで、初期の占領軍、特にアメリカの対日占領方針は、日本の徹底した非軍事化と民主化により、日本が再びアメリカの脅威とならないようにすることだった(※注4)。しかし、よく知られているように、大戦終結後の東西冷戦の激化(※注5)の中で、アメリカの対日占領方針は「非軍事化」から「反共の防波堤」(※注6)に転換され、我が国はアメリカのアジア戦略に編入されることになった。
 占領政策の転換で問題となったのが、日本の再軍備と 憲法第9条 の関係である。

第1節 警察予備隊の創設
 1950年6月25日、突如、自称「朝鮮民主主義人民共和国」の武装集団が大韓民国を侵略し、朝鮮戦争(6・25事変)が勃発した。武装集団は一気に南下し3日で首都ソウルを占領したあと、韓国軍を半島南端の釜山に追いつめ、米韓軍は「釜山橋頭堡」に立てこもって抵抗していた。そこで、韓国軍を救援し北朝鮮軍を撃退するために、連合国軍最高司令官(SCAP)兼国連軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、日本の占領と防衛の任務についていた米軍4個師団を朝鮮半島に出動させたのだが、逆に、それによって日本の防衛体制には大きな穴が空いてしまった。
 そこでマッカーサーは、その穴を埋めるために、1950年7月8日日本政府に「日本警察力増強に関する書簡」を送り、国家警察予備隊7万5000人(※注7)の創設と海上保安庁の8000人増員を「許可」(※注8)した。そして8月10日、 ポツダム政令 (※注9)たる「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)が公布され、4個「管区隊」(師団に相当)からなる総理府警察予備隊が発足したことで、事実上の再軍備が達成された(※注10)

第2節 警察予備隊違憲訴訟
 警察予備隊令は、その目的を国家地方警察及び自治体警察を補うものと規定し、吉田首相も「警察予備隊の設置目的は全く治安維持にある(※注11)としていたが、これに対して1952年、社会党中央執行委員長の鈴木茂三郎が、「警察予備隊は 9条 に違反し違憲無効である」として最高裁判所に所謂警察予備隊違憲訴訟(※注12)を提訴した。鈴木は(1)実体論として警察予備隊は違憲であるとし、更に(2)憲法第81条は最高裁判所に憲法裁判所としての性格も与えた、として訴訟の適格性を主張した。
 これに対して最高裁判所は、憲法第81条の定める違憲審査権は訴訟当事者の具体的な権利利益に関わる「法律上の争訟」においてのみ必要な限度で行使されるのであって(=「事件性の要件」の必要性)、たんに抽象一般的に法令の違憲審査を求める訴訟は許されない(=付随的違憲審査制)、として訴えを却下し、警察予備隊の違憲合憲については判断しなかった(※注12)

■第3章 保安隊発足と憲法解釈

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約(「日本国との平和条約」、昭和27年条約第5号)が発効して日本は独立を回復したが、それに伴ってポツダム政令等の管理法令(ポツダム命令)は(=警察予備隊令は)存続し得なくなった。そこで、「 ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律 」(昭和27年法律第81号)が公布され、一連の管理法令は施行日=対日講和条約発効日から180日に限り有効とし、以後廃止するとした。そして、警察予備隊は自動廃止直前に、保安庁法(昭和27年法律第265号)によって総理府保安庁保安隊となった(※注13)
 保安庁法では、保安隊・警備隊の目的を「わが国の平和と秩序を維持し、人命および財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動し、あわせて海上における救難を行う」としており(※注14)、政府は 第9条第2項 の禁止する「戦力」は近代戦争遂行能力であって、「戦力」に至らない実力の保有は合憲である、との解釈を示した(1952年政府統一見解)(※注15)。つまり、第3説の考え方をとったわけである。

■第4章 自衛隊発足と憲法解釈

 1954年、日米相互防衛援助協定(MSA協定)が締結されて我が国は防衛力増強の法的義務を負うようになり、それを受けて、同年、防衛二法、即ち 防衛庁設置法 (昭和29年法律第164号)と 自衛隊法 (昭和29年法律第165号)が公布施行され、総理府保安庁保安隊・警備隊は総理府防衛庁自衛隊に改組された(※注16)。自衛隊には陸上、海上、航空の3つの自衛隊が置かれ、 自衛隊法 では、その目的を「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持にあたる」としており(※注14)、従来の政府統一見解(第3説)では説明仕切れなくなったため、かわって第4説自衛力合憲説が政府解釈となった。自衛隊の合憲性について、1954年12月22日に提示された鳩山一郎内閣の統一見解は次の通りである(※注17)

