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俳 書

『阿夫利雲』(淇渓編)


大山の俳人一路観 宣頂 の七回忌追善集。

 文化11年(1814年)8月3日、一路観宣頂寂。行年60歳。

 文政3年(1820年)8月、『阿夫利雲』(淇渓編)刊。鴫たつ庵 雉啄 序。凌雲亭丁儿跋。

淇渓は宣頂の養子。沼野藤原寛義。俳号は、のち樗一。

 阿夫利山の梺なる宣頂ぬし、春秋菴白雄門にして俳諧を嗜ミ、酒をたしみ、大瀑布の側すこし小高き処に茨刈篠伐垣結添て、只酒をあたゝむるの、灯をそなへ、兎の通へる道、筋をあらため、自一路観と呼ハ、人もまたこれをあふく。大飛泉の水澄る時は耳を洗ひ、濁れる時は足を濯ひて、生涯風流のはかりとなしぬ。しかるを文化十一戌の年葉月三日に黄泉の客となりにたれハ、孝子淇渓うちなけきて作善供養に粟を盛んより、陽炎の夕朝顔の旦、いひ捨しくさくさをひろひ、いさゝかのとちものなして手向にとす。葛三居士は道のために兄弟の結縁とて其事をはかるに、いとやすく諾して、ものするの月日もなくこれもゝのへまかりぬ。さりやとてこのまゝに捨おかんも本意なしと、またまた予にはかり玉ふに、亡師の一諾、宣頂ぬしの風流、淇渓子のいさをしあまりあれハ、いなミかたく、桜木にちりはめ漸こたひ、雨降砌に集成にたれハ、阿夫利雲と号く。これ別に趣あるにはあらす

鴫たつ庵雉啄

文政庚辰仲秋

行水の流れハ絶すしも、今年七廻りに及ぬる亡父に因ある友とち、又やつかれにちなむのともとち、其好める処の俳諧なれハ、その発句てふものをならへ、聊のとちものにして、魂祭をなとある、おこかましくはおもほゆれと、人々のすゝめにまかせてかくハなし侍りぬ

鳫の声怠りがちの月日哉
   淇渓

   あか名を継て呼へしと
   ある祖父の志を用ひて
  少年
言の葉の今ぞ身にしむ霧の山
   宣頂



   姨捨山

すハや月山の頂離れたり

原中や一粒雨にかた鶉

時雨日や竈に煙る唐辛子



   脇起俳諧

素湯の香の夜深き宿や秋の風
宣頂居士

 月にいなれし椎の下冷
   淇渓

鈴虫の声ふりこほす人影に
   丁儿

 草履の砂のあとさかりする
   宣頂



   酒に別れある一路上人のもとめに応ず

  酒くさきひとに蝶舞すたれかな

  月しろやすゝミなれたる夜の酒

  酒醸す隣に菊の日よりかな

  薄くれや霰興する樽ひろひ
      (※「雨」+「丸」)春秋庵
  白雄


  
棣棠にうしろ門開仏かな
    春鴻
  
かりの世としるや巣にしぬ鳥もなし
    長翠
  
波ふミてほむらさます歟磯の鹿
    巣居
  
漢河露とくたりて明し夜歟
    伯先
  
誘引音ハ我松風や時鳥
    星布

格別にひきやうもなき鳴子哉
   保吉

春は猶曙に来る片鶉
    巣兆

花を見る心いくたひ替りけり
    成美
  
苧売買命難而見ゆる也
    柴居

   乙艸
伊勢原片町
山柴のかこひる雨やきりきりす
   徐来

咲花に心の外の笑顔かな
   大梁

   雨降山にて

雲の涌道こそ見ゆれ花の奥
    葛三
  
六月や思ふに人はつよきもの
    虎杖

こほれても嬉し若菜の柳箱
   八朗

居処に目のさす菊の十日哉
   兀雨
  
菜の花の中や手にもつ獅子頭
    乙二

行秋も先久かたの空よりそ
    碩布
  下サ
町中に咲けり梅のかるはつミ
    雨塘

山茶花に寄た座組や豆大師
    應々

大津絵を馬から覗く小春哉
    蕉雨

籠の鶴空恋しかる紫苑哉
    護物

初午に子の日の松も根つきたり
   其堂

荻の声我家をこへて何処へ行
    洞々

何處となふ正月らしや二日の夜
   嵐窓

粥杖に撲はつされし楳の花
   宣頂

秋のくれいなんとすれハ止られし
   丁儿

(あっぱれ)の贔負をうけし秋の月
    雉啄

「大山の俳人宣頂の追善集『阿夫利雲』について」(飯田孝)による。

 平成20年(2008年)3月発刊の『伊勢原の歴史 第14号』(伊勢原市史編集委員会編)に収録。

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