このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
(資料編)
乗車列車の記録
子どもの頃から鉄道好きだったもので、旅で乗車した列車について乗車年月日、乗車区間、発着時刻、乗車距離、車両番号などをずっとノートに記録していました。まったく物好きなことだと思いますが、そのお陰で、たとえば、廃止になった北海道の旧国鉄・湧網線の卯原内駅跡に留置されている客車オハ47−508に昭和56年3月26日に釧網本線634列車で釧路から浜小清水まで乗車した、なんてことや、同じく旧湧網線・能取駅跡に放置されているスハフ42−510には昭和58年3月21日に根室本線441列車で釧路から根室まで乗った、なんてことが判明したりします。という具合に、個人的には貴重な(?)資料だったりするわけですが、その中から、列車編成そのものの記録が残っているものを中心に、ここでご紹介します。今となっては、かなり懐かしい車両がほとんどだと思います。
(注)区間は列車の運転区間ではなく、乗車区間を示しています。
原則として左側が先頭車両です。
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1978.8.29 東北本線 特急「ひばり10号」1020M 仙台15:33→上野19:48(定刻15:20→19:20)
モハネ582−26他13両編成
この列車については上記のような記録しかありませんが、珍しい583系「ひばり」です。当時、東北地方の583系は昼間の特急「はつかり」「みちのく」および夜行の「ゆうづる」「はくつる」と、いずれも上野〜青森間の列車に使用されていましたが、夜行の間合い使用で上野〜仙台間の特急「ひばり」1往復(下り4号、上り10号)が583系で運転されていました。この583系「ひばり」はこの年10月のダイヤ改正で消えています。
なお、この日は福島付近でカラスがぶつかって架線が切れる事故があり、ダイヤが乱れており、仙台発車時点で13分遅れ。さらに郡山で車両故障もあって上野には28分遅れで到着しました。とにかく飛ばすとよく揺れる列車だったという印象が残っています。
1979.3.30−31 東北〜奥羽本線 急行「出羽」403D 上野23:04→米沢4:43(陸羽西線経由酒田行き)
キハ58−810他12両編成
これも記録としてはこれだけですが、懐かしい列車なので載せておきます。上野からキハ58系を12両も連ねた夜行列車が走っていたなんて、今となっては信じられない気がします。なお、キハ58の800番台は元来修学旅行用の車両で、車内(デッキへの出入口上部)に速度計が設置されていました。
僕は未明の米沢で下車しましたが、列車は新庄から陸羽西線経由で酒田まで運転されていました(酒田到着は8:04)。ちなみに前寄り5両が山形止まり、後寄り3両が新庄までで、中間の4両(うち1両がグリーン車)のみが酒田まで直通していました。
1979.3.31 奥羽本線 445列車 米沢5:15→大曲12:45頃
ED78−901+オハフ33−2585+オハ35−2486+オハ47−2290+オハフ61−3054+マニ60−2180+郵便車(車番不明)
列車は米沢始発の秋田行き。機関車は山形からED75に交替。新庄から客車2両増結。
暴風雨による運転見合わせで約2時間遅れ。定刻は米沢5:02発→大曲10:48着。
この列車の乗車記は
こちら
。
1979.4.1 花輪線 927D 十和田南9:52→大館10:40
キハユニ26−32+キハ52−37+キハ52−150
この列車は盛岡始発ですが、盛岡〜好摩間の東北線内は沼宮内行き客車列車(539レ)の後部に併結されるという変り種でした。
1979.4.1 奥羽本線 1823列車 大館10:46→弘前12:05
ED75-?+①オハ35-2012+②スハフ42-2249+③オハ47-2289+④オハ41-2002+⑤オハ46-2001
+⑥オハ35-3273+⑦オハフ33-2020+⑧オハフ33-2077+⑨オハ47-2292+⑩オハ35−?+⑪?+⑫?
