このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
一路観宣頂
大山別所町の御師沼野掃部。
加舎白雄
の門人。沼野藤原珍矩。
大 山
宣頂
沼野掃部
『諸郡銘録』
加舎白雄は宣頂を訪ねている。
宣頂亭
さばへなす蚊も候はず秋の山
『白雄贈答』
寛政7年(1795年)2月15日、西上人六百遠忌正当法要。秋暮亭興行の歌仙に宣頂の句「
むら雨の降か中なる秋の月
」がある。
寛政7年(1795年)、伊勢原市の大山に
芭蕉の句碑
を建立。
雲雀より上にやすらふ峠かな
『諸国翁墳記』
に「
雲雀塚 相州大山伊与利嶺建 宣頂
」とある。
寛政12年(1800年)7月22日、「秋暮亭再建寄附并諸入用紙」に「一南鐐一片
大山
宣頂
沼野掃部
」とある。
享和元年(1801年)8月、
葛三
の秋暮亭再建。百韻の歌仙に宣頂の句「梟の鼻の先なる月夜さし」がある。
文化11年(1814年)8月3日、寂。行年60歳。
大山西岸寺跡にある沼野家墓地に墓石に辞世の句が刻まれているそうだ。
凪むことを得す散花の夕かな 一路観
文政3年(1820年)、8月、一路観宣頂七回忌追善集
『阿夫利雲』
(淇渓編)刊。
雉啄
序。
宣頂の句
菴の竹霜の降べき夜なりけり
『春秋稿』(第五編)
狩のあと嘸
(さぞ)
かた鶉暮を啼
松葉焚て掛菜あむ家のくらき哉
『葛の葉表』
太白星のさやかに梅を離れたり
『春のおとずれ』
やむ事を得す散華の夕かな
『衣更着集』
原中や一粒雨にかた鶉
夜の酒うめか香たるくはらふ也
『春秋稿』(第六編)
出代や便船たのむ人の親
古暦入日をまねくおもひあり
『春秋稿』(編次外)
しくるゝや竈にせふる唐からし
『春秋稿』(第七編)
はるの月遅き礼者のおくらるゝ
『黒祢宜』
凍蝶のきふを侘る籬かな
『つきよほとけ』
葉桜に世を捨心くらへけり
『蝶の日かげ』
うすくれやかたりわかるゝ山さくら
『風やらい』
蚊柱の行方をかしや鬼かはら
『寢覺の雉子』
鼻さきのふたもと榎しくれけり
『頓写のあと』
茂らすは植たき木あり時鳥
『くさかね集』
淇渓は宣頂の養子。沼野藤原寛義。俳号のち樗一。
安政3年(1856年)8月19日、寂。行年81歳。
淇渓の句
鳴もせぬ顔を並へる巣鳥かな
『的申集』
二世宣頂は沼野藤原公祥。
宣頂
一号一路観 相模大山
沼野掃部
夜顔みたる月の雫や別れしも 宣頂
『海内俳家人名録』
安政元年(1854年)12月晦日、寂。行年49歳。
二世宣頂の句
秋の夜や祖父のかたみの松の声
『春秋稿』(第八編)
山焼の灰の舞こむ庵かな
『蝉塚集』
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