このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

彩野が大宮総合車両センターへ入場して1ヶ月ほど経った2006年2月中旬、突如として東武優等色の車両が姿を見せました。 車番はクハ189-511。…そうです、彩野の6号車です。 なんと彩野はその東武線直通特急用の車両へと改造されたのです。 恐らくは誰もが予想できなかったに違いありません。 2月21日に6両全車が出場。小山車両センターZ45編成の表示のまま試運転が始まりました。 先に登場している485系きぬがわ編成とは異なり、前面に電動幕を装備。 また前照灯もきぬがわのようにHIDではなく、189系本来のものをそのまま利用しています。 JR線に続いて東武線内でも試運転が始まり、予定では入線しない東武伊勢崎線北春日部駅まで走行しました。 この際、初めて「日光 NIKKO」の幕を掲出した模様です。 そしてダイヤ改正の日・JR線⇔東武線直通特急運転開始当日の3月18日付けで大宮支社小山車両センターから大宮支社大宮総合車両センター車輌科東大宮車輌センターに転属。 編成番号もOM201となりました。

直通運転開始後しばらくは彩野の出番はありませんでした。 そのため東武線直通仕様のOM201編成となってから初めての客扱いは、5月3日の高崎→青堀間の団体専用列車でした。 一般の乗客が利用できる最初の列車も直通特急ではなく、5月13日の「ホリデー快速河口湖3号(大宮→河口湖)」でした。

直通特急としての最初の出番は突如として訪れました。それも平日の5月29日です。 485系きぬがわ編成に不具合があったらしく、東武鉄道から100系「スペーシア」を借りる暇もなかったようで、予備の予備に出番が回ってきたわけです。 しかし当の彩野もあまり調子が良くなかったらしく、側面の幕がややずれた状態での走行となりました。 前日の5月28日に運転された臨時快速「那須散策号」でもその状態が確認されています。 また通常、特急列車は座席の上部に白色系のカバーが付いているのですが、本当に急遽だったためか装着せずに走行しました。

この特急運用の代走は8月9日にも見られましたが、週末はもっぱら「ホリデー快速河口湖3・4号」として走っていたため、東武線内で目撃するのは非常に難しい状況でした。 確かに塗色は東武線仕様ですがその出番はなく、平日は車庫(東大宮操)にいることが多かったため「影武者」と呼ばれることもありました。本来の影武者の意味とは異なるのですが…。 この快速運用は10月頃まで続き、その合間を縫って団体専用列車にも順当されました。

そんな彩野に晴れの舞台が用意されました。秋の紅葉シーズンに合わせて東武線直通特急が増発されることになったのです。 増発自体は10月から行われていましたが全て東武100系での運転で、189系「彩野」での運転はわずか4日間となりました。 しかし特急運用ということもあり、上に記したような代走の少なさから多数のファンが詰めかけていました。 その後は代走が二度、臨時快速も二度ありましたが他は団体専用列車として運用され、彩野は初年度を終えました。

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