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俳 書

『続深川集』(梅人編)

寛政3年(1791年)、刊。 梅人 編。亀文、 蝶夢 序。

 梅人は採荼庵二世。平山氏。三河田原藩士で、江戸に住んだ。俳諧を広岡宗瑞に学ぶ。

 亀文は尼ヶ崎侯遠江守桜井大膳亮忠告。深川の 古池旧跡 は当時亀文の下屋敷にあった。



古池や蛙飛こむ水の音この音の寂しみ桃青はしめて聞しを其句の音我聴他聞世を経ても普くきゝ味はふる事になむさりやその池は今予か別業の内に存してますます古池となれり

雨のふる池も涼しや水の音
   亀文子

元録(ママ)のむかし膳所の 洒堂 江戸に下向し芭蕉庵に随仕して深川集を編てよりとしはやゝ九十七年になりぬものかはり星うつれと蕉翁の風雅の道は年々にさかへて已に其地に蕉門の門派多く 其角 を学ふあり 嵐雪 をならふありそか中に何かし梅人といふは杉風か風躰をしたひて風か採荼庵の二世をつくかゆゑに旧庵に残りしふるき文書ともを捜し一集に書つらねて続深川集と題し蕉翁の百回忌の報恩になそらふ事と也是をあか仏の道の伝燈のいはれにしてかの深川の浅からぬおしへをつたふるの続集なることを遠く都の片ほとりまても聞伝へて随喜のあまりに蝶夢幻阿弥陀仏筆をそふ



こゝのとせの春秋市中に住侘て居を 深川のほとり に移す長安は古来名利の地空手(くうしゅ)にして金なきものは行路難しと云けん人のかしこく覚え侍るはこの身のとぼしき故にや

しはの戸にちやをこの葉かくあらし哉
   はせを

曽良 何某此あたり近くかりに居をしめして朝なゆふなにとひつとはる我喰物をいとなむ時は柴おりくふるたすけとなりちやを煮る夜は来りて氷をたゝく隠閑を好む人にて交(まじは)りこかねをたつある夜雪にとはれて

君火を焼けよき物見せん雪丸


我か草の戸の初雪見むとよそにありても空たにくもり侍れはいそき帰ることあまたひ(ママ)なりけるに師走八日初て雪ふりけるよろこひ

はつ雪や幸庵にまかりある

   試 筆

元日やおもへはさひし秋の暮

   桑門 宗波 行脚せんとてたひ立けるを送る

古巣只あはれなるへき隣かな

杉風生 夏衣いと清らかに調して送りけるを

いてや我よききぬ着たり蝉の声

   人に米をもらふて

よの中は稲かる頃か草の庵

   ふたゝひ 芭蕉庵 を造りいとなみて

あられきくやこの身はもとのふる柏

   歌 仙

いさみ立鷹引居(すゆ)る霰哉
   翁

 なかれの形(なり)に枯るゝ水草
   沾圃



   深川菜摘

賤か子は薺見る目のかしこさよ
    杉風

深川の畠てたゝくなつ菜哉
    桃隣

ねむる子をゆすり上摘若菜哉
    岱水

根の土を袂にはたくわかなかな
    曽良

杉風叟のきのふけさ足の早きや若菜売といえるをおもひ出て

きのふけさ座敷の上も若菜売
   梅人

 上ツサ行川
小鼓の遠音も華の曇りかな
    里丸

 
北嵯峨や春の雨夜に衣うつ
    重厚

笛に寄るものなら待し時鳥
    野逸

ほとゝきす夜明の鐘そ嬉しけれ
    蝶夢

名月やむしろ一牧淡路島
    安袋

三味せんに世の二つある師走かな
   瑞石

枇杷の花頻に日を帯雨を帯
   宗瑞

住あれし鳰の浮巣やとしの暮
   既酔



続ふかゝは集解

この書を続深川集と題することは句々芭蕉庵の吟をあつむ湖南に洒堂か頭陀をおろし東武の風雅をしらしめたるによるなるへし

翁いまた松尾何かしたる時伊賀より出て仙風か小田原町の屋舗に草鞋の紐をときて談林風流を友とす其後こゝかしこに居を移し侍れと市中はこと繁く隠者のこゝろにかなはされはふかゝはに移り給ふとそ其吟を巻の首とす深川は杉風か別荘にして採荼庵に隣り草の庵をむすひて茶を木の葉かくあらしかなとわひしみさひしみの正門を建立せむと杉風素堂を友とす

近世俳諧資料集成(第5巻)に拠る。

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