このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
PART2
● 4日目 【06.05.20】(ブリーク⇒ベルン)
シティーナイトライン「ベルリーナ」は真夜中のドイツをひた走り、定刻にベルリン・オスト(東)駅に滑り込んだ。もともと旧東ベルリンの拠点駅で構内は広い。近年、モダンにリニューアルされたので、構内に東ドイツ時代の面影を見ることはほとんどできない。
アンハルター駅を後にして、次の目的地に移動する。今居る場所は旧西ベルリン。しばらく歩くと道路に石のブロックでできた一条の線が続いている。その線の所々に鉄のプレートが埋め込まれ、そこにはこう書かれている。「BERLINER MAUER (ベルリンの壁)1961-1989」。そう、この線こそがベルリンの壁があった場所なのだ。数々の悲劇を生んだこの「壁」も、今ではアスファルトに埋もれてしまいそうなただの「線」になってしまった。その上を軽快にクルマが駆け抜けていく。十数年前なら機関銃が火を噴くところだ。壁の跡の向こうは旧東ベルリン。道の先に聳え立つのはDB(ドイツ鉄道)本社。東ベルリンだった時代は、壁の裏に当たる「無人地帯」だった場所に、今はモダンなビルが建ち並ぶ。
旧東側には入らずに、壁沿いを進むと、壁の一部が保存されている場所がある。今日二つ目の目的地、「テロのトポグラフィー」という野外展示施設だ。この場所は、あのナチスの秘密警察の本部があった場所で、施設の遺構を利用して、当時の様子が写真パネルによって展示されている。説明書きが読めなくても、写真を見るだけで背筋が凍る。映画「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」の世界そのものである。
ベルリンに限らず、旧東ドイツを歩いていると、時折古びたかわいいクルマに出会うことがある。他の車よりひと回り小ぶりなボディーに、丸いヘッドライト。走れば青白い煙を出して走る。この愛嬌たっぷりのクルマ、旧東ドイツ製の「トラバント」というクルマで、統一後、十数年を経た今でも現役で活躍している。性能から見ればもうひと昔もふた昔の前のクルマ。しかも、旧東ドイツは鉄材不足で、このクルマのボディーは紙の混ざった強化プラスティックで出来ている。旧東ドイツの時代、この車を注文してから納車まで、なんと10年以上も掛かったというのだ。そんなオーナーの愛着もあってか、今でもしぶとく生き残っている。
夕方、ホテルで別に出発した友人3人と合流。夕食はポツダム広場のショッピングモール、ソニーセンターで探すことにする。東西分断時代は「無人地帯」。統一後に再開発され、最新のビル群が建ち並ぶ近未来的な一角に生まれ変わった。さすがに超人気スポットだけあって、人通りが多く賑やかだ。ドイツ料理のレストランに入り、まずはビールで乾杯。それぞれ、ここまでの旅の収穫を報告する。5月のドイツはシュパーゲルと呼ばれるホワイトアスパラガスが季節限定の人気メニュー。やわらかく茹でたアスパラにオランダ風ホワイトソースが乗る。これにシュニツッェル(子牛のカツレツ)を添えたプレートが今晩のメイン。春のドイツを美味しく頂く。窓際の席だったので、ソニーセンターの様子が良く分かる。いくつかのビルが中央のスペースを取り囲むように建てられ、巨大なドームが覆う。ライトアップされたドームは赤に青にと変化して楽しませてくれる。壁崩壊から17年を経て変わり続けるベルリン。次に訪れる時にはどう変貌しているのかが楽しみだ。
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