乗車中に車両番号をメモして歩いたので、先頭の機関車の番号は不明。また、9号車と10号車の間が閉め切られていたため、10号車以降の車番も不明です。それにしても、青やこげ茶色の客車を12両も連ねたローカル列車が走っていたというのは、今となっては信じられない気がします。
なお、4号車のオハ41−2002は元オロ36というグリーン車からの改造で、窓幅が1,300ミリと広く、しかも車両の端から端まで超ロングシートという珍しい車両でした。
1979.4.2 黒石線 1135D 川部15:34→黒石15:44 136D 黒石15:51→川部16:01
キハ40−510単行
1979.4.3 東北本線 急行「八甲田」102列車 青森0:02→仙台5:33
ED75+スニ41−2001+スハフ12−116+オハ12−172+オハ12−174+スハフ12−106
+オハ12−274+オハ12−184+オハ12−327+オハ12−278+オハフ13−48
上野〜青森間を結んでいた夜行急行「八甲田」には何度も乗りましたが、この時がその最初でした。旧型客車の編成だとばかり思っていたら、2日前(4月1日)の上り列車から12系に置き換えられていました。4月だというのに青森地方は風雪注意報が発令され、闇の車窓を雪が激しく降りしきっていたのを思い出します。早朝の仙台で下車し、客車鈍行に乗り継ぎ、最後は郡山から急行「まつしま2号」(クモハ455−12ほか)で帰京しました。
1979.8.15 東北本線 427D 白石10:08→仙台11:12
キハ17−263 + キハ10−16 + キハ45−503 +キハ17−281
1979.8.15−16 東北本線 急行「新星」1102列車 仙台23:35→上野5:36 (定刻仙台23:20発)
ED75→EF58-116+ナハネ20−344他9両編成(電源車を含む)
上野〜仙台間に運転されていた20系の寝台急行列車「新星」です。編成は機関車の次位に電源車、その次がA寝台で、あとはB寝台車が7両となっていました。僕が乗ったのは4号車で、これが初めての寝台車体験でした。ちなみに仙台では21時30分には列車がホームに入線して寝台が使用できるようになっていました。
この日は松島で花火大会があり、仙石線が大混雑でダイヤが乱れ、その影響で仙台発車が15分遅れとなりましたが、上野には定刻に到着しました。ちなみに下り1101列車は上野23:42→仙台5:57というダイヤでした。
1979.10.21 相模線 353D 茅ヶ崎14:44→入谷15:22
キハ35−103 + キハ30−62 + キハ10−61
同355D 入谷15:54→橋本16:24
キハ20−210 + キハ36−3
首都圏の相模線も当時はまだ非電化で、こんな編成の列車が走っており、腕木式信号機も健在でした。
1980.3.25−26 高崎・上越・白新・羽越本線 急行「天の川」803列車 上野22:38→余目8:16
EF58−137+20系11両(最後尾は電源車)+郵便車(上野〜新潟)
新潟経由で上野〜秋田間を結んでいた20系寝台急行「天の川」です。僕が乗ったのは機関車の次位のナハネフ22でしたが、残念ながら車両番号の記録はありません。後ろ2両がA寝台車で、あとはB寝台でした。この日は寝台券が完売で、上野発車時に「寝台券のないお客様は次の大宮で降りていただきます」という放送がありました。
また、上野は高架の9番ホームからの発車で、地平ホームに比べて味気ないな、と思ったのと、高崎で上野発長岡行きの夜行鈍行733Mを追い抜いたこと、上越線の積雪がすごかったことが記憶に残っています。
EF58は新潟までで、途中、水上〜石内間ではEF16が補機として付きました(石内は運転停車)。また、新潟からは逆編成となり、機関車はEF81に交替しました。
車内では村上を過ぎて7時頃から係員による寝台の解体作業がありました。7時32分発のあつみ温泉から寝台券なしで乗車でき、秋田到着は10時24分でした。
1980.3.28 花輪線 1926D 十和田南8:59→盛岡11:40
キハ52−8 + キハ52−38 + キハ58−621 + キハ52−12
1980.3.28 角館線 923D 角館15:55→松葉16:24
キハ52−145単行
現在は秋田内陸縦貫鉄道の一部となっている旧角館線の乗車記録。この車両は角館に15:48頃、田沢湖線835Dとして盛岡から到着した大曲行き3両編成のうち最後尾1両を切り離したものです。
