このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

 チェコからドイツへ向かう。メインルートではなく国境を挟んで隣り合う小さな街を、これまた小さな列車が結んでいるらしい。時刻表を追って発見したルートだが、これは魅力的なルートだ。行けば何とかなるだろう。そんなノリで、部屋に鍵を置いたままホテルを出る。昨日、「明日のチェックアウトが早い」と、フロントのきれいなお姉さんに尋ねたら、そうしておいてくれと言われたのだった。


■5月23日 プラハ→ツィッタウ(ドイツ)


 トラムに乗って早朝のプラハ本駅に着いたのは、乗車する列車の出る30分前程だった。乗車前に朝食の調達。出発コンコースの売店でチキンがメインのサンドイッチとミネラルウォーターを指差しで買う。これで朝食は確保。安心したところでホームに向かおうとしたら、困ったことが発生した。出発列車の表示に自分が乗車する列車の行先と時刻は表示されているものの、発車番線は「まだ」出ていなかったのだ。ドイツやスイス(もちろん日本も)のように、発着番線が「あらかじめ」決められている鉄道に慣れきってしまうとこんな不意打ちに出くわす。発車9分前。ようやく7番線と表示された。それを見た旅客が一斉に移動を始める。待っていたのは私だけではなかったのだ。ホームへの連絡通路は、キャスターのゴロゴロという音が大合唱となり、7番ホームの階段になだれ込む。私の乗る列車はまだ入線していなかった。さて、どんな列車が入線してくるか、できれば味のある古い車両をと期待したが、反して新型のエンジ色の気動車が2両の客車を従えて入ってきた。顔の写真を撮ってから乗り込む。車内には4人掛けのボックスシートが並ぶ。一人ワンボックス程度の乗車。進行方向左側のボックスを陣取った。


 7:15。プラハ本駅を発車。昨日から雨は降らないが、スッキリしない天気のままプラハを後にする。駅で買ったサンドイッチを頬張りながら、その車窓を眺める。春の車窓なら、きれいな花畑でもあってよさそうだが、残念ながら飛び込んでこない。発見した事といえば、線路脇にある標識の類はドイツに準じているということくらいだ。車掌が検札にやってきた。リベレツまでの切符を見せると、「トゥルノフ、チェンジ。」と案内された。列車はこまめに停車すると思いきや、たまに通過することもある。列車種別は「R」で、日本の快速列車の扱いである。各駅には昔ながらの信号小屋があり、その高い窓から信号係が列車を見送っている。信号機は腕木信号機。ドイツ辺りでは自動化によって信号小屋が無人となり、無残な廃墟と化しているところが増えてきたが、この路線ではまだまだ人が列車の進路を大きな「てこ」を返してつくっているようである。

 

プラハ本駅の駅名標プラハから乗ったディーゼルカー


 プラハから2時間。乗換駅のトゥルノフ(trunov)に到着。間もなく乗り換えるリベレツ行が同じホームの向かい側に入る。乗ってきたのと同じようなエンジ色のディーゼル3両編成だ。列車に乗り込む。車内は空いていた。ホームにはリアカーのような荷車を、帽子を被った駅員が押している。荷台には何も載っていなかった。


 9:21。定刻にトゥルノフを発車。発車する時、車内放送で蒸気機関車の気笛が流れ、その後、自動放送で駅名を告げる。ワンマン運転なのだろうか。約30分で終点リベレツに到着。低いホームに降りる。次の列車は50分後。駅前に出る。ほどほどに車が行き交い、トラムも走る。さて、この駅でチェコともお別れである。それから、この先の切符もまだ持っていない。これから乗る列車は時刻表に「切符は車内で。」と注釈のあった列車。一応、窓口で尋ねてみると、やはり「切符は車内で。」とドイツ語で返された。ホームに向かおうとするが、発車表示盤に列車の表示はあってもやはり発車番線が出ていない。時間はあったので仕方なく他のホームで写真を撮ったりして時間を潰す。と、そのとき、本当に片隅という言葉が似合うホームの先端に、濃い青色のレールバスが1両停車しているのが見えた。これだ。と思い、そのホームへ向かう。小さな発車表示には「Seifhennersdorf」と、ドイツの街の地名が出ていた。車両に近づく。鼻に3本のラッパを垂らした丸顔がユーモラスなこのレールバス。けばけばしい青で化粧はしているが、ドイツ製の随分と古い車両であることが分かる。車内ではすでに30名ほどの乗客が発車を待っていた。空席に荷物を置き、巡回してきた赤いトレーナーの女性車掌から切符を買う。「ツィッタウ」まで40コルナ(約230円)だった。
 

リベレツ駅の構内社会主義時代の風情が色濃く残る


 10:50。リベレツを発車。これから国境を越えるなんて微塵も感じさせないローカル列車である。チェコからドイツまで、たった230円の旅。シェンゲン協定が実施されたばかりで、半年前までは検問があったはずである。あとで調べて分かったが、この区間の途中2キロ程、ポーランドの領内を走っていた。たった230円区間で、チェコ、ポーランド、ドイツと、3ヶ国をまたぐ。少しだけポーランドに入ることなど、乗車したときは知らなかったので、チェコからポーランドの国境を感じさせるものは、何も見つけられなかった。

 

国境越えの列車なかなか繁盛している?

 

 列車はナイセ川に掛かる石橋を渡る。随分高いところを走る。川原に杭のようなものが立っていたが、国境を示すものかどうかは分からない。しかし、川を渡ったところにあるラウベ(別荘小屋)にドイツ国旗が立っているのを見て、ドイツに入ったことは分かった。ツィッタウは目の前のはずである。が、まもなく到着というところで列車は停止。そのまま5分ほど経過するが動かない。ツィッタウの到着時刻は過ぎていく。駅構内手前での停車はよくあることなので、特に焦りもせず、窓の外を見ていると、眼下の線路をこれから乗るツィッタウ狭軌鉄道の列車が走り抜けていくのが見えた。「たぶんこれだ。」事前に標準軌の本線と、ナローのツィッタウ狭軌鉄道が平面で交差している場所があると調べて知っていたが、その通過待ちをしていたに違いない。しばらくすると、列車は動き出す。予感的中。すぐにナローの線路を横切った。


 10分ほど遅れてツィッタウ着。ここから今日のメインイベント、ツィッタウ狭軌鉄道の蒸気機関車に乗る。発車時刻まで時間があったので、インビスで茹でたソーセージを挟んだドイツパンを頬張った。

 

 

NEXT● PART3 ドイツ蒸気機関車の旅

 

 

PART1 プラハとアルフォンス・ミュシャ

PART2 プラハからツィッタウへ

PART3 ドイツ蒸気機関車の旅

PART4 国際寝台列車のホントの話

PART5 ポーランドの街と蒸気機関車

PART6 クヴェトリンブルク発、蒸気機関車の旅

 

EURO EXPRESS    2008 東欧・ドイツ旅行記

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