(大村防衛庁長官答弁)
 
憲法第9条 は、独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている。したがって、自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつ、その目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない。

■第5章 砂川事件(砂川刑特法事件)(※注18)

 1957年、東京都下砂川町の在日米軍庁立川基地(飛行場)(現在、跡地には 昭和記念公園 、陸上自衛隊立川駐屯地、広域防災基地、東京消防庁航空隊、警視庁第8方面本部・第4機動隊などが所在)の拡張工事のための測量が行われた際に、基地反対派の住民や全学連ら左翼過激派学生が、測量を妨害すべく東京調達局(現在の防衛施設局)の測量隊に投石し、基地の柵を30メートルにわたって破壊した上、基地敷地内に不法に侵入して座り込んだ。そこで、不法侵入した全学連・国鉄労組員ら25名が「日本国とアメリカ合衆国との安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法(刑特法)(※注19)」で検挙され、7名が起訴された(砂川事件)。
 弁護側は、日米(旧)安保条約に基く駐留軍基地は 憲法第9条 の禁じる「戦力」に該当し違憲無効であり、また安保条約の極東条項(※注20)は、我が国が直接関係しない紛争に巻き込まれる危険性があり、憲法平和主義の精神に反する、とした。そして、この事件を刑事特別法によって、一般の場合(軽犯罪法第1条32号)より厚く保護することは 憲法第31条(適正手続) に反する、と主張した。一方検察側は、国連加盟国であり国連憲章を遵守するアメリカ軍の行動によって我が国が紛争に巻き込まれる恐れはなく、また第9条第2項で禁じる「戦力」とは我が国が指揮監督権を有する軍隊のことであるから在日米軍は戦力でない、とした。
 第1審の東京地方裁判所(伊達秋雄裁判長)は、弁護側の主張をほぼ全面的に採用し、米軍駐留は我が国政府の行為であるとして、在日米軍を違憲とした(=伊達判決、1959年)。検察側は最高裁に飛躍(跳躍)上告した(※注21)
 上告審で最高裁判所は、以下の理由で原判決を破棄差戻しとした。即ち、

①憲法が禁じる「戦力」とは我が国が主体的に指揮管理できる軍隊のことであり、駐留外国軍隊(在日米軍)は「戦力」ではない。
②安保条約の様な
高度の政治性を有する事項は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまず、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にある。

として、伊達判決を否定したのである。②の部分は、本来は裁判の対象となり得るが、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」=統治行為は、一見極めて明白に違憲無効でなければ司法審査の範囲外にある(※注22)、という統治行為論(政治問題の法理)と呼ばれる説を採用している。
 統治行為論は、もともとフランス、アメリカの判例において確立された理論で、これらの国に於いては司法立法(判例による立法)が認められているが、我が国においては認められていないため、単純に比較憲法学的にこの説を導入するのは難がある、とされる。また、統治行為論に含まれるものとしては、広義では自由裁量行為(社会保障給付額の決定など)や恩赦、裁判官弾劾等も含まれるとされるが、狭義では衆議院の解散と安全保障問題のみであり、また狭義の解釈に限定すべきだとの見解もある。

■第6章 恵庭事件(※注23)

 1962年12月、北海道千歳郡恵庭町の自衛隊島松演習場付近で牧畜業を営む野崎兄弟が、演習場との境界線付近ではじまった砲撃訓練に抗議して演習場に不法に侵入し、訓練続行に不可欠な通信線を切断して 自衛隊法第121条違反 (防衛器物損壊罪)に問われて起訴された恵庭事件

自衛隊法第121条 (防衛器物損壊罪)
 自衛隊の所有し、又は使用する
武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物を損壊し、又は傷害した者は、五年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。

 弁護側は、 自衛隊法憲法前文第9条 に違反して無効であり、従って被告人は無罪であると主張した。また裁判所側も、この事件を憲法問題として扱う構えを見せた。
 ところが、札幌地方裁判所は、1963年3月、憲法問題を論ずることなく 自衛隊法第121条限定解釈して被告人を無罪とした。即ち、