1980.3.29 角館線 922D 松葉7:00→角館7:33 田沢湖線825D 角館8:22→大曲8:46
922D キハ52−25単行
825D キハ51−1 + キハ26−21 + キハ52−25
角館線の車両が角館到着後、盛岡から来た列車に併結され、大曲へ向かうという運用だったことが、分かります。
1980.3.30 釜石線 631D 花巻9:03→釜石11:37
キハ52−103 + キハ52−35 + キハ51−20 + キハユニ26−10
1980.3.30 山田線 急行「陸中1号」4611D 釜石11:59→宮古13:13
急行「よねしろ3号」4613D 宮古14:04→茂市14:22
キハ58−1532 + キハ58−194 + キハ58−615 (両列車とも同一編成)
「陸中1号」は仙台7時25分発の宮古行きで、宮古到着後、「よねしろ3号」と名を変えて、盛岡・花輪線経由で秋田まで運転されており、車両は秋田の所属車でした。
ちなみにこの「陸中1号」は当時、鉄道ファンの間ではかなり有名な列車の一部でもありました。どういうことかというと・・・。
仙台発車時の陸中1号は「たざわ1号(秋田行き)・むろね1号(盛行き)・陸中1号(宮古行き)」という3列車併結で東北本線を北上。まず一ノ関で「むろね」を切り離し、代わりに盛からきた「さかり号」を併結し、花巻へ。ここで「陸中1号」が切り離され、釜石線経由で宮古へ向かったわけですが、残った「たざわ1号・さかり」には釜石からの「はやちね2号」が連結されて盛岡へ。ここで「さかり」と「はやちね」は終点となり、残った「たざわ1号」は単独で田沢湖線に入り、終点・秋田をめざします。ここまででも、十分すぎるほど複雑ですが、まだ先がありました。
仙台を「たざわ・むろね・陸中」より5分遅れて7時30分にもう一本の急行が発車。これが「千秋1号(青森行き)・もがみ(羽後本荘行き)」で、小牛田から陸羽東線経由で新庄へ。そこで米沢始発のもう一組の「千秋1号・もがみ」と出会い、それぞれ分割併合し、「もがみ」号は陸羽西線経由で羽後本荘へ。「千秋1号」は奥羽本線を北上して青森へと向かいますが、これが途中の大曲でちょうど田沢湖線から来た「たざわ1号」と出会ってしまうわけです。で、両列車は併結され、秋田で「たざわ1号」は終点。「千秋1号」だけが青森まで行く、という複雑怪奇としか言い様のない凄まじい分割併合を繰り返していたのです。
しかも、「陸中1号」の車両は結局、名前を変えて、秋田までやってくるわけですから、当時の東北地方の気動車の運用というのはスケールが大きなものでした。
1980.3.30 岩泉線 427D&428D〜646D 茂市15:08→岩泉16:08 岩泉16:15→宮古17:46
(岩泉←) キハ52−147 + キハ52−141 (→宮古)
(上り428Dは茂市で盛岡発釜石行き646Dに併結)
1980.3.31 宮古線 521D&520D 宮古6:41→田老6:59 田老7:03→宮古7:20
キハ52−37単行
宮古線は今は第3セクター三陸鉄道北リアス線の一部となっています。
1980.4.1 大畑線 825D 田名部12:48→大畑13:12 844D大畑13:17→大湊13:54
キハ22−25 + キハユニ26−22
1980.4.1 大湊線 726D 大湊14:39→野辺地15:53
キハユニ26−21 + キハ22−159 + キハ22−27
1980.4.1 南部縦貫鉄道 野辺地16:18→七戸16:53 七戸17:30→野辺地18:06
キハ102単行 (レールバス)
この列車の乗車記は こちら 。
1980.4.1 奥羽本線 急行「津軽4号」406レ 青森21:35→福島5:49
ED75-785+マニ37-2017(荷物)+オハネフ12-2067(B寝台)+オロネ10-2042(A寝台)+スハフ12-159(指定席)
+オハ12-372(以下、自由席)+オハ12-370+オハ12-335+オハ12-334+オハ12-374+スハフ12-158
1980.4.2 奥羽本線 421列車(秋田行き) 福島6:30→米沢7:47
EF71-11+オハフ33-2584+オハ35-2835+オハ35-2240+オハフ33-2325+マニ36-2006
山形新幹線開業前の福島〜米沢間には赤岩、板谷、峠、大沢とスイッチバック駅が4つ連続していました。福島から行くと、赤岩と板谷の両駅は先に引き込み線に入ってからバックして駅に進入。山形県側の峠、大沢は先に駅に停車して、バックで発車。別の引き込み線に入って、改めて前進して本線に復帰するという形でした。
