このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
2019年の旅日記
願海寺
〜扇 塚〜
南あわじ市松帆檪田
(いちだ)
に願海寺という寺がある。
願海寺の前に扇塚があった。
ひらひらとあぐる扇や雲の峰
出典は
『笈日記』
。
元禄7年(1694年)6月、大津の能役者本間主馬の屋敷を訪問した時の句。
『諸国翁墳記』
に「
扇 塚 播州松帆浦願海寺在 玉屑建
」とある。
町指定重要文化財
扇 塚
寛政元年(1789年)
ひらひらとあぐる扇や雲の峰 はせを
この扇塚は淡路で最も古い、俳聖の
松尾芭蕉の句碑
である。
「はせを」とは芭蕉の古い字音、かなづかいである。
江戸時代中期の俳人
与謝蕪村
(1716〜1783)らによって興された正風(芭蕉)俳諧の中興といわれる天明俳壇革新の風潮が加古川の
松岡青蘿
(1740〜1791)と、その高弟
栗本玉屑
によって淡路に伝えられ、この地域にも青蘿の門人が少なくなかった。
彼らは淡路にも芭蕉翁の塚(句碑)建立しようと青蘿に相談した。青蘿は白砂青松、風光明媚、松帆の浦の願海寺境内によい地を定めた。当時、慶野松原はこの願海寺あたりまで続いていた。寛政元年(1789年)の4月12日、新緑の風薫るここ願海寺で淡路最初の芭蕉塚が建立開眼された。美しい風雅な鳴門石に刻まれた芭蕉の句が標記の句で、その名も扇塚と付けられた。扇子は芭蕉翁の霊を招くものとして、近江の
義仲寺
の芭蕉像に奉納されている。
松帆の浦という地名は
「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ」と古歌にも歌はれているように人を待つ縁語で、扇子はその人を招く道具であるから、松帆の浦と扇は深いつながりがある。また浦の夕なぎに涼を入れるのも扇である。扇塚と名付けられたこの芭蕉塚は、こうした考えで建立されたものであるが、淡路の芭蕉句碑の中でも最も意義深い文学碑である。なお、扇塚建立に尽力した栗本二世玉屑の句碑は、次の通りである。
涼しさや波一つづつ暮れてゆく 玉屑
西淡町教育委員会
玉屑の句碑
涼しさや波一つづつ暮れてゆく
願海寺
高野山真言宗
の寺である。
平成17年(2005年)1月11日、西淡町は三原郡の他の3町と共に合併して南あわじ市となった。
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