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世界遺産
〜古都京都の文化財〜


世界遺産とは1972年の第17回ユネスコ総会にて採択された「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(通称「世界遺産条約」)」に基づき、世界遺産委員会の選考の上で「世界遺産リスト」に掲載・登録されたものを指します。
世界遺産には文化遺産・自然遺産・複合遺産の3種類があり、その締結国は191ヶ国(2014年12月現在)。日本は1992年に締結を受諾しています。

1994年12月17日タイのプーケット市で開催された第18回世界遺産委員会において、「古都京都の文化財」として登録された地域の対象は延暦13年(794)につくられた平安京とその近郊。現在の京都府京都市・京都府宇治市・滋賀県大津市がこれにあたり、歴史上・芸術上価値が高く日本の文化を代表する特に重要な文化財として文化財保護法により指定されている国宝建造物または特別名勝庭園を有し、かつ周辺の風致景観を含めた保護状況にも優れていると承認された17社寺を示しています。

社寺簡単ガイドももか的ガイド 永代の京
高山寺
こうざん
京都市右京区梅ヶ畑栂ノ尾町
774年創建、1206年に明恵上人が中興し名を高山寺と改称。中世に至り戦乱の為に荒廃し1634年に再興。紅葉の名所としても知られ、後鳥羽上皇の別院から移された石水院(国宝)や鳥羽僧正作の「鳥獣戯画」(国宝)が有名。未踏
天龍寺
てんりゅうじ
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
1255年に造営された離宮を1339年に禅寺に改めたもの。度々の戦乱によって主要伽藍は焼失したものの庭園は当時の面影を伝えている。 永代の京・右京区
仁和寺
にんなじ
京都市右京区御室大内
888年に光孝天皇が発願により宇多天皇が建立。門跡寺院の筆頭で「御室御所」とも呼ばれる。応仁の乱により大伽藍は焼失。その後江戸時代に再興。観音堂の手前には「お多福桜」との異名を持つ御室桜が咲く。 永代の京・右京区
龍安寺
りょうあんじ
京都市右京区龍安寺御陵ノ下町
元は貴族の別荘で1450年に細川勝元が妙心寺の義天玄承を開祖とし創建。石庭は15世紀中期には造園されていたと考えられ、徳島産の5群15個の石組を配置。 永代の京・右京区
賀茂御祖神社(下鴨神社)
かもみおやじんじゃ(しもがもじんじゃ)
京都市左京区下鴨泉川町
創建年代は不明。平安遷都以降は国家鎮護の社として存在。以降14世紀始めまでは式年造替が行われていたものの応仁・文明の乱により焼失。その後の復興により現在に至る。 永代の京・左京区
慈照寺(銀閣寺
じしょうじ(ぎんかくじ)
京都市左京区銀閣寺町
1482年に足利義政が東山山麓に造営した別荘を彼の死後に禅寺に改めたもの。西芳寺をモデルに作られ、一時は荒廃したものの江戸時代に復興。東求堂・銀閣ともに国宝。 永代の京・左京区
西芳寺(苔寺)
さいほうじ(こけでら)
京都市西京区松尾神ヶ谷町
天平年間に行基によって開かれたと伝えられ1339年に夢窓疎石が禅宗寺院として復興。1469年の兵火により建物は焼失。しかし庭園は残り、名庭園として現在に伝えられている。(拝観は申し込み制)未踏
教王護国寺(東寺)
きょうおうごこくじ(とうじ) 
京都市南区九条町
794年に平安京造営に際して国家鎮護の為に建立。羅城門の東西に造営された官寺の1つとして東寺の異称で知られる。後に空海に下賜され真言密教の道場となる。五重塔は826年に建てられ4度の火災により現在は1644年の再建。その高さは現存する塔の中では最大。毎月21日には弘法市が開かれる。 永代の京・南区
本願寺(西本願寺)
ほんがんじ(にしほんがんじ)
京都市下京区醒ヶ井通花屋町下る門前町
親鸞聖人により開かれ、当初は東山に創建。1591年に豊臣秀吉の寄進を受け現在の場所に移転するまでは各地にその活動の場を設けていた。1602年徳川家康が本願寺の勢力を二分する政策を取った為に東西に分かれる。伏見城から移築した書院(国宝)には対面所(国宝)があり203畳もの大広間である。 永代の京・下京区
清水寺
きよみずでら
京都市東山区清水一丁目
778年に延鎮上人が草庵を結び観音を祀った事に始まる。798年には坂上田村麻呂が仏殿を建立。伽藍の中心となる本堂(国宝)は1633年の再建で「清水の舞台」として知られる。清水の名は音羽山から流れる清らかな水に因む。2008年より諸堂塔修復工事が行われている。 永代の京・東山区
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
かもわけいかづちじんじゃ(かみがもじんじゃ)
京都市北区上賀茂本山
正式な創建年代は不明。7世紀末には有力な神社であったといい、平安京遷都以降は国家鎮護の社として存在。京都三大祭の1つ葵祭が催される。1628年造替。 永代の京・北区
鹿苑寺(金閣寺)
ろくおんじ(きんかくじ)
京都市北区金閣寺町
元は貴族の別荘で1397年に足利義満がそれを譲り受けて別荘とし彼の死後に夢窓疎石を開山とする禅寺となる。金閣は1950年に放火により焼失、1955年に再建。 永代の京・北区
二条城
にじょうじょう
京都市中京区二条通堀川西入二条城町
1603年に京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営。実際に入城したのは家康・家光・家茂・慶喜の4将軍。1626年に大規模な拡張・修復工事がなされている。大政奉還の舞台ともなった大広間は二之丸御殿にあり、この時のもの。 永代の京・中京区
醍醐寺
だいごじ
京都市伏見区醍醐伽藍町/醍醐醍醐山ほか
貞観年間に聖宝が創建したと伝えられ、上醍醐と下醍醐(926年建立)と分かれて存在。豊臣秀吉の醍醐の花見の舞台としても知られ、桜の名所として現在に至る。 永代の京・伏見区
宇治上神社
うじがみじんじゃ
宇治市宇治山田
古くは宇治神社と併せて宇治離宮神社と呼ばれていた、平等院の鎮守神。拝殿・本殿は国宝。ここに見られる蟇股は「平安の三蟇股」の1つ。また名水として桐原水が涌いている。 永代の京・宇治市
平等院
びょうどういん
宇治市宇治蓮華
平安初期には源融の別荘だったものを1052年に藤原頼通が寺院として改めたもの。阿弥陀堂(国宝)は鳳凰堂とも呼ばれ1053年に建立され、その姿は貨幣にも映し出されている。 永代の京・宇治市
延暦寺
えんりゃくじ
大津市坂本本町/京都市左京
794年に最澄が山頂に庵を結んだのが始まりで、平安建都以来鬼門鎮護の場として存在。焼失と再建を繰り返しつつも織田信長による比叡山の焼き討ちでは伽藍の大半が焼失。総本堂の根本中堂(国宝)は1640年の再建による。未掲載
(総務部住所は滋賀県大津市)

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