このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
これまでの温泉
道後温泉「ふなや」
今日は、道後温泉
「ふなや」
(HP)のお風呂に日帰り入浴することにする。
寛永4年(1627年)頃、「ふなや」創業。
「ふなや」の玄関横に
夏目漱石の句碑
があった。
はじめてのふなや泊りをしぐれけ里
明治28年(1895年)4月、
夏目漱石
は松山中学の教師として赴任した。
日帰り入浴は1,000円。
本館から「もみじ橋」を渡り、南館にある大浴場へ。
亭ところどころ渓に橋ある紅葉哉
明治28年(1895年)、正岡子規 は病気療養のために松山に帰郷、夏目漱石の下宿
愚陀佛庵
に同居した。
明治28年(1895年)10月6日、子規が漱石と散策の折に花月亭(現在の「ふなや」詠風庭)で詠んだ句である。
明治29年(1896年)4月、夏目漱石は熊本の
第五高等校
に赴任。
大浴場には2つの露天風呂がある。
源泉名は道後温泉。
泉質はアルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性高温泉)。泉温46.0℃。pH9.0。
詠風庭から本館を見上げる。
昭和6年(1931年)11月2日、
与謝野鉄幹・晶子
夫妻が「ふなや」に宿泊している。
昭和12年(1937年)7月、
富安風生
は道後温泉「ふなや」に泊まっている。
道後温泉鮒屋
予の国に古りたる温泉宿凌霄花
『松籟』
詠風庭に
種田山頭火の句碑
ある。
朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし
漂泊の俳人、
種田山頭火
は昭和14年10月1日、遂に念願の四国遍路を果たし松山に着き、御幸寺山の麓に
一草庵
を結んだ。
流浪の疲れた身と魂を静かに休めるべきところを松山に求め御幸寺山のみどり、道後温泉の湯、石手川の水、そして山の辺りの花咲く里は山頭火の晩年を美しくするには充分であった。
この句は道後温泉で詠んだもので山頭火の直筆である。山頭火はふなや庭園の鴉渓をよく散策し、大正3年10月、彼の師
荻原井泉水
がこのふなやに宿している。「大きく落着いた感じのする宿である」と記している。
そんな縁で平成7年7月21日句碑を建立。
裏面の「ほんにあたゝかく人も旅もお正月」の句は道後周辺で詠んだ句である。
揮毫 高橋正治 文責
高橋正治は高橋一洵の子息。
「ふなや」の裏門
昭和18年(1943年)3月26日、
高浜虚子
は松山に帰郷、「ふなや」に泊まる。
昭和27年(1952年)5月、
富安風生
は道後温泉「ふなや」に泊まる。
この宿尓汝もあ万え鳴く雨蛙
『晩涼』
観月庵句碑庭園
に句碑がある。
昭和27年(1952年)5月25日、
水原秋桜子
は「鮒屋」に泊まっている。
夜更けて道後温泉鮒屋着
巨き犬立ち迎へたる五月闇
『残鐘』
吉野義子の句碑
甕にあれば甕のかたちに春の水
in the jar here jar-shaped water springtime water
昭和54年(1979年)1月、『星』創刊、主宰。
平成11年(1999年)4月、『星』20周年記念に建立。
昭和46年(1971年)、
水原秋桜子
は再び「ふなや」泊まっている。
道後、ふなや 二句
雨後の川濁りてあらふ庭躑躅
紫陽花と茅葺の門を残しけり
『緑雲』
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