(1)罪刑法定主義」(どのような行為が刑罰として処罰されるのかは、予め国民の決定した法律によらねばならない、という原則)の要請に基き、刑罰法規は明確な表現で規定されなければならない(明確性原理)。
(2)従って、 自衛隊法第121条 の「その他の防衛に供する物」は、その前に例示された「武器、弾薬、航空機」と同列に評価しうる程度の類似性のある物件のことを指す。
(3)であれば、通信線は「その他の防衛に供する物」とは言えず、被告人は無罪である。

 との判決を下したのである。また判決は、無罪判決が出た以上、憲法判断を行うべき具体的争訟は無くなり、もはや憲法判断をする必要が無いし、又行うべきではないとして、憲法判断を回避した。
 これは、付随的違憲審査制(※注12)に基づく法律解釈による憲法判断の回避である。憲法判断回避には、正確には「法律の違憲判断の回避」と「法律の合憲性に対する疑いの回避」の2種類があり、前者を合憲解釈(又は合憲限定解釈)と呼ぶ。後者では、合憲か違憲かは未確定の状態である(※注23)
 もっとも、裁判所が示した「通信線は武器、弾薬、航空機に匹敵する重要性を持たない防衛器物だ」とする判断は、現代の軍事上の常識からすれば、大いに疑問の余地がある注24)

■第7章 長沼事件(長沼ナイキ事件)(※注25)

 1969年、北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊の「ナイキ」地対空ミサイル基地を建設するため、農林大臣は森林法第26条第2項に基づいて国有保安林の指定を解除した。これに対して一部地域住民が、違憲である自衛隊の基地建設には「公益上の理由」など無い、として、行政処分の取消を求める行政訴訟( 行政事件訴訟法第3条 )を起こした長沼ナイキ事件(※注25)
 第1審の札幌地方裁判所は、1973年、自衛隊は憲法第9条が禁じる「戦力」に該当し違憲であるとし、従って自衛隊基地の建設を目的とした保安林指定解除処分を取り消した。ここで特徴的なのが、判決が原告側の訴えの利益として、 憲法前文 等を援用した平和的生存権を認めていることであり、 憲法前文 は「平和的生存権が、全世界の国民に共通する基本的人権そのものであることを宣言する」としている。そして、自衛隊の対空ミサイル基地は、「一朝有事の際」には先ず攻撃される(※注26)だろうから、原告らの平和的生存権は侵害される危険がある、とするのである(判決では又、軍事力に寄らない自衛権の発動形態につき言及している)。
 しかし、第2審の札幌高等裁判所は、1976年、原告側の訴えの利益は防衛施設庁による代替施設の完成によって補填される等として原判決を取消した。そして、自衛隊の憲法適合性の判断につき、砂川事件と同じ統治行為論(政治問題の法理)の見解を付加した(※注27)
 1982年、最高裁判所は、憲法論議には触れずに単に行政訴訟の訴えの利益の観点から原告敗訴とした(※注27)

■第8章 その他の第9条関係事件

 以上の他に、次のような 第9条 関係の裁判や事件がある。

●第1節 百里基地訴訟(1982年)(※注28)
 航空自衛隊百里基地の用地買収を巡る民事事件(1)国が私人として行う売買契約に直接憲法第9条が適用されるか、(2)直接適用されなくとも民法90条(公序良俗)違反で契約は無効になるか、(3)国が私人として行う契約も国家権力の行使といえるか、について争われた。最高裁判所は、(1)(2)(3)全てについて否定した。

●第2節 湾岸戦争と国際貢献(1990年)(※注29)
 1990年イラクがクウェートに侵攻し、アメリカ合衆国をはじめとする先進各国は国連決議に基づいて多国籍軍を形成。この多国籍軍への自衛隊の派遣・参加について議論が為された。小沢一郎・自由民主党幹事長(当時)は、国連憲章や憲法前文の国際協調主義に基づいて、自衛隊派遣は可能だ、と主張した。政府・自民党は後に、 PKO協力法 (平成4年法律第79号「 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律 」)を成立させた。
 なお、1992年における同法に対する政府の見解は、以下の通りである(※注30)

 海外派兵につきまして一般的に申し上げますと、武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣することというふうに従来定義して申し上げているわけでございます。このような海外派兵、これは一般に自衛のための必要最小限度を超えるものということで憲法上許されないと解しておりますが、今回の法案に基づきますPKO活動への参加、この場合には、ただいま申し上げましたとおり我が国が武力行使をするとの評価を受けることはございませんので、そういう意味で今回の法案に基づくPKOへの参加というものは憲法の禁ずる海外派兵に当たるものではない、かように考えております。

