このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

 

 

PART2

 

● 4日目 【06.05.20】(ブリーク⇒ベルン)

 

 シティーナイトライン「ベルリーナ」は真夜中のドイツをひた走り、定刻にベルリン・オスト(東)駅に滑り込んだ。もともと旧東ベルリンの拠点駅で構内は広い。近年、モダンにリニューアルされたので、構内に東ドイツ時代の面影を見ることはほとんどできない。


 夕方、日本を別に出発した友人と会うため、それまでは自由時間だ。今晩宿泊するホテルはこの東駅構内にあるため、荷物をコインロッカーに預けておく。続いて市内交通機関のターゲスカルテ(1日乗車券)を自動券売機で購入してベルリン観光に向かう。といっても実はベルリンは3回目で、メインの観光地は既に廻ってしまっている。今回は更に深いベルリンを覗いてみたい。


 まず向かったのは、アンハルター駅跡。街の中心部に近いベルリンの玄関口ともいえる駅だったが、第二次大戦中の空襲によって徹底的に破壊され、現在は駅舎の一部が破壊されたままの状態で保存されている。戦後、ここに再び線路は敷かれることなく、モニュメント化した駅舎の裏には、広大な芝生の広場が広がっていた。残っている駅舎は、ちょうど正面の車寄せの部分で、その駅前には現在もタクシーとバス乗り場として使われている。表面のレンガは美しく磨き上げられ、3つのアーチが並ぶ車寄せの部分はきれいに残っているが、ふと見上げると背後の壁は斜めに崩れ、女神の彫刻は言い表し難い姿のまま鎮座している。親子が通りかかり話しをしている。父親は銃弾の後を指差し、5〜6歳ほどの息子に説明をしている。歴史の教科書は今、目の前にあるのだ。今日は快晴。抜けるような青空がこの沈鬱な雰囲気を吹き飛ばしている。

 

アンハルター駅の残骸テロのトポグラフィー。ベルリンの壁が残る。

 

 アンハルター駅を後にして、次の目的地に移動する。今居る場所は旧西ベルリン。しばらく歩くと道路に石のブロックでできた一条の線が続いている。その線の所々に鉄のプレートが埋め込まれ、そこにはこう書かれている。「BERLINER MAUER (ベルリンの壁)1961-1989」。そう、この線こそがベルリンの壁があった場所なのだ。数々の悲劇を生んだこの「壁」も、今ではアスファルトに埋もれてしまいそうなただの「線」になってしまった。その上を軽快にクルマが駆け抜けていく。十数年前なら機関銃が火を噴くところだ。壁の跡の向こうは旧東ベルリン。道の先に聳え立つのはDB(ドイツ鉄道)本社。東ベルリンだった時代は、壁の裏に当たる「無人地帯」だった場所に、今はモダンなビルが建ち並ぶ。

 

 旧東側には入らずに、壁沿いを進むと、壁の一部が保存されている場所がある。今日二つ目の目的地、「テロのトポグラフィー」という野外展示施設だ。この場所は、あのナチスの秘密警察の本部があった場所で、施設の遺構を利用して、当時の様子が写真パネルによって展示されている。説明書きが読めなくても、写真を見るだけで背筋が凍る。映画「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」の世界そのものである。

 テロのトポグラフィーを後にして、さらに壁沿いを歩く。路上駐車の車は、壁を挟んで頭が西ベルリン、お尻が東ベルリンの状態で並んでいる。そんな様子を見ながら進むと、観光客で賑わう場所へ出た。ここは昔、東と西の往来を監視する「検問所C」のあった場所。通称、「チェックポイント・チャーリー」である。検問所のあった場所に当時の建物が復元され、学生アルバイトと思しき衛兵が観光客をチェックしている。1ユーロで記念写真。5ユーロでパスポートチェック。両方とも遠慮したが、パスポートチェックをすると、「東ドイツ」や「ソ連」といった、今では地図上に存在しない国のスタンプを押してもらえる。この、チェックポイント・チャーリーのすぐ横に、有名な「壁博物館」がある。壁の歴史と悲劇を知るために、世界中から集まった見学客の入館待ちの列は途絶えることを知らない。

 

 ベルリンに限らず、旧東ドイツを歩いていると、時折古びたかわいいクルマに出会うことがある。他の車よりひと回り小ぶりなボディーに、丸いヘッドライト。走れば青白い煙を出して走る。この愛嬌たっぷりのクルマ、旧東ドイツ製の「トラバント」というクルマで、統一後、十数年を経た今でも現役で活躍している。性能から見ればもうひと昔もふた昔の前のクルマ。しかも、旧東ドイツは鉄材不足で、このクルマのボディーは紙の混ざった強化プラスティックで出来ている。旧東ドイツの時代、この車を注文してから納車まで、なんと10年以上も掛かったというのだ。そんなオーナーの愛着もあってか、今でもしぶとく生き残っている。

 

これが旧東ドイツ製「トラバント」ソニーセンターにて

 

 夕方、ホテルで別に出発した友人3人と合流。夕食はポツダム広場のショッピングモール、ソニーセンターで探すことにする。東西分断時代は「無人地帯」。統一後に再開発され、最新のビル群が建ち並ぶ近未来的な一角に生まれ変わった。さすがに超人気スポットだけあって、人通りが多く賑やかだ。ドイツ料理のレストランに入り、まずはビールで乾杯。それぞれ、ここまでの旅の収穫を報告する。5月のドイツはシュパーゲルと呼ばれるホワイトアスパラガスが季節限定の人気メニュー。やわらかく茹でたアスパラにオランダ風ホワイトソースが乗る。これにシュニツッェル(子牛のカツレツ)を添えたプレートが今晩のメイン。春のドイツを美味しく頂く。窓際の席だったので、ソニーセンターの様子が良く分かる。いくつかのビルが中央のスペースを取り囲むように建てられ、巨大なドームが覆う。ライトアップされたドームは赤に青にと変化して楽しませてくれる。壁崩壊から17年を経て変わり続けるベルリン。次に訪れる時にはどう変貌しているのかが楽しみだ。

 

 

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