このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
栗本玉屑
青蘿
の門人。栗の本二世。通称は僧観応。別号は無夜庵。13歳の時、江戸に出て
玄武坊
に学ぶ。中頃、京都に住む。
『俳人住所録』
(文政4年)には「
玉屑
米田神宮寺
」とある。
寛政元年(1789年)4月12日、南あわじ市の
願海寺
に扇塚を建立。
ひらひらとあぐる扇や雲の峰
寛政7年(1795年)、江戸を出て奥の細道の旅に出る。
別玉屑
はるの草心さぶさを抱きけり
『成美家集』
寛政9年(1797年)、『青蘿発句集』(玉屑編)。自序。
成美
序。
寛政9年(1797年)、
『霜のはな』
(石人編)刊。玉屑序。
文化5年(1808年)、多賀庵玄蛙を送り、石山寺の旅店に泊まる。
玄蛙叟の東行を送りて石山寺の旅店にとまる
石山や露もたのます飛ほたる
洛
玉屑
『萍日記』
文化12年(1815年)2月17日、人丸山下に
芭蕉の句碑
を再建。
蛸壺やはかなき夢を夏の月
文政3年(1820年)、播州加古川の光念寺住職を務めた。
文政9年(1826年)8月14日、75歳で没。
願海寺に玉屑の句碑がある。
涼しさや波一つづつ暮れてゆく
玉屑の句
花と咲く秋も小草
(をぐさ)
にかるゝ哉
『たびしうゐ』
春の旅草の枕もおぼろ月
『麻刈集』
>
散こゝろいたきて暁の桜かな
『衣更着集』
朝鷹の羽にうちかへす余寒哉
『はなのつと』
初霜やあはれを盡す草の上
『松の炭』
春もはや山風とけてうす霞
『春秋稿』(編次外)
引汐のはてなく霞む海邊かな
『
俳諧
百家仙』
凩や枕にさゆる山の鐘
『霜のはな』
草に木にうこく心の春辺かな
『黒祢宜』
うぐひすの声海山にみどりせり
『さらば笠』
紅葉たく門は日暮て北時雨
『ななしどり』
引汐の果なく霞む海辺かな
『波羅都々美』
此今宵見るにあまりて船の月
『つきよほとけ』
明安き夜を淺澤のかきつばた
『はたけせり』
竹植てありつく寺の男かな
『物の名』
春や行雲たちかへてほとゝぎす
『続草枕』
藝あれバ猿も正月小袖かな
『物見塚記』
子規それぞと見れば山の鐘
『
俳諧
道中双六』
雪あられ子にハをしへな鉢叩
『青かげ』
梅が香の地にしむ時歟啼蛙
『花之跡』
秋のほたる啼はいかなる草の露
『佐夜の月』
淋しさは螢どころのよるの雨
『椎柴』
雨風に空さたまりて飛つはめ
『しをに集』
淋しさやほたる所の夜の雨
『春秋稿』(第八編)
此さとによくも老たり瓜つくり
『五とせ集』
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