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4日目(96.5.28)
・まずはトラムに乗って。 ホテルの朝食はバイキング方式で、たっぷり食べられた。今日はライン下りの基点ケルンから、古城街道の一部でもあるニュルンベルクへ向かう。こう書くと、ドイツの観光スポットを見て廻るようだが、途中下車して見て廻るわけではない。そのかわり、鉄道の旅を十分楽しもう。今日のケルンは曇り空・・・。 昨日は、ホテルまでタクシーを使ったが、地下鉄で駅まで行く事にした。ホテルを出て大通りを見渡すと駅はすぐ見つかった。駅は通勤時間帯なのか、チョット混み合っていた。まずは路線図を見て、ちゃんと駅まで行くかどうか確認し、列車を待った。やってきた列車は地下鉄専用の車両ではなく、路面電車(トラム)用の小さい車両だった。トラムは2駅で、ハウプトバーンホフ(ドイツ語で中央駅)に着いた。
・ケルンの駅前から ケルンの駅前には、言わずと知れた大聖堂が鎮座している。これが、とてつもなくデカイ!! この旅行のために用意した、24ミリの広角レンズでも収まりきらないのである。1248年に着工して、完成したのは1880年。昨日、ケルンに着いたときもひと目見たが、あらためて見ると、恐怖さえ感じてしまうほど圧倒されてしまう。ターミナル駅を降りて目の前に、街のシンボルの大教会。「京都駅に降りたら、駅より大きな五重塔が、駅前広場に立っていた!!」そんな感じだろうか。 聖堂に入り、高い高い天井を見上げていると首が疲れてくる。高さ157メートルの塔に登ってみたかったが、まだ朝早いため登れなかった。薄暗く、静かな聖堂を後にして、ライン川の河岸まで歩いた。河岸までの道は、商店街になっていたのだが、まだ開店している店は少なく、準備をしている最中と言った感じだった。この辺りは、街並みも近代的なのだが、石畳で舗装されている様は、まさにヨーロッパだ。発車まであと1時間位になったところで、駅に戻った。
・駅撮りもバッチリ!! ひまつぶしでも・・・。というわけではなく、自然に足はプラットホームの先端に向かった。そう、列車の写真を撮るには、ホームの先端というのは、だいたいうまく撮れるポジションなのだ。せっかく発車まで時間があるのだから、ケルンの駅に入線してくる列車を撮らない手はない。お目当てはいろいろあれど、ヨーロッパの列車はほとんどが機関車牽引の客車列車というのがうれしい。ドイツの鉄道は、旧西ドイツの「DB」と、旧東ドイツの「DR」が東西統一されてしばらくたっており、列車には、「新生DB」のエンブレムが目立つ。旧西ドイツの「DB」エンブレムのほうが、重厚感があって個人的には気に入っていたのだが・・・。それはさておき、列車の本数はかなり多い。Sバーン(通勤列車)から、EC(国際特急)まで、1〜2分間隔で次々にやってくる。ステンレスの通勤型客車、顔は電車みたいなのに後ろから機関車が押しているペンデルツーク、「旧東ドイツ」の客車を引く「旧西ドイツ」の電気機関車、側面落書きだらけの荷物列車、もともとはスペインの専売特許である「タルゴ」を使ったインターシティーナイト・・・。そのバリエーションの多さにも圧巻される。列車の塗装は、ECをはじめとして、多くがが新しいパステル系の色に変更されてはいたが、旧東西国オリジナルの車両もまだまだ見ることが出来た。そして、ドイツの名機中の名機。103型電気機関車も、往年のTEEカラーでやってきた。そうしてるうちに時間はあっという間に過ぎ、目的の列車、EC27「ヨーゼフ・ハイドン」号は入線してきた。牽引はこちらも103型電気機関車。しかし、真っ赤なボディーに白いマスクをした新塗装だった。
・EC27列車「ヨーゼフ・ハイドン」 この列車に乗ることは、今回の旅でも、ひとつのイベントである。ここケルンから、マインツまでの120キロあまり、列車はライン川沿いを走るのだ。時間にして1時間半位だが、川沿いには無数の城が点在している。ライン沿いを走る線路は、ドイツでも有数の幹線で、頻繁に列車が走る。このEC27列車「ヨーゼフ・ハイドン」は、ドイツの北の都市ハンブルクから、ケルン、ボン、フランクフルト(M)、ビュルツブルグ、ニュルンベルク、リンツを経由して、オーストリアはウィーンまで行く長距離列車だ。(蛇足になるが、フランクフルト(M)と書いたのは、ドイツにはもうひとつのフランクフルト、「フランクフルト・オーダー」という街が旧東側にあるので、旧西側のフランクフルト、「フランクフルト・アム・マイン」と区別するため、各種表記には(Oder)(M)などと続いて書かれている。)