1980.4.2 米坂線 2123D〜123D 米沢7:54→坂町11:07
キハ55−18+キハ55−15+キハ25−656
1980.8.20 肥薩線 853列車 人吉13:17→吉松14:35
DD51−1128+DD51−1127+オハフ33−361
いきなり九州に飛びますが、肥薩線です。人吉〜吉松間といえば、ループ線とスイッチバックがある日本有数の山岳路線として有名ですが、それにしてもDD51の重連に客車1両だけとはいくらなんでも大げさすぎる気がします。本来は客貨混合列車で、この日にかぎり貨物がなかったのかな、などと想像してみたのですが…。
ちなみに当時の人吉〜吉松間の普通列車はすべて客車列車でしたが、この年の10月で全列車気動車化されました。
1980.8.21 志布志線 427D 都城10:38→志布志11:38
キハ26−455+キハ47−1069
今はなき志布志線です。志布志到着後はこれも廃止になった大隈線に乗って国分へ出ました。こちらの乗車車両は「キハ26−201他3連」としか記録がありません。桜島が灰色の噴煙を上げていたことをよく覚えています。
1980.8.23 鹿児島交通 加世田12:02→枕崎12:42
キユニ101+キハ102
なつかしい鹿児島交通線です。伊集院〜加世田間の乗車列車は車番をメモし忘れました。生い茂る雑草を掻き分けるようにして走っていたという印象があります。また、加世田駅には朽ちかけた廃車が多数放置され、車両の墓場みたいになっていたことを思い出します。この列車の乗車記は
こちら
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1981.3.22 室蘭本線 245列車 長万部14:38→東室蘭16:22
DD51-596+スハフ44-104+スハ45-32+スハ45-34+オハフ62-25
今度はいきなり北海道です。上野から寝台特急「ゆうづる1号」(583系)〜青函連絡船3便(津軽丸)〜急行「宗谷」(当時は函館発稚内行き。キハ56-140他8連)と乗り継いで、長万部からこの列車に乗りました。乗車車両は最後尾のオハフ62です。
1981.3.25 根室本線 急行「狩勝4号」 404D 根室8:32→厚床9:17
キハ56-4+キハ22-219
1981年3月といえば、石勝線開業前ですが、当時、上りのみ根室発札幌行きの急行が「狩勝4号」の名で運転されていました(そのため、釧路〜根室間の急行「ノサップ」は下り3本、上り2本でした)。釧路まではわずか2両編成でしたが、釧路で27分停車の間にグリーン車を含む5両を増結し、7両編成で札幌に向かっていました。札幌到着は17時56分ですから、根室〜札幌間を9時間24分で走破していたことになります。
1981.3.25 標津線 353D 厚床10:03→中標津11:09
キハ22−142単行
今は廃止された標津線です。うねるように続く真っ白な丘の間を朱色のキハ22がのんびりと走っていたという印象が残っています。
この区間にある奥行臼駅跡の探訪記は
こちら
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1981.3.25 標津線 4325D 中標津11:18→根室標津11:48 キハ22-73+キハ22-238
この列車は釧路からの直通列車で、釧路〜標茶間は急行「大雪6号」(釧路9:02発、網走・遠軽・旭川経由、札幌18:29着)に併結されていました。折り返し4328Dは根室標津を12時32分に出て、標茶から網走始発の急行「しれとこ3号」に併結され、釧路まで直通していました。
1981.3.26 釧網本線 634列車 釧路10:16→浜小清水14:38
DE10-1569+オハ47-508+オハ62-96+オハフ46-506+スユニ60-218
この列車の編成中のオハ47−508は現在、網走市卯原内の旧湧網線・卯原内駅跡に留置されています。
湧網線跡の探訪記は
こちら
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1981.3.28 興浜北線 928D 北見枝幸16:12→浜頓別16:56 キハ22−21単行
1981.3.29 天北線 723D 浜頓別7:43→稚内9:44 キハ22−212+キハユニ26−?