※注釈・参考文献
1:新井 章「憲法50年論争史」 『別冊世界 ハンドブック 新ガイドラインって何だ?』岩波書店、1997年 118ページ。
 もっとも、この時の吉田首相の答弁の中で使われた「自衛権」の用語は、第2次世界大戦以前において通用していた、国家の権利・利益に対する侵害を排除するための権利という意味あいであり、現在の、
国連憲章第51条の下で認められている「自衛権」の概念とは異なる。これについては第2章注10参照。
2:戦争には、「侵略戦争」「自衛戦争」の他に「制裁戦争」(集団的安全保障の概念に基づく武力制裁としての戦争)の概念もある。
3:芦部信喜 『憲法』新版 岩波書店、1997年 31ページ
 作成者の個人的見解では、「八月革命説」は国際政治の現実を無視した議論のように思える。占領下にあって、日本国の主権者は天皇でもなければ国民でもなく
連合国軍最高司令官(SCAP)であったのが現実のはずである。
4:これについては第1章注12の資料が詳説している。
5:1947年3月にはトルーマン・ドクトリンが、6月にはマーシャル・プランが発表されて、東西の対決姿勢は決定的となった。
 1948年には南北朝鮮が分裂したまま独立し(南朝鮮に大韓民国が、北朝鮮に自称「朝鮮民主主義人民共和国」が成立した)、更に西欧同盟(WEU)、欧州経済協力機構(OEEC)が結成され、ソ連によるベルリン封鎖が行われた。
 1949年に入ると、北大西洋条約機構(NATO)が結成され、ドイツは東西に分裂して独立した。また、OEECに対抗して東側では東欧経済相互援助会議(COMECON)が結成され、アジアでは共産主義政権である「中華人民共和国」が建国され、国民党政権は台湾へ逃れた。
6:1948年には、アメリカ陸軍長官ロイヤルが「日本は共産主義への防波堤である」と演説した。同じような声明は1949年にマッカーサー元帥自身が発表している。
7:百瀬 孝 『事典 昭和戦後期の日本』 吉川弘文館、1995年 345ページ
 当時、極東委員会は日本の警察力を最大20万人に制限しており、7万5000人という数字は当時の警察力12万5000人の最大枠に足りない分に相当した。また、7万5000人は
米軍4個師団に相当する人数でもある。
8:「許可」といっても、実際は日本側から要求したものではなく、事実上の命令であった。
9:「
ポツダム政令」とは、終戦に際して連合国の占領政策を帝国議会(又は国会)の議論無しで実施するために定められた緊急勅令「 「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件 」(昭和20年勅令第542号)に依拠する政令のことを言う。ポツダム勅令・ポツダム政令は合せてポツダム命令乃至管理法令ともいわれ、法律を命令(勅令、政令)で改廃できる前代未聞の授権法であって、 日本国憲法 はおろか大日本帝国憲法下でも違憲だったが、判例は管理法令は憲法外において法的効力を有し、違憲合憲の埒外にあるとしている。
10:警察予備隊の他に、「
海上保安庁法 の一部を改正する法律」(昭和27年法律第97号)により、運輸省海上保安庁内に海上警備隊が設置された(1952年4月26日)が、たった3ヶ月で総理府保安庁警備隊となった。
(:百瀬前掲書、349〜350ページ)
11:憲法教育指導研究会 『憲法の解説』 一橋出版、1990年 17ページ
12:新井前掲書、124ページ 及び
芦部信喜・高橋和之編 『別冊ジュリスト 憲法判例百選Ⅱ』 有斐閣、1994年 400ページ 又は、
芦部信喜 『憲法』新版 岩波書店、1997年 341ページ。
 この事件は、
第9条 と再軍備との関連というよりも、むしろ 第81条 の違憲立法審査権の性格について最高裁が判断した事件として有名である。なお我が国は、具体的な法律上の争訴を裁判する際に(事件性の要件)、その前提として事件の解決に必要な限度で、適用法条の違憲審査を行う「付随的違憲審査制」を採用している(通説、判例)。
(:芦部前掲書、340ページ)
13:百瀬前掲書、179〜180ページ
14:百瀬前掲書、346ページ
15:『憲法の解説』、17ページ
16:芦部前掲書、62ページ
17:防衛庁ホームページ
18:砂川事件については、
  工藤 宜 『ルポタージュ 日本国憲法』 朝日新聞社、1997年 179ページ以下 また、
  新井前掲書、121ページ〜122ページ、
  『憲法判例百選Ⅱ』352ページ及び408ページ
  芦部前掲書、69ページ
19:この刑事特別法は旧安保条約に基づく行政協定の刑事特別法である。
20:極東条項とは、旧安保条約第1条で、在日米軍の駐留目的に日本防衛だけでなく「極東における平和と安全の維持に寄与するため」と規定されている部分のこと。
新安保条約第5条 に相当する。
21:刑事裁判において、第1審で違憲判決が出された際に、控訴審を跳躍して
最高裁判所に上告することを「飛躍(跳躍)上告」という(刑事訴訟法第406条)。また、民事裁判においては、一定の条件下で地裁⇒最高裁、簡裁⇒高等裁に飛躍上告できる(民事訴訟法第281条第1項但書、第311条第2項)。
 (:中川淳、大野真義 『法律用語を学ぶ人のために』 世界思想社、1997年 344ページ)
22:芦部前掲書、306ページ〜307ページ。
 