列車の編成は、ドイツの車両にまじって、オーストリアの車両も連結されている。今日はこの列車でニュルンベルグまで行く。国際列車であるが、今回はドイツ国内だけの移動になる。 9:54。ほぼ定刻でケルン中央駅を後にした。乗り込んだところは十数両ある編成の一番後、1等コンパートメントの車両で、ドイツの車両だった。塗装こそパステルカラーだが、車内はわりとくたびれていた。隣の車は、OBB(オーストリア国鉄)の車両で、車内も新しくてキレイだったが、あいにくすっからかんのコンパートメントはなかった。DB(ドイツ国鉄)の車両の、誰も居ない6人用コンパートメントを独り占めして、ライン川が見えてくるのを待った。 ボンを発車して間もなく、列車はライン川沿いに走る、川は両側を山に囲まれ、山の上には無数の古城が点在している。山の斜面にはブドウ畑が広がっている。この辺りはモーゼルワインの産地だ。鉄道と一緒に道路も併走し、川には遊覧船が行く。鉄道と車と船が仲良く並んで往来している。それらはラインの流れのようにゆっくりと走っているかのようだ。 コブレンツを過ぎ、川幅が狭くなったところにローレライが見えてきた。岩の上に旗が立っていたのですぐに分かったが、何も無かったら見逃していたのかもしれない。列車はローレライを囲むように進んだ。サンクト・ゴアール、バッハラハと川沿いの小さな町を過ぎていく。時間があればゆっくりと訪れてみたい街だ。川の中州に建つ城もある。そのひとつがプファルツ城。船の往来が多いこの川で、通行税を取った場所として知られている。こじんまりとしてかわいい城だ。そのプファルツ城の後ろにはエーレンフェルス城が聳える。列車は川の左岸を走るので、右岸の景色はよく見えるが、左岸の景色は当然あまり見られない。ゆっくり古城めぐりをするにはやはり船に乗るのが一番かもしれない。
・フランクフルトで方向を換えて。 ケルンを発車して約2時間。列車はフランクフルトに着いた。フランクフルトは行き止まり式の駅のため、列車はここで方向を換える。私は一番後ろの車両に乗っていたので、機関車交換の様子を見ようとホームに下りた。反対のホームにはドイツ自慢の高速列車、「ICE」が入線してきた。数ある世界の高速列車の中でも、一番ゆとりがあるという評価をよく聞く。今回の旅行では、この「ICE」には乗車しないのがちょと残念だった。そうしているうちに、こちら側のホームには、赤白の103型電気機関車がまたもや登場。オレンジ色の作業着の係が、バッファー(車両と車両の間の緩衝器)の間に立って待ち構えていた。非常に危険な作業だ。機関車はゆっくりと客車に近づき、バッファー同士がくっついた。係は50〜60センチほどしかないその車両の間で、フック式の手動連結器をつなげていた。連結器の他にホース類をつないで連結完了。私も客車に戻った。 フランクフルトを発車すると、ライン側沿いとは違い、広々としたところを走る。昼を過ぎたので食堂車に行ってみた。コンパートメントは相変わらず私一人だったので、荷物にチェーンロックをしておいた。食堂車は半室がビュッフェで、半室が食堂になっていた。荷物が心配なのでサンドイッチとジュースを買ってコンパートメントに戻る事にした。ところが販売員にジュースの名前がなかなか伝わらない。2回繰り返したところで、横にいたおじさんが、私の言葉がわかったらしく、言い直してくれてくれた。「ダンケシェーン」とお礼を言ってコンパートメントに戻った。私は「ダンケシェーン」しかドイツ語を知らない。言葉は通じなくても何とかなるものだと思って旅行しているが、お礼の言葉くらいは覚えとくべきだろう。ここでも役に立った。 ケルンを発車して4時間半。列車は今日の目的地、ニュルンベルクに到着した。
・ニュルンベルク 14:25、ニュルンベルク中央駅に定刻に到着。この駅は行き止まり式の駅ではなく、日本でもお馴染みの島式のホームが並ぶ駅だ。まずは荷物を預けようと、コインロッカーに向かった。しかし、細かいお金が無い。両替する機械も窓口も見当たらない。困って辺りを見廻すと、近距離切符の自動券売機があったので、そこで一番安い切符を買って細かいお金を作った。切符はお土産にすればいいので、損した気はしない。晴れて身軽になって、観光に行こうとした時、若い男性がやはり細かいのが無いらしく、両替できないかと紙幣を出してきた。私は、ついさっき券売機で崩して、ロッカーにコインを入れたばかりなので、さほど細かいのは無かったのだが、「あるだけでいい」と、コインは7DM位しかなかったが、10DM紙幣と交換した。ホントにいいのかなあ・・・?