後部のキハユニ26の車番は不詳ですが、当時はこうしたローカル線でも旅客輸送だけでなく荷物や郵便の輸送にも鉄道が活躍していたことが分かります。
1982.3.22 室蘭本線 586D 東室蘭10:36→室蘭10:51
キハ22−56+キハ22−210+キハ22−117
1982.3.22 室蘭本線 227列車 室蘭11:13→岩見沢14:52
DD51−1135+スハフ44−20+スハ42−12+スハ43−715+スハフ44−9+マニ50−2213
1982.3.23 函館本線 上砂川支線 931D 砂川17:17→上砂川17:33 932D 上砂川17:38→砂川17:51
砂川←キハ22−78+キハ40−189→上砂川
1982.3.24 根室本線 441列車 釧路6:43→根室10:32
DD51+車番不明+スハフ44−4+マニ36−2242+オユ10−2252
1982.3.26 釧網本線 644列車 釧路10:17→浜小清水14:38
DE10−35+オハ62−96+オハ62−77+スハフ42−521+スユニ61−506
1982.3.28 湧網線 925D 浜佐呂間12:43→網走13:45 キハ22−208単行
1982.3.30 天北線 726D 鬼志別14:25→浜頓別15:07
キハユニ26−24+キハ22−202+キハ22−103
1982.3.30 興浜北線 927D 浜頓別15:26→北見枝幸16:12 928D 北見枝幸16:17→浜頓別17:01
キハ22−332単行
1982.3.31 宗谷本線 337D 音威子府9:59→幌延11:44 キハ22−52単行
1982.3.31 羽幌線〜留萌本線 826D 幌延12:05→深川17:08 キハ24−7+キハ40−101
1982.4.1 釧網本線 646列車 釧路14:03→川湯16:38頃
DE10−38+オハ62−91+オハ62−75+スハフ42−522
1982.4.4 江差線 1721列車 函館5:54→上磯6:14
DL(車番不詳)+スハフ44-23+スハ45-48+スハ45-47+スハフ44-104
1982.4.4 江差線 743D 上磯6:28→木古内7:11 キハ24−2+キハ22−334
1983.3.21 根室本線 441列車 釧路6:43→根室10:34
DD51−502+スハ44−15+スハフ42−510+荷物車+郵便車
落石駅付近でエゾシカ3頭が線路内に立ち入り、列車が立ち往生しました。この列車の乗車記は
こちら
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なお、編成中のスハフ42−510は現在、旧湧網線の能取駅跡に留置されています。探訪記は
こちら
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1983.3.22 釧網本線 644列車 釧路10:14→斜里13:56
DE10−1622+オハフ62−11+オハ62−94+スハフ42−522+荷物車
細岡〜塘路間でエゾシカの群れが線路を横断し、列車が急停車したのを覚えています。
1983.3.26 名寄本線〜興浜南線 628D〜825D 中湧別11:29→雄武13:47
キハ22−302(名寄行き)+キハ40−103(雄武行き)+車番不明(渚滑まで回送)
1983.3.27 宗谷本線 324列車 南稚内9:38→美深13:46
DD51−1088+マニ50-?+スユニ61-?+オハ45−21+スハフ42−512
1983.3.27 美幸線 923D 美深13:58→仁宇布14:28 924D 仁宇布14:34→美深15:00
キハ22−2単行
1983.3.28 名寄本線 622D 遠軽4:28→中湧別4:48
キハ56−120+車番不明+キハ22−251(回送)+キハ22−321(回送)
前2両が名寄行き。後2両は回送扱い、中湧別で切り離され、湧網線始発921Dとして網走へ。
湧網線 921D 中湧別5:14→佐呂間5:58
キハ22−251+キハ22−321(回送)
921Dは網走行きですが、後ろのキハ22−321はまた回送扱いで、途中の佐呂間にて切り離し。
湧網線・名寄本線 940D 佐呂間6:14→湧別7:16 923D 湧別7:22→網走10:03
キハ22−321単行
佐呂間で921Dから切り離されたキハ22−321は中湧別に引き返し、さらに名寄本線湧別支線に乗り入れ、湧別へ。その後、折り返して中湧別から再び湧網線に入り、網走まで単行運転。ちなみに中湧別〜湧別間は1日わずか2往復しか列車がありませんでした。
622D〜921D〜940D〜923Dの乗車記は
こちら
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1983.3.28 釧網本線 急行「しれとこ3号」 613D 網走12:05→浜小清水12:27