統治行為論の根拠は、「権力分立制」における司法権の内在的制約に求められ、「統治行為論」判決は裁判所自身がそれを無権限の行為であることを確認していることになるが、これだけでは、自律権と見ることも出来根拠として不十分である。そこで、その「内在的制約」の意味内容を明らかにする必要があるが、従来の学説(肯定説)では、肯定の論拠として、次の6点を挙げる。
  ①
高度の政治性に着目する議論
  ②
「権力分立制の原理」の援用 
  ③司法部の
政治的無責任性
  ④司法部の
中立性独立を維持する必要性
  ⑤司法部の
能力の限界
  ⑥
無秩序を回避する必要
 もっとも、
有力な反対説もある。詳しくは「 統治行為論の本質 」を参照のこと。
 更に、統治行為論については、
  『憲法判例百選Ⅱ』408ページ「条約の違憲審査」、410ページ「苫米地判決」
を参照のこと。
 なお、本判決について、「違憲判断を回避した消極的なものだ」との批判があるが、第1審の伊達判決は「刑事特別法第2条が軽犯罪法第1条第32号より厳しい刑罰を課しているのは憲法第31条の保障する適正手続の保障に反する」という論理構成をとっており、この点が伊達判決の「弱点」となっていた。しかし、その点だけを問題とすれば憲法問題を回避し得たところ、最高裁は敢えて憲法判断に踏み込む姿勢を示したのであり、その点は十分積極的であった、との説がある。
(:斉藤秀夫 『裁判官論』(改訂三版) 一粒社、1985年 182ページ以下。)
23:恵庭事件については、
  『憲法判例百選Ⅱ』354〜355ページ 及び
  芦部前掲書、342〜343ページ
24:湾岸戦争やIT革命を見る間でもなく、現代の軍事力においても又
情報通信技術の優劣は戦闘に大きな影響を与える。いや、事実上勝敗を決定する要素といっていい。旧日本陸軍、日本海軍が犯した情報通信の軽視と、その帰結としての敗北がいい例である。軍事における情報通信分野はC3I(Command, Control, Communications and Intelligence、指揮・統制・通信及び情報)と呼ばれ、火力・機動力を有効に発揮するための不可欠な要素であって、しかもその重要性は近年増加の一途を辿っている(最近ではこれにComputerを加えてC4Iとも言う)。札幌地裁の判決は、法律問題としてはともかく、現実問題としては軍事に関する知識を欠いた不当なものだといえよう。
 (:防衛大学安全保障学研究会編 『安全保障学入門』 亜紀書房、1998年 307ページ)
25:長沼ナイキ事件については、
  『憲法判例百選Ⅱ』356〜359ページ 及び
  芦部前掲書、63ページ
  なお、「長沼事件」というと、この「長沼ナイキ事件」の他に、茨城県の長沼の伝統的な所有権と民有地・官有地処分を巡って国と村が対立した法制史上・民法上の有名事件である「
長沼事件」がある。この「長沼事件」には、晩年の福沢諭吉が深く関与していたという。
26:軍事的に見て、この見解は正しい。侵略軍側は先ず航空優勢(制空権)を確保するため、敵の防空施設を攻撃する。
27:芦部前掲書、63〜64ページ
28:芦部前掲書、109ページ 及び
  『憲法判例百選Ⅱ』、360〜361ページ
29:新井前掲書、135〜136ページ 
30:平成4年4月28日参議院国際平和協力等に関する特別委員会・工藤法制局長官答弁


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