このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

183系1000番台による上野〜上越線経由〜新潟間の特急「とき」の運転開始は、食堂車非連結やほとんど倒れないリクライニングシートなど批判が多かったとされています。 しかしあまりにも老朽化した181系に比べると断然改善された、とみて良いと思います。

そんな中同種の車両を使っていたのが信越本線の特急「あさま」でした。 上野と長野・直江津を高崎・信越本線経由で結ぶのがこの列車の役目でしたが、途中に待ち構える碓氷峠がネックだったのです。 最大斜度66.7‰という国内屈指(但しケーブルカーは除く)の勾配区間であり、補機(補助機関車)であるEF63の助け無しには上り下りすることができませんでした。 当時の「あさま」はこの碓氷峠を含む横川〜軽井沢間では自発的にはモーターを回さず、貨車としてそのEF63の力だけでこの区間を走行していました。 当然ながら機関車にも出力の限界があり、従って「あさま」に用いられていた181系については「8両」が限界でした。

その頃の各地の特急電車を見てみますと概ね10両以上で運転されており、急行列車でも10両を超えるものはざらでした。 先の「とき」も例外ではなく12両もの車両を連ねて活躍しており、全国的に見ても「あさま」の輸送力の少なさは問題でした。

この輸送力改善のために製作された車両が「189系」です。 これは以前に登場している交直両用の特急型車両「489系」の直流版と言って差し支えないでしょう。 489系はこの碓氷峠を長編成で越えるため、EF63と協調運転ができるような工夫が施されています。 これにより貨車ではなく電車として同区間を越え、12両編成と実に181系の1.5倍の輸送力を持っていました。 この成功を取り入れた183系1000番台…それが189系です。

189系保存車
2008年10月 碓氷鉄道文化村にて
彩野と同形式の保存車輌です。

189系は183系1000番台同様の設備でやはり食堂車は非連結、リクライニングシートもほとんど倒れませんでしたがその圧倒的な輸送力により成功したと言えるでしょう。 新製車のほか他系列からの改造編入車も加わり最大で180両ほどが運用されました。 また新宿〜松本間を中央本線経由で結ぶ特急「あずさ」にも共通運用され、こちらでも使われていた181系を追い出すこととなりました。 その後上越新幹線開業に伴う特急「とき」の廃止により余った183系1000番台が「あずさ」に転用され、「あずさ」と「あさま」の運用が分けられることになりました。

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