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中国(杭州・紹興・上海)−18 外灘の夜景編

 紹興駅から杭州駅まで45分程度かけて戻り、杭州駅で1時間ほど次の電車を待った。杭州駅から上海駅行きは時間の合うものが無かったので、ホテルのビジネスセンターのお姉さんに勧められた梅隴(メイロン)駅行きの列車にした。杭州駅から梅隴駅は2時間程度であり、18時30分頃に到着した。途中、どの駅にも停まらなかった。
 梅隴駅から10分ほど歩くと、上海市内へつながる地下鉄の駅に到着する。地下鉄に乗って人民広場駅で乗り換えて、ホテルのある静安寺駅で下りる。当社駐在員に予約してもらったホテルを見つけるのに少々手間取ったが、19時30分頃にはチェックインした。
 荷物を置いて、休む間もなく、また地下鉄に乗る。静安寺駅から東方明珠塔のある陸家嘴駅までは乗り換え無しで4駅だ。 東方明珠塔 は2年ぶりである。 浦東地区 がどのような変貌を遂げているか、この目で見たかった。


2002年9月4日

 20時頃に陸家嘴駅から地上に出ると、東方明珠塔が視界に入る。相変わらず、その高さは人を圧倒する。

今回は写真をうまくつなげられなかった。

 塔の中に入ったところ、上に昇るエレベーターの前には長蛇の列が出来ていた。営業時間は21時までなので、それほど時間が無い。やっとエレベーターに乗ってまずは地上263メートルまで昇る。そこで一回下りてから地上350メートル行きのエレベーターに乗るのだが、これまたかなりの混雑であった。見学するよりも、列に並んでいた時間のほうが長かったような気がする。行った日が日曜日だったこともあるかもしれないが、営業時間終了前というのはお薦めしない。

 塔を出たのは21時を若干過ぎていた。外灘観光随道で黄浦江の下を通り抜けて、外灘側に出る。外灘から黄浦江を挟んで浦東地区の写真を撮った。せっかくなので、2年前のものと比較してみよう。

2002年9月4日2004年10月10日

 東方明珠塔がカラフルになった以外は、あまり変わっていないような気がする。高層ビルがさらに増えていることを期待していたのだが、浦東地区の建築ラッシュも一段落したのだろうか。
 外灘側のアール・デコ調の建物は、もちろん何も変わっていない。下の写真の緑の屋根は和平飯店北楼であり、1929年に竣工されたものだ。1階のバーは「老年ジャズバンド」で有名である。ぜひ一度泊まってみたいホテルである。

外灘の夜景

 ベンチに座って、しばし外灘の夜景を眺めた。
 昔の街並みを残した紹興から最先端都市の上海まで3時間30分である。伝説の王朝「 」の時代から紀元前の 臥薪嘗胆 、西暦353年の 蘭亭 、1900年頃の 魯迅 を経て、上の写真右側の建築物は1920年代、川の反対側にある浦東地区は未来都市である。3000年以上を1日で旅してしまった。新しさと旧さが渾然となっているところが、上海の魅力であろう。



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