このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2010年に入ってからも彩野の活躍は続きましたが、やはり30年以上も使用しているため新型車両に置き換えられることになりました。

2010年の暮に後継となる253系1000番台が登場。東武線内も含めて試運転が始まりました。 その間も今までと変わらず東武線直通特急の運行は続きます。 2011年に入るとほとんどがきぬがわ号として運転されるようになり、東武日光へは顔をほとんど出さなくなりました。

3月に入り、引継ぎ後を意識してか号数が3桁に。今まで80〜90番台を使っていたのですが特に大きな変化ではありません。 また同時に鬼怒川線への入線を終了。以降は東武日光発着の臨時日光号として運用されます。

そんな中3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生。計画停電などもあり東武線〜JR線直通特急は当分の間運休となりました。 臨時列車だけでなく定期の直通特急列車、さらには東武線浅草発着の線内特急まで減便されていますから無理も無い話です。 これにより3月に予定されていた189系彩野による臨時列車は以降すべて運休となりました。 そのため彩野の東武線直通運用は呆気なく終わってしまったのでした。

地震後は出番が無いため、485系きぬがわ編成と共に東大宮車輌センターにずっと留置されていました。 253系1000番台の運用開始日だった4月16日をも過ぎてしまいました。 ゴールデンウィークの初日・4月29日よりようやく直通運転が再開。このときの車輌は485系でした。 以後しばらくは今度は253系1000番台と共に、東大宮車輌センターにずっと留置されていました。

節電の影響はあるものの、ほぼ平穏を取り戻したと言うことで引継ぎ日が6月4日に再設定されました。 ゴールデンウィークより定期列車に限りずっと運転されてきたきぬがわ編成もここでバトンタッチです。 それまでの間、彩野による代走は一度もありませんでした。

そして交代から一ヶ月も経たない6月27日、長野総合車両センターへ向けて回送されました。 経由は「あさま」時代に走った高崎線(〜上越・信越線)経由ではなく、「あずさ」時代に走った(武蔵野線〜)中央線経由でした。 特にさよなら運転も無かったからでしょうか、回送列車にもかかわらず専用の幕が用意されました。 この幕は前面が「あずさ」・背面が「あさま」のイラスト入りヘッドマークを模したものでした。 側面は国鉄・旧あずさ・新あずさ・あさま・前彩野・そして現在の彩野をイメージしたもののようです。

長野総合車両センターに到着後他の車両と共に編成の状態で留置されていましたが、8月末に部分解体(部品取)が始まりました。 何度かの入れ替えを経た後9月に入ってついに編成が解かれました。

そして10月。15日の長野総合車両センターの一般公開でも展示はされず、留置の状態が続いていました。 しかし翌週の20日にとうとう解体が始まり、25日にはそれも完了した模様で、189系登場から36年、「彩野」と呼ばれてから8年の活躍に終止符を打ちました。

長野への回送〜留置〜解体の流れはH-NAGA氏のブログ「 BCL/DXing 鉄道 写真 音楽 趣味悠々 」 より引用させていただきました。

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