このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

 

 

PART5

 

● 6日目 【06.05.22】(ベルリン⇒ゾースト)


 ベルリンで合流した友人と行動を共にして3日目、いよいよレンタカーを借り、アウトバーンを走行するという初めての体験を実行する。同行しているのは後輩T君と、東京の私鉄で運転士をしているM君。


 5月22日の朝、宿泊していたホテルから中心街のフリードリッヒ通りにあるレンタカーの営業所へ。クルマを運転するのはM君と私。手続き中、遠く、岐阜は三田洞で発行された国際免許証を提示する。手続きが済むと、地下の駐車場に案内され、クルマが引き渡される。出てきたのはフォードのモンデオワゴン。ヨーロッパでは流行のディーゼル仕様。せっかくならドイツ車に乗りたいところだが贅沢は言うまい。地下の駐車場を発車して、クルマはいきなりベルリンの中心街へ出る。最初にハンドルを握るのはM君。慣れない左ハンドルでの右側通行。戸惑いながらの運転で、途中、私のナビのせいで3回も同じ道を通ってしまったが、なんとかベルリンを脱出する。

 車を借りてから何処へ行こうかはあまり決めていなかったが、ドイツ中部のハルツ地方に蒸気機関車が走る登山鉄道があるので、まずはそこへ向かうことにした。まずはマクデブルクまでアウトバーンで走行。アウトバーンは無料で最高速度が無制限なことで有名だが、一部区間では速度が制限されている。驚いたのは走っているクルマのルールやマナーがしっかりと守られていることだ。速度規制があるところではきっちりとその速度まで減速し、3車線のうち、一番左の追い越し車線は必要以上に塞がない。日本の高速道路の方がよっぽどマナーは悪い。また、いくら最高速度無制限とはいえ、クルマの性能によって出せる速度や安全性は違ってくる。各ドライバーはそんなことも踏まえて自分のクルマに合った運転をしているようにもみえる。我がモンデオは最高200km/h位が限界のようだった。ベルリン市街地の緊張の解けたM君も快調に200km/hで飛ばす。でも違法ではない。


 高速道路でのお楽しみは、やはりサービスエリア。日本のサービスエリア同様、給油施設、売店、レストランなどで構成される。トイレは有料だが、とても清潔に管理されている。給油と昼食を済ませ、クルマも人も「満タン」で再出発。


 途中のハルバーシュタットで駅に寄り、ここから私が運転する。最初の目的地はハルツ狭軌鉄道の起点がある、ヴェルニゲローデという街。初の右側通行での運転だったが、意外とすぐに慣れた。アウトバーンを自分で運転した感想は、速度を出せば出すほど「気が抜けない」ことと、路面が濡れているときや工事箇所を通るときは、本当に徐行しないと怖いということだ。完璧な路面状態ではこれほど気持ちのいいことはないというほど飛ばせるが、ドライバーの状況判断というのはシビアになってくる。そしてもうひとつの感想、「自分のクルマを走らせてみたい」。

 

アウトバーンを行く!!ヴェルニゲローデで休むハルツ狭軌鉄道の蒸気機関車


 そうしているうちに雨降るヴェルニゲローデの街に到着。この街は、絵本に出てきそうな木組みの家が建ち並ぶ中世の街。この街から年中霧に包まれるブロッケン山頂へ向かう蒸気機関車の登山列車が出ている。駅で時刻表を見ると、ちょうどいい列車が無かったが、途中の駅までクルマで行けば何とか乗車できそうなことが分かった。こんな急な予定変更にはクルマが便利だ。パーキングメーターに止めた車に戻り、途中、ワインディングを楽しみながら、途中駅のドライ・アンネン・ホーネ駅に向かう。雨が本降りになってきた。


 ドライ・アンネン・ホーネ駅に着くと、発車まであとわずか。ホームには白い息を上げた蒸気機関車が発車を待っている。きっぷ売り場で乗車券を購入。パソコンを叩いて出てきたきっぷは、茶褐色の硬券だった。ドライ・アンネン・ホーネ駅を発車した蒸気機関車は、ゆっくりとブロッケンの山を登り始める。途中のシーアケ駅を出ると本領発揮。急勾配を懸命に登る小刻みで力強いドラフト音が山間に響き、吹き上げる煙と水蒸気は、「これでもか」と言わんばかりに吐き出し続ける。クルマでいえばアクセル全開。50歳の蒸気機関車とは思えない迫力。この機関車たちを守り、走らせ続けていることに、敬意を表さずにはいられない。

 

霧のブロッケンにて

 

 とぐろを巻くようなループ線を登って、ブロッケン山頂に到着。今日も霧に包まれて、5月とは思えない寒さだ。霧の向こうの晴れ間に、麓の街が一瞬見えた。ブロッケン山頂は、旧東ドイツのレーダー施設が保存されている他は、目立った観光設備は無い。折り返し列車で山を降りる。ド迫力の登りに比べて、山を降りる列車は正直、退屈だ。シリンダーに蒸気は送り込まれず、ブレーキを掛けながら惰性だけで山を降りる。途中、スイッチバックで反対列車をやり過ごす。登ってきたのは戦前に作られた最年長の99-222号機。1930年製の76歳だ。

 ドライ・アンネン・ホーネ駅に戻り、再びクルマで移動。そろそろ夕方近くなってきた。明日の夕方にはフランクフルトに着かなくてはならないので、なるべく距離を稼ぎたい。地図とガイドブックで検討して、ゾーストという街へ行くことにした。もちろん初めて訪ねる街。黄色い背表紙のガイドブックに1ページだけ紹介されていたこの街。「城壁に囲まれた中世都市」というくだりだけで決めてしまった。クルマを停めて宿を探す。街の中心、マルクト広場に面した、木組みの立派なホテル権レストランで空室を聞くと、OKとの返事。宿代49ユーロ。安い!室内を見せてもらうと広くて清潔。言う事無し。即決だった。荷物を部屋に運び、再び1階のレストランへ。今日はここでディナー。ビールで乾杯した後は、明日の予習と言わんばかりにライン産の白ワインに手を出す。男三人の夜は更けていく。

 

 

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