このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 人

平山梅人

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 三河田原藩士で、江戸に住んだ。採荼庵二世。別号第一園。俳諧を広岡宗瑞に学ぶ。広岡宗瑞は 中川宗瑞 の門人。

橘 また橋 宮毛備前守様御屋敷内 梅人


 天明2年(1782年)10月12日、三河田原の 龍泉寺 に芭蕉の句碑を建立。



寿久三行や馬上尓氷る影本うし

 天明4年(1784年)5月24日、梅丸は池上 本門寺 の帰途に梅人の採荼庵に立ち寄る。

 天明5年(1785年)、『杉風句集』刊。採荼庵二世となる。

 天明5年(1785年)、 『名れむ花』 (錦水編)採荼庵梅人序。

 寛政2年(1790年)、『俳諧深川集』(洒堂編)を復刻。 杉風 伝来の芭蕉真蹟を模刻して 『かしま紀行』 刊。

 寛政2年(1790年)7月、 『冬かつら』 (採荼庵杉風編・採荼庵梅人校)梅人序。

 寛政3年(1791年)、 『続深川集』 刊。

 寛政5年(1793年)5月、芭蕉の百年忌で採荼庵梅人社中は 真性寺 に芭蕉の句碑を建立。



志ら露も古保連ぬ萩のう禰里哉

 寛政2年(1790年)7月、 『冬かつら』 (採荼庵杉風編・採荼庵梅人校)梅人序。

享和元年(1801年)10月14日、58歳で没。

 享和3年(1803年)、梅人三回忌集として 『水の音』 (杉長編)刊。

 文化4年(1807年)、梅人七回忌に『梅人句集』(郁賀・杉長編)刊。

 文化9年(1812年)、梅人十三回忌追善集 『栞集』 (成蹊編)刊。

 文化10年(1813年)、 半場里丸 は梅人の第一園を継承。

梅人の句

初秋や水へ見かへる橋の人


梅柳先おとこ文字女文字


夕すゝみ精進落てもとりけり


五月雨や半夏をわたる風涼し


涼しさや見る間に星の二つ飛ふ


浮く時は一物もなき蛙かな


土佐が繪の松に櫻や棚がすみ


初雪や足らぬふもとは宵月夜


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