キハ22−270+キハ40−168
当時はこんな編成の急行列車がちゃんと急行料金をとって走っていたんですね。僕は料金不要の「北海道ワイド周遊券」を利用していましたが…。
1985.2.28 深名線 944D 名寄14:51→朱鞠内15:58 キハ22−136単行
930D 朱鞠内16:02→深川17:59 キハ40−243他2連
名寄〜朱鞠内〜深川の乗車記は
こちら
1985.3.1 根室本線 265D 釧路6:45→花咲9:58
キハ40−104単行 (厚床からキハ22を1両増結)
この列車の乗車記は こちら
1985.3.5 湧網線 926D 網走14:46→浜佐呂間15:50 キハ40−155単行
1985.3.6 湧網線 925D 浜佐呂間12:58→網走14:01 キハ22−315単行
1985.3.12 池北線 933D 池田9:18→北見12:54
キハ22−317 + キハ40−126
2006年春に廃止された「ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」の前身、旧国鉄池北線。この列車の乗車記は
こちら
。
1985.3.13 宗谷本線 321列車 名寄13:23→音威子府15:00
DD51−1059+オハフ51−37+スユニ50−507+マニ36−2253
宗谷本線の客車鈍行列車、最晩年の姿。この列車の乗車記は
こちら
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1985.3.16 東北本線 528列車 青森6:36→盛岡10:41
ED75-1022+スハフ42-2233+スハ43-2088+スハ43-2272+スハフ42-2164+スハフ42-2144
1985年3月14日のダイヤ改正(東北・上越新幹線・上野〜大宮間開業)で東北本線の旧型客車は全廃、という話でしたが、なぜか改正2日後のこの日の列車はまだ旧型客車の編成でした。青やこげ茶色の骨董品のような客車を連ねた列車で、車内に漂うニスの匂いや早春の雪深い車窓風景が心に焼きついています。
1988.3.25 中央本線 169M 辰野16:44→塩尻17:04 クモハ123−1単行
1988.3.26 飯山線 133D 長野10:25→越後川口13:48 キハ52−135単行
長野駅の飯山線ホームは列車を待つ人々でごった返していました。そこへ入線してきたのが、この列車。乗客の列の前を過ぎ、数十メートル先で停車しました。最初、まさか1両だけのはずはないとでも思ったのか、呆気にとられたのか、誰も乗ろうとしませんでしたが、すぐにあれがそうらしい、ということになり、みんながたった1両の列車をめがけて殺到しました。
たちまち車内はぎっしり超満員。ホームにざっと数えて30人ほど積み残したまま、列車は長野駅を発車しました。
途中駅で、下車客の誰かが車掌に文句を言ったらしく、「ダイヤ改正で1両になってしまったんですよぉ」という車掌の申し訳なさそうな声が車内にも聞こえ、すし詰めの車内に変な笑いが広がったものでした。
1993.3.7 高崎・上越線 「西北の杜」9735列車 上野8:53→水上12:40 9738列車 水上14:48→上野18:22
水上←EF55−1(高崎〜水上)+EF58−89+スハフ32−2357+オハ47−2261+オハニ36−11
+オハ47−2246+オハフ33−2555
早稲田大学鉄道研究会40周年記念列車です。僕は早稲田の出身ではないですが、当時、このイベントの関係者がたまたま身近にいたもので、運良く紛れ込むことができました。
1996.9.21 関東鉄道竜ヶ崎線 39列車 佐貫15:14→竜ヶ崎15:22 キハ531 + キハ532
48列車 竜ヶ崎16:32→佐貫16:40 キハ532単行
1997.8.13 釧網本線 快速「しれとこ」3728D 斜里11:10→網走11:48 4735D 網走13:56→斜里14:40
キハ54-520 + キハ40-766
1999.12.23 鹿島鉄道
石岡12:31→鉾田13:24 キハ431
鉾田14:52→桃浦15:23 キハ601
桃浦15:57→石岡16:22 KR−501 鹿島鉄道の乗車記は
こちら
2000.1.10 鶴見線 鶴見11:30→海芝浦11:41
クモハ103−131 + モハ102−279 + クモハ103−603
2000.8.12 根室本線 2528D 釧路15:05→帯広18:03 (芽室行き) キハ40−778単行
2000.8.13 根室本線 2428D 帯広6:59→新得7:56
キハ40−749 + キハ40−722 + キハ40−825
前1両は滝川行き、後2両は新得止まり。
