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故郷の味「本格焼酎」 蔵元さんと飲んみろ会'06
今年も、都城盆地に梅雨明けを告げるイベント“故郷の味「本格焼酎」蔵元さんと飲んみろ会”が開催されたのです。私。昨年は色々とあって参加を見送ったのですが、ここは地元の強み(爆)。しっかりと5月の連休前に予約をしまして、会場の ホテル中山荘 の2階への階段を上ったのです。えっへん。

この会。JR西都城駅前の宮崎焼酎の殿堂“ さいしょ酒店 ”さんと地元ノンべぇ有志の会(って、こんな表現でごめんなさい)“
都城酒味倶楽部”の主催で開催されておりまして、もう7回目。当初60〜70人だった参加者も今年は200人を超えたのですって。うん、素直にすごい!

私の隣は曽於市の方でしたが、県外の方も大勢来られているようだ。焼酎はもはや市民権を得た・・・って、ホントですね。
で、定刻の18時30分。都城酒味倶楽部の方の挨拶と共に、開催となった。まずは、さいしょ酒店の税所隆史さんのご挨拶。そして、参加される蔵元さんから一言ずつ各蔵の紹介がある。参加蔵元については次の通り。

沖縄県からは“宮里酒造所”。鹿児島県は“ 大海酒造 ”と“西酒造”の2場。そして我らが宮崎県勢は地元都城の“ 柳田酒造 ”を筆頭に、諸塚の“藤本本店”、高鍋の“ 黒木本店 ”、西都は“岩倉酒造場”、国富の“川越酒造場”、田野の“渡邊酒造場”、日南からは“ 古澤醸造 ”と“小玉醸造”、そして串間市の“松露酒造”の9場。

いやはや。これは豪華ですぞ。各蔵1〜2銘柄の焼酎が卓上へ用意されていて、しかも事前に仕込み水で前割りした焼酎を千代香であっためて飲むことができるのだ。
その前に、“宮崎のしょちゅくれ”という焼酎本でも知られる田代クリニックの田代学先生が講演をされた。『とあるバーでのよもやま話』という題であったが、いつしか話題は『明治以降の清酒と焼酎製造量の変遷』ってな方向へ・・・。

都城にかつて清酒蔵“江夏酒造”(“狭野の杉”って言う銘柄だったそうだ)があったというのもビクーリであったが、かつて、宮崎県では酒造所の生産量としては焼酎よりも清酒の方が多かった時代があるそうだ。明治32年に国策から焼酎製造が免許制となるとそれも逆転する。要は自分の家でみんな飲む分を作っていたというわけ。「あまり長く話しすぎると・・・。」と先生は話を区切られたが、興味深い内容だった。
乾杯の音頭と共に、皆さん。一斉に(これまた恒例)蔵の仕込み水をコップに注いで、一気に飲み干す。楽しいイベントの始まりなのだった。

私も早速、横に座られていた松露酒造の矢野専務に“ 黒麹仕込み 松露 ”を注いで頂いた。初めて伺ったが、これ。赤芋仕込みなのだそうだ。

ウン!美味い!
目の前にあるこの豆腐。

アナウンスによれば、藤本本店のお母さん手作りの豆腐なのだという。

弾力があって、とても甘い。そして、なにより美しいのだ。醤油を付けなくても十分なくらいに美味かった。
矢野専務とはこれまた何故か、汚水処理施設の運転管理という妙な方向の話で盛り上がってしまったのだった(同じテーブルに座っていた農家の方に、私がそっちの方に関係している人間とバレバレだった)。想像するに、焼酎と同じように細やかなメンテナンスをされているのだろう。処理水の性状も非常に良く、BODは基準を大きく下回るというとても立派な運転をされているのだとか。今度、是非とも見せてください(爆)。
さて、ふらりと立ち上がってコップ片手に会場を散策するといたしませう(爆)。

前列の方に宮里酒造の宮里徹さんがいらっしゃった。ちょうど、川越酒造場の川越雅博さんとご歓談中であったので、代表銘柄を手に取って頂いてパチリ。
お二方とも、手酌の波状攻撃に真摯に対応されていたが、こういう風に作り手と膝をつつき合わせて飲むって言うのは良いもんですね。一気に距離感が縮まります。

