このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句


清滝や波にちり込青松葉

出典は 『笈日記』 (難波部)。

初案は「清滝や波に塵なき夏の月 」、 落柿舎 滞在中の吟である。

群馬県高崎市の 普賢寺 に句碑がある。



清多藝也難三邇塵那幾夏能月
(きよたきやなみにちりなきなつのつき)

元禄7年(1695年)10月9日、大坂の病床で芭蕉が亡くなる3日前に改案。

九日

服用の後、支考にむきて、此事は去来にもかたりを(お)きけるが、此度嵯峨にてし侍る、大井川のほつ句おぼへ(え)侍るかと申されしを、あと答へて、

   大井川浪に塵なし夏の月

と吟じ申しければ、その句 園女 が白菊の塵にまぎらはし。是もなき跡の妄執とおもへば、なしかへ侍るとて、

   清滝や波にちり込青松葉   翁



清滝や浪にちりなき夏の月
   ばせを

 先師、難波の病床にを召て曰、「頃日(このごろ)園女が方にて、「 しら菊の目にたてゝ見る塵もなし 」と作す。過し比ノ句に似たれば、清滝の句を案じかえ(へ)たり。初の草稿、野明がかたに有らん。取てやぶるべし」と也。然ども、はや集々にもれ出侍れば、すつるに及ばず。名人の、句に心を用ひ給ふ事しらるべし。


   大井川波に塵なし夏の月

   清瀧や波に塵なし夏の月

   清瀧の水汲寄てところてむ

   清瀧や波にちりこむ青松葉

蓼云、この句は祖翁難波の病床に去来をめして「此程園女亭にて「しら菊の目にたてゝ見る塵もなし」と云る句にこゝろかよひて亡執のひとつなり」とて青松葉に吟しかへ給ふよし、去来集に見へたり


群馬県沼田市の 「まちこ茶屋」

千葉県我孫子市の 滝前不動尊

福井県大野市の 清瀧神社

京都府京都市の 清滝

高知県土佐市の 清滝寺に句碑がある。

清滝寺の句碑



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