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 ダルムシュタットの蒸気機関車祭りを堪能した日の夜、夜行列車でポーランドへ向かう。ポーランド? 一体何の目的で? ポーランドで私を待つものの話しは後にして、この旅で一番のトラブルと、一番の驚きに遭遇した国、ポーランド。アウシュビッツの悲劇だけではないこの国の事をもっと知ろうと思った。


■5月24日 フランクフルト南駅


 フランクフルト南駅の夜は暗く静かだった。中央駅は不夜城の如く、ネオンが輝き、何本もの列車がひっきりなしに発着している、はずだ。その中央駅からわずか10分ほどのこの南駅で列車を待つ。何のことは無い、線路配置の関係でこれから乗る列車は中央駅を通らないので、この寂しい南駅で十数人の旅客とその列車を待っていた。ホームの案内板を見ると、どうもこの列車は行先が3方向の「3階建て列車」のようで、前からチェコのプラハ行、デンマークのコペンハーゲン行、そして私の乗るロシアの「モスクワ行」の順になっているらしい。

 

ダルムシュタットを出る頃は夕闇ポズナンまでの寝台券(クシェット)


 22:19発の列車は定刻にフランクフルト南駅に滑り込んできた。スイスのバーセル発の列車だが、遅れも無く現われた事に安心したが、その安心は1分後、もろくも崩れ去る。前からプラハ行、コペンハーゲン行、そして私の乗る「モスクワ行」…が連結されていないのである! 慌てる私と同じ行き先と思しき旅客が右往左往する。この列車は私をポーランドへ運ぶと同時に大切な宿でもある。これには困った。乗るべきなのか、しかし乗ったら全く別の国へ連れられて行ってしまう。乗らなければこの夜中に宿を探す羽目になる。一体どうすればよいのだ!? コペンハーゲン行のドアから顔を出していた女性車掌に私の行先「ポズナン!?」と叫ぶが通じない、それなら「ワルシャワ!?」と言い直す。すると「前の方へ行け!」と言われる。言われるがままに前の方を目指す。走っているのは私だけではない。発車時刻は迫る。10両ほど走っただろうか、10ということは1両25mあるヨーロッパの客車の長さからすれば250mという事になる。大きなスーツケースを引きずっての全力疾走はさすがに息が切れる。前の方の車両で待っていた男性車掌にもう一度「ワルシャワ?」と尋ねると、とにかく乗れという。サボはコペンハーゲン行になっている。他にも何人かが車掌に詰め寄り、混乱の中、フランクフルト南駅を発車。2〜3分の遅発だった。さて、発車してしまったものはどうしようもない。一体何処へ連れて行かれるのか。まさかデンマークはないだろう。一息ついたところで男性車掌の引率で、ワルシャワ方面へ向かうという中年男性と共に別の車両のコンパートメントに案内された。男性車掌が言うには、これから1時間後に停まるフルダの駅でワルシャワ行きが待っているので乗換えて欲しいということだった。明日の朝のポズナン着は7時半なので、すぐにでも寝たいと思っていたのだが、これはこの先、スケジュールと身体がキツそうだな。と、そのときは思った。


 1時間ちょっとでフルダに到着。半信半疑だったが、反対側のホームにはワルシャワ行きがちゃんと待っていた。指定された車両のコンパートメントへ行くと、6人用クシェット(簡易寝台、日本のB寝台のよう)に6人が一気になだれ込んだため、押し合い、圧し合いになった。先に来ていた若い女性二人組がまず先に入る。とにかく皆、荷物は大荷物。ベッド上の荷棚と、下段のベッド下のわずかなスペースに押し込む。それが終わらないと次が入れない。次に上段の中年女性がベッド登り、その後私も続く。貴重品の入ったバッグは上に上げ、大きなスーツケースはベッド下。下段の男性二人も何とか納まり、ようやく落ち着いた頃には、とっくに列車は走り出していた。車掌はすぐに回ってきたので切符を提示する。が、パスポートを預ける事は無かった。ポーランドともシェンゲン条約が締結されたため、EU内のパスポートチェックは省略されている。ヨーロッパの国際夜行列車では車掌にパスポートを預けることは風物詩のようなものであったが、これもまた時代の流れか、消えていくのであろうか。もっとも、こういう合理化ではなく、平和的な理由であるなら歓迎する。こちらも面倒や不安がひとつ消える。