勝手な妄想であるが、川越さんもどこか力が抜けて、良いお兄ちゃんだなぁ・・・という印象を持った。雑誌でも親子そろって仕込みに励む姿がご紹介されているが、蔵も世代交代が進んでいるためなのだろう。宮里さんには「一度見に来てください。」と言われてしまったのだが、行きたい。だが、琉球弧の島々は遠い。妙なジレンマに陥ってしまった。ここは得意の錬金術で・・・。
こちらは宮崎の焼酎蔵のtopを走っていると言っても過言ではない黒木本店の黒木敏之さん

以前、 宮日フォーラム の際にご挨拶をさせて頂いたのだが、その時以来。

前の職場ではよく蔵の前や裏を通っていたこともあり、同じ児湯郡の川南町の蔵“ 都乃泉 ”と同じく、妙な親近感を覚えてしまったりするのである。

ぎゅーっと握手をして頂いたのだが、その力に熱い人なのだな・・・というのがひしひしと伝わって来る。

せっかくなので、尾鈴山蒸留所の“
尾鈴山 山ねこ”を持って頂いたのだが、手酌攻撃が激しく、あまりお話をできなかったのが残念であった。
会場のほぼ中央に座っていらっしゃったのは藤本本店の藤本一喜さん。お会いしたのは、同じ諸塚村の 川崎醸造 を見学させて頂いた後に、蔵のある七つ山地区を訪問させて頂いた以来だ。

一喜さんとお話しされていた方がこの蔵を囲む風景を聞いて、ため息をつかれていたが、実際に、蔵の下を流れる川は透き通った水色で、川底には白い砂がきらきら光る。ため息が出るのには心から理解ができる。

近頃、蒸留器を替えられたそうで、手にされている“藤の露”もちょっと風味が変わったという。

飲んでみたが、なるほど。厚ぼったさが抜けて、より洗練された感じだ。
TJJP氏こと杜氏潤平氏。手には麦焼酎“潤の醇”を持って頂きました。

同蔵の某従業員(爆)の証言によりますれば、充実した結婚生活、お父さん業を全うされているそうでございます(独身の某氏は「うらやましい・・・。」と羨望のまなざしでございました)。

杜氏潤平 華とり”、“潤の醇”を戴きましたが、いずれも心から美味かったです。

また、造りの季節にお伺いしたいニャァ・・・と思いました。
会場の最前列で口を尖らせておいでなのは渡邊酒造場の幸一朗専務。

「はいっ!!」って今年の“ 旭 万年星 ”を生でコップ一杯注いで頂いたのだが、これがいかんやった(これについては、後で顛末を書きます)。

いかんやったのだが、万年星はやはり美味かった。

専務も県内外の方々に囲まれて、お忙しそうやったです。ご本人のご性格そのままに、惜しげもなく“
旭 万年星”の1升瓶を振り回しておいででした(爆)。
この会限定の仮称“青鹿毛(“ 赤鹿毛 ”の常圧蒸留ヴァージョン)”を手に盛り上がっている一団。左端は柳田正さんでございます。

真ん中と右側の方は関西の焼鳥屋さん“播鳥(ばんちょう)”を経営されている方だそうで、はるばるこの西南の地まで、“宮崎地頭鶏(みやざきじとっこ)”を訪ねてやって来られたと言うことだった。

この仮称“
青鹿毛”。前回飲ませていただいたときにはちょっととんがった部分もあったと記憶しているが、今回はまろやかに麦の香ばしさを感じることができた。“ ”、“ 赤鹿毛 ”と麦焼酎を専ら醸す同蔵ならではの芸当と言えはしないだろうか。

ここまで、参加された蔵元さんたちの様子を紹介した。もっと、参加した方々の表情を・・・と思ったのだが、ちょっと申し訳ない。作り手の背後に写り込んでいる様子で、それも勘弁してはくれないだろうか。会場はとても騒がしく、とても楽しそうな空気が渦巻いておりました。

・・・と、我が記憶はここで唐突に途切れるのであった。閉会前の抽選大会が催されているのはおぼろげに覚えているのだが、会場は後かたづけの最中。気が付くと、眼鏡を無くしていたことに気付いた。いや、ちゃんと見つけたけど。

後で聞くと、偉いな醜態だったとかいうが・・・。

う〜む。雰囲気の飲まれてしまったと言えば聞こえが良いが、反省、反省。



最後になりましたが、小玉醸造の工藤さん。約束通り、top画像に御姿持ってきました。ふふふ・・・。
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(06.06.23)

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