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Travel Maker

第八章「忠清南道」 チュンチョンナムド




これから記述する扶余(ぷよ)という街は、かつての日本の同盟国「百済」(くだら)があったところ。
そして百済の首都として栄えた街でもある。
しかしガイドブックに載っているといってもページ量は少ないし、実際バスの本数も少ない。

俺らの乗ったバスが扶余に着いた。バスターミナルとは呼べないくらい小さいものだった。
それは束草(そくちょ)より小さかったかもしれない。バスターミナル付近を歩いていると、アジョッシ(おじさん)から声をかけられる。
「観光客か?それならこれをあげよう」
どうやら、出店のアジョッシらしいけど、地域の地図をくれるみたいだった。
「見やすい地図だろ。観光名所はココとココと・・・」
・・・・・なんだか親切にしてもらうのが慣れてしまっている自分が怖い。
詳しい説明をもらって、小さなターミナルを抜ける。
国道らしき通りに出ると、道路を渡り、まずは市内にあるという定林寺址(ジョンニムサジ)に行ってみることにした。
国宝なのだが今では石塔と石仏が残るだけ。
石塔には百済が唐と新羅の連合軍に攻め込まれ敗れた際に勝利を記念して書き込まれたとされる文字が刻まれている。



中央の写真が石塔。だだっ広く周りに何もない。そして観光客もほとんどいない。本当にここは元首都なのか?
日本の京都も元首都だが今でも大人気の観光地である。


繁華街と呼べるかどうか分からないくらい寂れた街の中心に定林寺址の敷地はある。
韓国の人も観光でこの地を訪れるらしい。少しばかりその観光客と話し込んでしまった。
団体旅行で観光バスで移動するというのだが、博物館にこれから行くとの事だった。
「もし良かったら、一緒に行く?バスに乗ってく?」
バスの運転手でもない、旅行会社の人でもない、普通の客が、そんな事を言う。
なんだこの展開!?

しかし、午後には天安という街に移動しなければならない事を説明し、団体とはそこで別れた。
だけど、こういう旅は道連れというか、バスに乗ったとしても費用は発生しないんだろうな。
ここでも情が働いているようだった。

定林寺址の観光を人並みに終え、向かうは北にそびえ立つ扶蘇山城(プソサンソン)だ。
百済の悲しい歴史の終焉の地。




元来た道を戻るような形で北に進んでいく。
行けば分かるという事なのらしいのだが、やがて正門らしき門が見えてきた。
ところで拝観料って払ったっけかな・・・



扶蘇山城といっても、壮大な城が建っているのではなく、跡地的な感じ。
時折、小さな寺というか、見晴台?があるだけ。
基本的に山城みたいで、ずっと整備された山道を登っていく感じだ。
地元の人には良い散歩道といった感じなのだろう。

この旅でずいぶん痩せた気がするが、毎日相当な量を歩いている為だろう。
この韓国一周旅行で一体どのくらいの距離を歩いたことだろう?

※ 実はこの時、私はデジカメというものを持っていなかった。
  この「第三次渡韓」にて撮影されている写真の数々は全てGAJIROが撮影したものであり、それを拝借している。
  2004年のお話なのでデジカメのメモリカードは64メガ。そのメモリーカードがついにこの地に来て一杯になってしまい予備
  の8メガのメモリーカードを使うことになった。

ちなみに余談だが、2011年現在私の所有するデジカメには32ギガのメモリーカードが入っています。
7年間経つとメディアの容量は1000倍になるというのか。
このム〜アの法則のようなものに沿って考えれば2018年のデジカメは32テラのメモリーカードが入っているくらいがごく普通となる。32テラと言ったら超高額なサーバーに搭載されるような容量である。

参考雑学
半角1文字が1バイト
1バイト ×1000 →1キロバイト ×1000 →1メガバイト ×1000 →1ギガバイト ×1000 →1テラバイト 
×1000 →1ペタバイト ×1000 →1エクサバイト ×1000 →1ゼタバイト ×1000 →1ヨタバイト 
これ以上は知りません。


話は戻りますが、旅行も残り数日となってきているが、コレで足りるのか不安だったのは言うまでも無い。
歩く事30分、看板が所々にあるため、目的地まで何分で何mなのか分かるのが良かった。
結構親切な場所という印象、そして、ついに最頂点に辿り着いた。



そこは見晴台のある崖なのだが、ここで大昔に悲しい事件が起きていた。
新羅と唐の連合軍が百済に押し寄せてきた時に、百済の王家の女やそれに付いていた女中達。
3000人余りが、この崖から飛び降りて果てたとされている。勿論この時、日本の軍勢も援軍に来ていて百済を守った。
我らの先祖はココで敵と戦ったのだ。世に名高い「白村江の戦い」・・・教科書に載ってたかな?

上の左の写真にあるように、見晴台から崖まで降りるのに、ちょっと滑って危なかった。
日陰部分には霜が下りていた。非常に危険であり、本当に危ない。一歩間違えると過去の再来になってしまう。


崖の下を見つめると川が緑色である。私はこの緑色の川というのにいい思い出がない。

百済は日本の同盟国。いや、正確に言うと当時は日本というより大和と言っていたのかな。
百済の王室高官は日本にも行った事があるらしい(あくまでらしい)

山に登ったら普通は、来た道をただ戻る面倒な億劫な感じになりがちだが、ここ扶蘇山城は最頂点からちょっと降りると、船着場がある。

クドレという名前で、麓まで一気に川くだりをする事が出来るのだ。
たしか大人は6000Wくらいだったかな、ちょっと高いけど、なかなか楽しかった。
川の色が本当に緑で怖い・・・。流れが遅い緑色の水、トラウマです。

麓の船着場「クドレの里」に着く。ここから徒歩でクドレ彫刻公園を抜けるとバスターミナルはすぐ近く。
もうプヨの立ち寄る計画の場所は無かった。



ターミナル近くのコンビニで昼飯を買い、一路、北に位置する「天安」を目指す事にした。
天安は、言わずと知れた
「独立記念館」がある場所であり、日韓を考える上で外せない施設だ。


天安のターミナルは繁華街の真っ只中にある感じで、デパートと隣接していた。
「あとで買い物しにまた来るか」と思いつつ、そこを突破し、大通りへと出る。
独立記念館へはバスで行くことにして、事前にバス券を購入することにした。
大通りに出ると、宝くじ売り場のような発券場があったので早速二人分購入。
売店なんかも兼ねているようで、日本で言う「キヨスク+バス券売り場」という感じ。
バスに乗り込み郊外まで移動。記念館はだいぶ郊外に行く必要があるようだった。
バスに乗ること1時間くらいだったろうか。なかなか到着せず、心配だったので、バスに乗っているアジョッシ(おじさん)に
「独立記念館についたら教えてください」
と念を押してお願いしてた。
こんな日本人を見て、どう思うのかは分からないけど、快くOKしてくれた。
「わしも、そこで降りるんじゃッ!教えてあげるよ」こんな感じで。

やがて大きな敷地が見えてくる。そいつはかなり広大で東京ドーム数個分はゆうに超えるだろう。
バス停から入り口まで少し歩いて、チケットを取る。実はここ2月という事もあり、17時で営業終了。
この時すでに、15時半だった・・・。
プヨとのハシゴになるわけだが、何とかギリギリで来たって感じ。本当はもっとゆっくり見たかった。


大きな通りに大きな橋、その通路を通っていくと本館が見える。
写真の建物の裏にまたいくつもの施設が続いていく。
各建物は役割を決められていて、1館目は、日本侵略前の事を展示していて、
2館目は日本軍との壮絶な戦いなどを展示している。
生々しいしい写真が特徴的だが、
日本が行なってきた虐待、拷問がマネキン人形が動いて教えてくれる。
建物の中には
処刑体験コーナーも設けられ、日本人から拷問をバーチャル的に体験する事が出来た。
しかし、農民決起の様子や、当時の白黒放送を見ていると絶句というか、とても生きた心地がしなかった。

重苦しい時間が過ぎて行き、閉館時間となった。最後の建物を見て回ることが出来なかった。ちょっと残念。

日本人なら一度は来てもらいたい場所でした。しばらく食べ物が喉を通らなくなった。

日本と朝鮮は古くから因縁の関係にある。

豊臣秀吉の時代には朝鮮征伐と名打って全国統一後に諸大名を率いて朝鮮に武力行使を行う(2回も)
1592年の文禄の役と1598年の慶長の役がそれで、慶長の役の際は進軍中に秀吉の死を知り撤退した。
このとき、日本の軍事力は総勢10万人以上にも及び、西暦1500年代には日本は内戦状態が続いていたこともあり
実践で訓練された即戦力の軍事力が10万以上も火縄銃で武装していたことになる。

そして1910年には征韓論を名打って韓国併合の道に進む。ここから35年間に渡って日帝の時代になったのだ。

日本人がここに来るのは珍しいと思う。日本の観光ガイドブックには載っていないと思うし、韓国人も「観光ツアー」なんかで独立記念館に来てもらうのは複雑な気持ちだろう。



私がこうやって韓国に深い愛着が沸いて来たのは理由がある。


日本にいると韓国を非難したり日本が被害者のようなニュースが日々耳に入ってくる。


しかし、韓国に来ると逆に日本から酷い事を長年されてきたという全国民共通の「恨」が伝わってくる。


どちらが正しいか。それはどちらの立場に立つかということ。


ただ、それで相手の国を知ったことにはならない。私は真実が知りたくて旅をするようになりました。


自分の目でしっかりと物事の本質を見て判断したいと思えるようになった。


渡韓という行為は私を何倍も成長させてくれた気がします。





帰りのバスに乗り込み、バスターミナルまでやってくる。
今夜の宿探しはターミナル近くが舞台。何とか安価な場所を見つけ、今回もモーテルに男二人・・・・1人15000ウォン。
次はいよいよ最終章。絶対に何かある!?


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