ニュルンベルクは、ドイツ鉄道の発祥の地。まずは、交通博物館へ。石造りの建物の中には入ると、とても静かだった。この博物館はユーロパスや、ユーレイルパスを持っていると無料になる。パスを窓口に差し出すとチケットを渡された。1階は流線型の05型蒸気機関車や、ナチスの装飾が施されているE18型電気機関車。ロイヤルトレインなどが、まるでワックスをかけてあるかのように輝いていた。保存状態はイギリスのヨークに勝るとも劣らない。そして、ドイツの1号機関車アドラー号も、1階の中央に鎮座していた。車両の他にも、施設や、切符の発券機など、鉄道に関するものは何でもといっていいほど展示されていた。館内を一周して、思ったより車両の展示が少ないように思えた。確かに貴重な車両はこの石造りの建物に保存されていたが、ドイツの誇る車両はこれだけではないはず。事前に調べたガイドブックには、もっといろいろな車両が載っていたのだ。そう思って出口近くの売店の辺をふらふらしていると、この建物には無い車両の写真が出ていて、簡単な地図が書いてある。この博物館には別館があったのだ。そうとわかればと早速、地図の示す方向に向かった。本館の脇を歩くと、線路が道を横切っていて、その先が別館になっていた。別館には、TEEで使われたガスタービン車や、蒸気機関車、レールバスなどなど、本館に入りきらない車両が所狭しと並んでいた。別館の敷地の奥には、使われなくなった信号小屋がそのまま保存されており、中には日本の鉄道と同様、転轍機のてこが整然と並んでいた。 博物館を出て駅に戻り、コインロッカーから荷物を出してタクシーでホテルに向かった。トラムと並行して走り、駅から5〜6分にあるホテル、「ネストール」が今夜のお宿。今回の旅行ではいちばん値段の安いホテルだが、このホテルでもフロントのマダムが愛想良く迎えてくれた。部屋に入ってびっくり。シングルで頼んだのだが、ダブルの部屋でこれがまた広い。室内も清潔で気に入った。日本で予約したのだが、朝食、手数料込みで6,500円。日本のビジネスホテルはこれぐらいでは泊まらせてくれない上に狭いだろうな・・・。
時間は夕方だったが、空はまだ明るい。ホテルに荷物を置き、ちょっとだけ市内散策に出かけた。地図を見ると、このホテルは城壁に近く、オールドシティーの北の方から歩くことにした。ホテルを出て城壁の方に歩くと、トンネルのような城壁の入口があり、そこを抜けると、近代的な建物が無く、茶色の屋根が連なる中世の街が再現されていた。まずはこの街のシンボル、カイザーブルク城へ。塔がシルエットになっていた。カイザーブルクから2〜300メートル行った所には旧市庁舎があり、そのそばが中央広場。市場が開かれていて、食料品などが売られていた。ちょうど夕食の買い物の時間が終わって、ちょっと落ち着いていた。 地図をあまり見ないで歩いていたら、城壁の外に出てしまい、迷ってしまった。碁盤の目のような道ではないので、道を一つ間違えると大変だ。目の前をトラムが走っていたが、そのまましばらく歩いていると、地下鉄の駅があったので、試しに行ってみた。地下は深く掘られており、階段を下りるとすぐホームだった。そういえば今日、朝のケルンでも改札が無かった。券売機で中央駅までの切符を買って、電車を待つ。ホームの人影はまばらだった。入線してきた列車は地下鉄専用の車両のようで、車内は思ったより混んでいた。中央駅までは2駅だった。ちなみに料金は1.30マルク。駅に戻ってきて、もう一度オールドシティーに向かおうと思ったが、日も傾いてきたのでホテルに戻る事にした。もう一度タクシーに乗る。この時は若い運転手で、英語で「日本のどこからきたの?」と聞いてきた。「名古屋からです。」と答えたが、名古屋は知らないようだった。今度は「ナガサキなら知ってるけど、ナガサキは大きな街か?」と聞いてきた。原爆投下や軍事拠点だったからか、長崎の名は良く知られているようだ。「名古屋はわりと大きいけど、長崎は中くらいかなあ・・・。」と答える。すると「ニュルンベルクも中くらいの街だよ。」と返ってきた。日本から遥か遠い国で、自分の国の話が出来るのは、たとえ片言の英語でもほっとする。もっと話していたかったのだが、あっという間にホテルに着いた。明日の午前中は、この中くらいの街ニュルンベルクを楽しもうと思った。
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