このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

江戸時代の太鼓台
役用記に見る太鼓台

 川之江の太鼓台を語るうえで忘れてならないのが川之江村大庄屋「役用記」です。
 当HPでも以前に、文化3年(1806年)の「祭礼行烈次第」や
弘化三年(1846年)裏ノ丁と西濱町の太鼓台の喧嘩のことなどを紹介しておりますが、それらの資料はすべて人づてでコピーをいただいたり冊子から抜粋したものなどでした。
 しかし最近、ある調べものをすることになり初めて「役用記」に目をとおすことになりました。(とはいっても原本ではなく市民ボランティアの人たちのご苦労によってデジタル化された「役用記」ですが)
 記録は寛延2年(1749年)から明治4年(1871年)まで、途中ぬけている年もありますが全75冊分です。それらの中から「八月の祭礼(今の秋祭り)」に関する部分を抜き出して紹介することにします。ただし国語力(古語解読力?)はありませんので間違っていてもご容赦のほどを。



年表
寛延2年から文化2年までの10冊は未解読
1806年
文化3年
祭礼行列次第
1807年(文化4年)は祭礼に関する記述なし
文化5年 神輿守 下分・山田井  文化6年 神輿守 上分・金川
1810年
文化7年
祭礼行列次第  神輿守 余木・長須
大年寄役用記より
1811年
文化8年
祭礼行列次第「車」の順番(文化12年まで)
大年寄役用記より
1812年
文化9年
祭礼行列次第
大年寄役用記より
1813年
文化10年
祭礼行列次第  神輿守 上分・金川
大年寄役用記より
1814年
文化11年
車順、神輿守 余木・長須
大年寄役用記より
1815年
文化12年
車順、神輿守 川之江村
大年寄役用記より
1816年(文化13年)から1818年(文化15年)まで記述なし、1819年(文政2年)未解読
1820年
文政3年
車狂言もめごと
1821年
文政4年
車差留  太鼓へ申し渡し
1822年
文政5年
小祭二付 神輿太鼓通りものハ 其丁切二可致事
1823年
文政6年
太鼓町々組親中へ申し渡し
1824年(文政7年)から1828年(文政11年)まで祭礼の記述なし
1829年
文政12年
倹約令
1830年
文政13年
倹約令
1831年
天保2年
太鼓差留申渡
1832年(天保3年)祭礼の記述なし、この年 太鼓差留
1833年
天保4年
車芸差留
1834年(天保5年)から1841年(天保12年)まで祭礼の記述なし
1842年
天保13年
子供太鼓   八月六日、祭礼太鼓大名関船差留俄等モ不相成
1843年
天保14年
太鼓関船大名俄等 一切不相成事
1844年(天保14年)祭礼の記述なし
1845年
弘化2年
古町組親中江申渡橘橋
1846年
弘化3年
西濱と裏ノ丁の喧嘩   祭礼一件申渡
1847年
弘化4年
鉢巻の色   町々組親中江
1848年
弘化5年
鉢巻の色   若者一党ト申儀
1849年
嘉永2年
祭礼申渡之覚中須町太鼓トラブル
1850年(嘉永3年)記述なし
1851年
嘉永4年
中須と川原町の喧嘩
1852年(嘉永5年),1853年(嘉永6年)祭礼の記述なし
1854年
嘉永7年
祭礼申渡  (太鼓太鼓間江鉾壱ツヽ入候事)
1855年
安政2年
太鼓太鼓間江鉾壱ツヽ入候事 の補足
1856年
安政3年
1857年
安政4年
祭礼申渡
1858年
安政5年
八月十一日祭礼申渡伊地太鼓
1859年
安政6年
祭礼申渡
1860年
安政7年
芝居・太鼓差留
1861年(安政8年)の役用記なし
1862年
文久2年
祭礼申渡
1863年
文久3年
祭礼申渡之事
1864年
文久4年
芝居、太鼓、関船差留
1865年(元治2年)から1867年(慶応3年)祭礼の記述なし
1868年
慶応4年
祭礼行列次第
1869年
明治2年
1870年
明治3年
1871年
明治4年
明治5年以降役用記は書かれていない。


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください