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私の旅日記
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2004年
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真間山弘法寺
〜句碑巡り〜
亀井院
の裏山が真間山で、真間山弘法寺
(ぐほうじ)
がある。
日蓮宗
本山である。
真間山弘法寺
天平の昔、
行基菩薩
が来錫
(らいしゃく)
し、真間の地に語り伝わる手児奈の霊を供養して一宇を建て、「求法寺
(ぐほうじ)
」と称したが、その後、空海(弘法大師)によって七堂伽藍が造営され、「真間山弘法寺」と改められたが、本寺の起こりと伝えている。
境内には、
水原秋桜子
、
富安風生
の句碑等が存する。
石段を登ると、仁王門がある。
眞間寺や枯木の中に仁王門
『寒山落木』
(巻四)
安永7年(1778年)8月14日、
横田柳几
は関東三社詣での途次、弘法寺に参詣している。
日蓮宗真間山弘経
(ママ)
寺へ詣庭前に古樹三株あり所謂真間のもみち是なり枝の内一茎二葉稀に有外の樹より紅葉遅しと云
見出スにも二葉はまゝのもみち哉
柳
秋もまた青葉のまゝの紅葉哉
篁
『月の直路』
仁王門の右に
小林一茶の句碑
があった。
真間寺で斯う拾ひしよ散紅葉
真間の弘法寺は紅葉の名所
真間行
落葉たく祖父ハ若木も寺紅葉
鈴木荘丹
『能静草』
文化14年(1817年)8月27日、国学者高田与清は弘法寺に詣でている。
○石坂をのぼりて眞間山弘法寺にまうづ。庭に青葉の楓といふがあり。
『相馬日記』
左には
水原秋桜子(1892−1981)の句碑
。
梨咲くと葛飾の野はとのぐもり
『葛飾』
(昭和5年)
祖師堂
明治21年(1888年)、火災のため諸堂が焼失、明治23年諸堂が完成し、昭和47年には本堂を鉄筋コンクリート造りに改築した。
大正7年(1918年)、
吉植庄亮
は市川市真間の別荘に移り住む。
真間山に登り来にけり弘法寺の庭のかたすみの唐黍の花
『寂光』(真間山附近其二)
祖師堂の前に伏姫桜
(ふせひめざくら)
と呼ばれる樹齢推定400年の枝垂れ桜があるが、訪れたのは3月中旬のことで、まだ早かった。
伏姫桜の下に富安風生の句碑がある。
まさをなる空よりしだれざくらかな
『松籟』(昭和12年)
富安風生
(1885〜1979)は愛知県生まれ。
高浜虚子
門下。
伏姫桜は咲いていなかったが、白い桜の花が咲いていた。
サクランボの花だそうだ。
弘法寺の隣の
千葉商科大学
には河津桜が咲いていた。
河津桜を
河津
以外で見るのは初めてだ。
里見公園
へ。
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