2000.8.13 石勝線2629D 新夕張10:10→夕張10:37 2632D 夕張12:13→南千歳14:10
キハ40−767単行
途中の清水沢駅でタブレット交換あり。
2000.8.13〜14 千歳線・室蘭本線・函館本線 快速「ミッドナイト」6980D 札幌23:35→函館6:30
キハ27−552+キハ182−37+キハ27−502+キハ56−214+キハ56−211+キハ56−204
1号車はカーペット車、2,3号車はドリームカー。4〜6号車(旧国鉄色のキハ56)は普通車自由席。
2、4〜6号車は増結車。
2000.8.14 江差線120D 函館7:00→江差9:25
キハ40−799 + キハ40−811(木古内で切り離し)
4175D 江差9:35→木古内10:37 キハ40−799単行
2000.8.26 大糸線436D 糸魚川15:03→南小谷15:59 キハ52−125単行
キハ52−125はその後、いすみ鉄道に譲渡され、活躍しています。
2001.2.3 関東鉄道常総線
49列車 取手10:54→水海道11:26 キハ2105+キハ2106
49列車 水海道11:29→下館12:21 キハ2204単行
70列車 下館13:07→大宝13:26 キハ2202単行
78列車 大宝14:56→下妻15:00 キハ102単行
84列車 宗道16:10→水海道16:37 キハ2201単行
84列車 水海道16:39→取手17:11 キハ303+キハ301
2003.8.23 いすみ鉄道 大原11:41→上総中野12:29 いすみ206単行
2004.8.1 只見線 432D 小出13:17→会津若松17:20
キハ48−535 + キハ40−2024 この列車の乗車記は
こちら
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2004.8.12 大糸線 430D 糸魚川15:20(定刻15:12)→南小谷16:08 この列車の乗車記は
こちら
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キハ52−156単行
2004.8.28 烏山線 335D 宝積寺12:35→烏山13:09 338D 烏山13:37→宇都宮14:32
(烏山←) キハ40−1008 + キハ40−1001 この列車の乗車記は
こちら
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2004.8.28 鹿島臨海鉄道 水戸17:04→鹿島神宮18:20 6006+6005 乗車記は こちら 。
2004.8.29 久留里線 931D 木更津11:50→上総亀山12:51 938D 上総亀山14:00→木更津15:07
(上総亀山←) キハ38−1 + キハ37−1002 この列車の乗車記は
こちら
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2004.12.19 日立電鉄 常北太田13:17→鮎川13:54 鮎川14:20→大甕14:33
(鮎川←)2215+2006
この列車の乗車記および廃線跡探訪は
こちら
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2006.9.2 水郡線 329D 水戸9:23→常陸大子10:38 844D 常陸大子16:44→水戸18:01
329D 郡山行 キハ112−120+キハ111−120+キハ112−119+キハ111−119(後2両常陸大子止まり)
844D 水戸行 キハ111−152+キハ112−152+キハ111−119+キハ112−119
2006.12.23 成田線 2439M 成田10:40→銚子11:57 総武本線 372M 銚子16:42→千葉18:30
(銚子←) クハ111−2155+モハ113−2106+モハ112−2106+クハ111−2074 (→千葉)
銚子へ出かけたとき、往路の成田線と復路の総武本線がたまたま同じ編成でした。成田線や総武本線にも新型車両が進出していて、こんな編成も近い将来、懐かしいものになってしまうのでしょう。なお、房総半島の観光キャンペーンで車体に花や海のイラストレーションが施されていました。
2007.1.18 鹿島鉄道
石岡11:31→鉾田12:24 キハ601
鉾田12:42→常陸小川13:19 キハ601
常陸小川14:03→石岡14:18 キハ431
2007年3月末で廃止された鹿島鉄道の、僕にとっては2度目で最後の乗車記録です。
2007.4.29 富士急行線 大月7:51→富士吉田8:33
1203+1303+1208+1308
以下、続く
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