 さて、ベッドに収まってしまえば、もはややることは無い。コンパートメントの照明は上段の女性の合図で消され、あっという間に皆、眠りにつく。



■5月25日 モスクワ行車内


 カーテンから漏れる光で目が覚めた。時計と見ると5:30。ちょっと早く起き過ぎた。コンパートメントは眠りの中だった。列車は停まっている。長い停車だ。トイレに行くため、他の住民に気を遣いながら上段の寝台から降りる。ドアを開けようとするとキーチェーンが掛かっている。ゴソゴソしていたので起こしてしまったかもしれない。用足しした後、デッキのドアから外を見る。定刻ではもうポーランドの中を走っているはずだが、まだ多少、遅れていることは覚悟していた。ドイツ風のホーム。まだドイツ国内のようだ。そして、目に飛び込んできた駅名標にはこう書いてあった。「ハノーファー」。ハノーファー? ポーランド国内どころか、まだドイツのド真ん中ではないか! 駅名標を見間違えたのではないかともう一度駅名標を見るが、やはり「Hannover」である。フルダから5時間。まだ200kmちょっとしか走っていない。この調子でいつポーランドに入るのか、見当も付かない。目的地はまだ400km以上も先だ。かといって何が出来るわけでもない。じっと耐えてこの列車に乗っているほかは無いのだ。ベッドに戻って無理やりに寝る。列車は静かに動き出すが、カーテンの隙間からで車窓も満足に観られない。ちょっと走っては長時間停車、ちょっと走っては…を繰り返す。なぜか動いているときは眠り、停車すると起きる。カーテンの隙間からのインフォメーションは限られている。


 8:30、黄土色のレンガの壁が見える。見覚えのある年表のレリーフが壁にあった。ベルリン東駅に違いない。コンパートメントは静かだったが、皆、タヌキ寝入りだろう。また走り出したところで洗面にベッドを降りる。戻ってきたらコンパートメントの面々は起きていた。20代位の女性が服の下に隠したパスポートがあるか確認している。セキュリティーの意識はリュックのポケットに入れっぱなしの私より高い。ちょっと反省した。


 10:05、フランクフルト・オーダー。やっと国境の駅に来た。先頭は旧東ドイツで活躍していた無骨なスタイルのディーゼル機関車。エンジン音が勇ましく、タイガドラムと呼ばれている。フランクフルト・オーダーを出るとすぐ、オーダー川を渡り、いよいよポーランドに入る。パスポートチェックも何も無いが、初めての国に入った緊張が走る。もっとも、2日前にチェコからドイツへ入るとき、一瞬ポーランドを踏んだが、それは帰国後知ったことである。


 10:40、ゼパンに着く。ここでまた機関車交換。ホームに降りる。初めてポーランドに降り立った。他の乗客もホームに降りて伸びをする。抜けるような青空。ホームの片隅には蒸気機関車が保存されていて嬉しくなる。その機関車を撮っていたら、なぜか犬に吠えられる。しばらくすると紫色をした交代の機関車が客車を1両従えてやってきた。モスクワ行の寝台車の前に連結されたのは食堂車だった。

 

 

モスクワ行きの行先表示ゼバンでひと休み


 ゼパンを発車し、列車は飛ばす。150〜60km/hは出ているようだ。こんなところでがんばったって、もう4時間も遅れているのだが。白樺の林に馬が1匹たたずんでこちらを見ている。演出されたようなワンシーンが、突然、車窓に映し出される。だから車窓から目が離せない。コンパートメントは寝台から座席になり、見知らぬ者同士の会話が弾んでいる。言葉は英語でもドイツ語でもなかったので、どうもポーランド語のようだ。そこには参戦できなかったが、上段に居た中年の女性は英語が話せて、「4時間も遅れて参ったね。」と顔を見合わせた。


 そんな夜行列車の一夜も、ようやく終わりが近づいた。車内放送はポズナン到着の放送を始めると、コンパートメントの面々は皆、降りる準備を始める。皆、ここポズナンで下車するのだった。12:07、定刻より4時間30分遅れて、ポズナン中央駅に到着した。少し大げさなホームの屋根にぶら下がる表示盤には、「240分遅れ」と出ていた。しかし、この列車の行程はまだ半分ほどのはずである。終点、モスクワには一体、どれくらいの遅れで到着するのだろうか。などということは全く考えることも無く、空っぽの腹を抱えてカフェに向かった。

 

定刻は7:49。現在の時刻は…遅れていても引継ぎはのんびり…

 

 

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PART1 プラハとアルフォンス・ミュシャ

PART2 プラハからツィッタウへ

PART3 ドイツ蒸気機関車の旅

PART4 国際寝台列車のホントの話

PART5 ポーランドの街と蒸気機関車

PART6 クヴェトリンブルク発、蒸気機関車の旅

 

EURO EXPRESS    2008 東欧・ドイツ旅行記

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